フランスで確かな普及の手応え
女流棋士二人が同行
昨年からカンヌのゲ−ムの祭典で将棋が取り上げられることとなり、ISPSも参加したわけですが、参加者の多いこと、【昨年度約10万人】祭典への参加者が年々ふえていること、かつ参加者のゲ−ムにたいする関心がおしなべて高いことなどから、将棋の普及には格好の場所であるとの印象を持ちました。またフランス将棋連盟が大同団結して,旧アルサスのオズモンドさんやパリのシェイモ−ルさんたちが力をあわせてこの祭典に取り組んでいますので、なんとか応援してあげたいというのが我々の気持ちでした。(宇都宮靖彦)
そこで今年は日本将棋連盟に棋士の派遣をお願いしたところ、安食女流初段、伊藤女流一級お二人の派遣を決めて頂き、ISPSのツア−参加者とあわせて総勢10名で2月20日エ−ルフランス機でパリに向かいました。
パリの日本大使館で将棋のレクチャー
初めの予定では、21日のパリは休養にあて22日からカンヌで仕事をしようと考えていたのですが、パリの日本大使館から21日の午後7時から一般のフランス人を対象に「日本文化としての将棋」というレクチュア−デモンストレイションをやってくれないかとの依頼が参りました。
写真ご参照のように、和服姿の女流2人に実際に将棋をさしていただき、内容は大盤で分かるようにして、講師が将棋とはなにかを説明するというものです。

日本大使館文化広報部に集まった人に将棋の実演を見せる女流棋士お二人
今回のケ−スは当会にとっても初めての経験でしたが、将棋の普及にとっては願っても無い機会なので、喜んでおひきうけしました。
講演の内容は、チェスとの比較、将棋の歴史、日本や海外の将棋事情などとなっていますが、とくに将棋の歴史については当会の会員である尾本恵市先生や木村義徳九段の著作を参考にさせていただきました。この場を借りて両先生には厚く御礼申し上げます。、また当会案をまとめる段階でご注意頂いた鈴木副理事長や山田理事、フランス側の感触をとりまとめられた水谷一等書記官と通訳のゴルジュさん有難うございました。
かくて多くの方のご助力でまとめられた内容は当会の真田理事長によって発表されることとなりましたが、私費でツア−に参加された将棋ジャ−ナリストの山田史生さんが総合司会を受け持ってくださったので質疑応答にも無難に対応することが出来ました。
講演が行われたのは日本大使館広報文化部が凱旋門の近くに持っている、シャンデリアの美しい建物で、将棋の知識のあるゴルジュさんの名通訳で将棋を知らないフランスの方々にも分かりやすかったのではないかと思います。60人ほどの聴衆が熱心に聞いてくださいました。講演のあとは、すしやワインでの立食パ−テイがあり、和服の2人は記念撮影に質問に大人気でした。
短い観光の時間
ところで女流2人はパリの休日を楽しみにしていたと思いますが、このほかに21日の午後1時からやはりシャンジェリゼ通りに面した日本人会の部屋を借りて、パリのフランス将棋連盟の人たちと女流棋士による三面指しの指導将棋が企画されました。将棋の普及の観点からは、充実した1日でしたが、反面あまり見物も出来ず女流には、ちょっと気の毒なことになりました。
わずかに21日の午前中は女流のご要望をいれてル−ブル博物館でモナリザなど鑑賞、パリはやはり芸術の都です。翌22日が移動日兼休養日となり、パリのリヨン駅からTGVにのってアビニヨンに直行、午後は世界遺産法王庁を見物したり、アビニヨンの橋を見ながら写真を撮ったり、とりあえずプロバンスの風光を楽しみながらゆったり過ごしました。
さてここで女流2人と寺尾さんは、フランス国鉄にのりマルセイユ経由でカンヌに向かって出発し、明日からのゲ−ムの祭典に備えることになりました。
残った我々ツア−の面々は、週末に先発隊と合流してリビエラト−ナメントに出場したり、普及のお手伝いをすることとして、その日はアヴィニヨンに泊まることになりました。
翌日はプロヴァンスの名勝めぐり【安食さん伊藤さんごめんなさいね】まず世界遺産水道橋を見物し、アルルにはいります。アルルはゴッホの町、跳ね橋やこれまた世界遺産の円形競技場を見て、ミモザのさく早春のプロヴァンスを専用バスに乗りカンヌへと向かいます。途中休憩に寄ったエクス.アン.プロヴァンスは印象派の画家セザンヌが愛した町で豊かな自然と大学のある上品な雰囲気が売り物です。2月のフランスは寒いという前評判でしたが、暖冬と好天に恵まれて我々は幸せ者でした。
地中海沿いの道をカンヌに近づくと、急に人ごみが目立つようになり、今年もだいぶ人が出ているなというのが第一印象でした。
カンヌ市長や、テレビの取材も来て成功
さて翌日【24日】ゲ−ムの祭典の行われているクロワゼット大通りのパレ.デ.フェステイバル.エ.デ.コングレ(カンヌ映画祭の会場でもある)に出かけました。我々のブ−スには、フランス将棋連盟の去年の顔ぶれのほかに、アルサスのオズモンドさんが真ん中に陣取って普及の先頭に立っており女流も和服姿で通訳ゴルジュさんの助けを借り、熱心に普及活動をしていました。
一方リビエラト−ナメントは参加者が少なめでちょっと物足りない感じでしたが、こちらは、ポテイエさんが中心で小生も遠路スウエ−デンやイタリアからきた参加者のお相手をしたり、ふらり立ち寄った日本人に3手詰め5手詰めの説明をしてすごしました。
ハイライトは、カンヌの市長が立ち寄ってくれて女流との写真におさまりましたが、これも和服の効果でしょうか?また地元の子供向けテレビ局が取材に訪れ、安食さんにインタビュ−をしたり、けなげな安食さんは指導将棋やQ&Aに大活躍でした。

シェイモルさんから駒の動かし方を習って嬉しそうなこどもたち
25日が最終日ですが、今年は昨年にもまして人出が多く、(その後約12万人と発表されました。)また通常のゲ−ムのサイトのはかに、有料のアニメのコ−ナ−が開設され、また新しいブ−スとして数独が設けられたりして、日本文化が大いに幅を利かせてきた感じを受けました。
世界は日本に対し、尊敬とまでは言いませんが、日本の食文化や漫画など日本人の日常生活の中の事象に関心を持つようになっており、昔の物珍しさから出発した日本趣味とは一味違う、次のステップのような気が致します。カンヌ市がめざとくアニメなどに着目、市をあげて祭典を盛り上げようとする姿勢が感じられました。このブ-ムが残っているうちに将棋の普及に努めたいものと思いました。
英語以外ができる方との協力が不可欠(本誌編集部)
将棋を世界に広める会の活動を行う上で、「将棋の知識があって、通訳ができる人」の協力を仰げることは大変重要である。どんなに外国語ができる人でも、将棋の知識がなければ、将棋のイベントなどで細かなルールや、手筋などを説明するときに相手に伝わらないことがある。特に英語以外の言語で適役な人はなかなか見つけられるものではない。その意味で、当会は今まで多くの素晴らしい通訳ができる人にめぐり会ってきた。中国語では上海の許先生、会員の中本洋さんと小針俊郎さん、ロシア語では、サンクトペテルブルグのダニール・クリンさん、モスクワのシネル二コフさん、フランス語では当会理事で日本在住のジャック・ピノー。ドイツ語では、ミュンヘンのマーク・マリアンさん、などあげていけばキリがない。
今回のフランス将棋普及でも、日仏通訳ができて将棋の橋渡しができる二人の人との出会いがあった。一人はは、パリの日本大使館広報文化部勤務の水谷一博さん。もう一人が、フロラン・ゴルジュさんである。
水谷さんは、パリのカフェで定期的に行われているフランス人中心の将棋クラブでよく将棋を指されているとのことであり、パリの将棋界の中では最近存在感を増している方である。凱旋門近くの広報文化部の建物で行われた将棋のプレゼンテーションに多くのフランス人の方が集まったのは、日常業務でお忙しい中、事前にフランス語でイベントの告知をしていただいた水谷さんのお力によるところがほとんどで、当会の力だけではあれだけのフランス人を集めるのは絶対に無理であった。
立っているのがゴルジュさん
また、フロラン・ゴルジュさんは、将棋だけでなく、日本アニメや、任天堂などのゲームも大好きで、日本語で日本のゲーム雑誌に寄稿をして採用されてしまうほどの方である。プレゼンテーションのときの通訳振りを見た水谷さんも、お世辞抜きで「日本大使館で雇いたい」といわれていた。普段の仕事を休んでパリからカンヌまで同行してくれ、「ゲームの祭典」の来場者だけではなく、女流棋士二人への地元テレビ局のインタビューや、カンヌ市長がブースを訪れたときも、彼がいたので十分な対応ができた。
外国とのやりとりや、外国での活動を成功させるには、このような方々との協力が不可欠である。当会としては、外国にいて、日本語とその地の言語の通訳ができて、将棋の知識のある方とのネットワークをつくっていくことがますます大事になってきている。
*第10回日中友好子供将棋大会はNHKのニュースに
当会からも棋書を賞品として提供した第10回日中友好子供将棋大会の模様が12/9にNHKの午後6時と7時のニュースで伝えられた。主催は北京日本人会。同会の文化委員会の藤田氏は、国際交流基金北京日本文化センターの所長でもある。
*パリの日本大使館から将棋プレゼンテーションの依頼
安食女流初段、伊藤女流2級が同行するゲームの祭典ツアーの情報を聞いて、パリの日本大使館から2/21にパリでフランス人を相手に将棋のプレゼンテーションをしてほしいとの依頼があり、もちろん快諾。カンヌだけでなく、パリでも充実した普及活動が行えそうだ。
ゲームの祭典へ将棋が初めて加わったと言うことで、「将棋を世界に広める会」では05年の2月に二人の会員をカンヌへ派遣しました。現地ではフランス将棋連盟の方々が一生懸命に将棋の普及に努力をしています。チェス,碁、オセロ、トランプ等々ゲーム好きの人々が大勢集るこのゲームの祭典は、フランスで将棋を普及する絶好の場所です。(眞田 尚裕)
そこで本年は、日本将棋連盟から安食女流初段と伊藤女流1級のお二人を派遣して頂き読売旅行と共同でツアーを組むことにしました。カンヌで和服を着て将棋を指す若いお二人の姿を想像してみてください。きっと大勢のフランス人が詰め掛けるに違いありません。ご一緒にパリ、アビニォンからカンヌへ言ってみたいという方は、至急お申し込みください。日程につきましては、若干の微調整がまだありえますが、次ページの表の様になっております。
例年映画祭が催される会場でゲームの祭典は行われます。将棋好きの方は第2回リビエラトーナメントへ参加してフランス将棋連盟の方をはじめヨーロッパの人たちと将棋を指して交流を深めて頂きます。観光を目的の方には素敵なオプショナルツアーを用意します。
皆様の参加をお待ちします。
元気なフランス、JAPAN EXPO でも将棋の展示
第22回のヨーロッパ選手権が、7月の6日から9日まで、フランスのアルザス地方のコルマーで行われた。今回、当会からは誰も参加はしなかったが、英語の将棋の本の”The Art of Shogi”を5冊、詰将棋などの小冊子を数冊、および、高級将棋駒((株)御蔵提供。ありがとうございます)を賞品として郵送して援助をした。(本誌編集部)
大会の結果については12ページを参照願いたいが、今年のヨーロッパ選手権は、いつもの年のようにトーナメントを行うだけではなく、コルマーにある CEEJA という日本学研究の協会の後援を受け、折り紙などの展示、来場者参加形式の福笑いや、将棋が初めての人のための将棋紹介コーナーなどを設け、将棋を中心とした日本文化紹介の性格を持つ催しとなった。
そのメインイベントは7月9日、トーナメントの終了後に行われた人間将棋。天童で行われるのは甲冑姿に仮装した人間が駒に扮するが、こちらでは、編み笠姿の旅の僧といったいでたち。おそらくヨーロッパで行われた最初の人間将棋である。その模様の写真が主催者のオズモンドさんから届いた。次ページでそのうちのいくつかを紹介したい。
この大会と同じ日時で、パリ郊外で JAPAN EXPO という、日本の漫画、アニメを中心とする展示会が行われ、将棋の展示も行われた。展示者のフロさんによれば、「将棋の盤駒の在庫があれば30セットは売れた」とのことである。JAPAN EXPO は毎年ある。
フランスは全国を統括する将棋団体も設立され、このところすこぶる元気である。
将棋の宣伝に適したイベント
昨年のISPSの理事会でジャック・ピノ−氏から、南仏カンヌの町で開催される「ゲ−ムの祭典」に参加するかどうかの打診がありました。
カンヌは、ご承知のとおり、映画祭で有名なコ−トダジュ−ル(紺碧海岸)の保養地で,客寄せために種々のイヴェントを行っていますが、いずれもプレステイジの高いものばかりと聞いています。
「ゲ−ムの祭典」には従来よりチェスや囲碁のほか麻雀、バックギャモン、ブリッジ、ポ−カ−、オセロ、ビリヤ−ドなど多くのゲ−ムが含まれており、前回の例では、約7万人の参加者、観衆が訪れたということです。(宇都宮靖彦)
今年が20回目
「ゲ−ムの祭典」は今回で20周年にあたり、主催者側からピノ−氏に将棋も参加してはどうか、との誘いがあり出来ればチャンピオン級の方も出席して貰えないかとの話もあり、ピノ−氏は森内名人あたりを念頭に折衝していたようですが、2月の15〜19日といえば、順位戦の大詰めにあたり現役棋士はほぼ無理な時期になります。また唯一順位戦に関係のない森内名人も棋王戦の挑戦が決まられたのでこれも難しくなりました。また参加者、観衆の大半はフランス人なのでISPSが表面に出て運営することは、能力の限界を超えることとなります。結局、フランス将棋連盟(日本将棋連盟パリ支部)のエリック・シェイモル氏やフレデリック・ポテイエ氏を中心に運営にあたることになり、ISPSからは、私と寺尾理事が応援として参加することとなりました。
当初私は森進一の「冬のリヴィエラ」の閑散としたイメ−ジを思い浮かべながら、2月14日成田発英国航空機でロンドン経由ニ−ス(コ−トダジュ−ル空港)へ向かいました。時あたかもトリノ冬季五輪開催中でもあり、予期に反し機中は期末試験を終えた女子大生と短大生で超満員でした。ニ−スからカンヌはバスで30分。当日は取り敢えずカンヌのホテルで一泊。
将棋のイヴェントは16日から始まることになっているので、15日は2人でニ−スでも見物しようかということになり、国鉄でニ−スの駅を降りると冬のシ−ズンなのにニ−スは多くの日本人も含めて、観光客がいっぱいでした。
シュロの木に囲まれて南国ム−ドにあふれるプロムナ−ド.デ サングレは、一見お宮の松の近くの熱海の風景を思わせますが、勿論背景となっているホテルはニ−スのほうがずっとゴ−ジャスな感じです。
ニ−スは人口38万人,高級リゾ−ト地として売り物の海岸を中心とした雰囲気のほかに、シャガ−ルやマチスの美術館などもあり、ゆったりとした休暇を過ごすには適した場所でしょう。
さて翌16日からは本番開始です。カンヌのホテルを出て、クロワゼット大通りに向かいます。ここは「カ−ルトン」や「マジェステイク」のような高級ホテルが並び、5月の映画祭の時期には、世界中の映画人、スタ−、ジャ−ナリストが集い熱気あふれる場所になります。海岸あたりの風景は、ニ−スと似ていますが、白砂に恵まれているだけカンヌのほうが夏場は海岸で寝そべることができます。寺尾理事は「ニ−スを熱海とすればここは葉山ですよ」と言っていました。「ゲ−ムの祭典」の会場となる「パレ.デ.フェステイバル.エ.デ.コングレ」(5月の映画祭の会場でもある)もこのクロワゼット大通りに面しており、開場前にすでに大勢の人たちが行列していました。

開場を待ちきれずに並ぶ来場者
SHOGIのブ−スでは、フランス将棋連盟の人たちが準備に入っており、そこへ我々は日本から持参した販売用の盤駒、普及用の英文パンフレット(いずれも日将連で入手したもの)青野九段の和英対訳本などを陳列、またNHKテレビの羽生、佐藤(康)戦のビデオを用意しました。
さて来場者は主としてゲ−ム好きの人たちが多く、SHOGIにたいする予備知識(といってもチェスの一種と言った程度ですが)があったり、関心のある人が意外に多いような印象でした。また先生に引率された大勢の小学生がやってきて、苦手のフランス語でベラベラとやられたのには参りましたが、そこは年の功で、将棋をフランス語で説明したチラシ(フランス将棋連盟が用意したもの)を手渡したり、フランス将棋連盟の若手の応援で防戦しました。

カンヌの「ゲームの祭典」で子供に将棋を教えるポチエ(右)さん
また放映したビデオは日本語なので、フランス人にとって内容は理解できないわけですが、日本にはこれを職業とする多くの人たちがいるということで、将棋のゲ−ムとしての奥行きを感じてもらったようです。
通りかかっては立ち止まってみてくれる人が多く、結構なPRになると思いました。次回はフランス語の説明でもつけたら更によいと考えています。
16,17日は展示と自由対局、18,19日はリヴィエラト−ナメントをやる予定になっており、我々もはじめの2日間もし門前雀羅を張る時は碁やチェスを指しに行こうか、と話していたのですが、お陰で人の流れは絶えず、日本から用意してきた将棋グ−ヅ(一部有料)は全部なくなり、SHOGIのPRの場所としては、きわめて効率的な場所ではないかとの手ごたえを感じました。
よく聞かれた質問
将棋のル−ルや駒の動かし方のほかに、さまざまな質問がありQ&A風に列挙すれば、
Qフランスで将棋を指したいとき、どこへいけばよいのか。
Aフランスには日本将棋連盟のパリ支部とアルザス支部があります。ただ手近で将棋を指される場合は、以下のゲ−ムサイトにアクセスしてください。
ポ−ランド www.kurnik.orgチェコ www.brainking.com
Q駒が漢字で読みにくいが何とかならないか
A 我々も本年は初参加であり、準備は必ずしも十分とは思っていません。次回はフランスの人にも分かりやすい駒をお持ちしたいと思っています。今年はこれで我慢してくださいませんか。(日本将棋連盟の普及用英文パンフレットについている紙の駒を手交する。)
Q日本では将棋で生計をたてているプロがいるそうだが、トッププロの収入はどのくらいか A 年や為替レ−トによって変動しますが、大まかに言って年収1百万ユ−ロぐらいではないでしょうか。
なお将棋のブ−スの近くには、チェスや囲碁のコ−ナ−があり、チェスは本場だけに黒山の人だかりで、プロらしき人が多面指しで大人気を呼んでいました。囲碁のコ−ナ−では九路盤を多く備えて年少者の指導にあったっていました。(10年以上前から参加、今年は日本人の参加はないとのこと)。
2日目の夜はフランス将棋連盟の人たちとの会食。席上でエリック・シェイモ−ル氏は,来日中に撮影した桂離宮、修学院離宮などの映像や先般パリを訪れた中原先生、佐藤(秀)先生、近藤先生などの指導対局風景などをパソコンの画面で見せてくれました。シェイモ−ル氏やポテイエ氏はいずれも将棋だけではなく大変な日本通で、従ってパリ将棋支部の人たちもみな難なく日本語の駒で指しこなしていました。
中戸駒はどうだろう
また後述するオランダのオ−ステン氏など将棋の強いヨ−ロッパの人たちは日本についての造詣も深く心強いのですが、見方を変えれば「ゲ−ムの祭典」に集まってくる人たちは児童も含めて、ゲ−ムそのものに関心のある人たちで漢字の駒で対応することはあまり得策ではないような気がします。
将棋の普及を一部の日本趣味の人たちに限定しないで、将棋のゲ−ムとしての優秀性に着目して、思い切って日本将棋連盟の海外普及用英文パンフレットに近い形のもの、例えば中戸俊洋氏作成の駒のようなもの,(近代将棋4月号28ペ−ジ)を使ってみてはどうでしょうか。

期間中に開催されたリヴィエラトーナメント
さて18日19日は週末で遠方よりの参加者も加わりリヴィエラト−ナメントを開催、フランス人のほかオランダから参加したオ−ステン氏(前ヨ−ロッパ選手権者)、ノ−ルウエ−のオルフセン氏に我々2名が加わって総勢9名の大会になりました。小生は申し訳ないことながら、対局時計を押し忘れる悪い癖を連発し不調でしたが、寺尾氏が1位オ−ステン氏が2位、3位が小生ということでシェイモ−ル氏が不参加だったフランス勢は振るいませんでしたが、若い人の中で、将来性のありそうな人が散見され楽しみです。それではまた会う日まで。
平成18年度の2つの計画
(1) 「カンヌのゲーム祭典へ理事を派遣」
フランスのカンヌで行われるゲームの祭典に今年から将棋が加わります。フランス将棋協会のエリック・シェイモルさんが中心となって準備が進んでいます。
今年は理事が二人(又は3人)行って祭典の視察を行い、併せて行われるトーナメントの審判を務めることにしました。2月15日〜19日です。
平成19年度から場合によっては,一般の会員の方が参加できるツアーにすることも考えています。
(2) 「ウクライナの学童を招待」
ウクライナについては、一昨年までの鈴木、池谷理事の交流と、今年の交流の旅で中国に次いで多くの子供達に将棋が普及できる可能性があることがわかりました。
そこで、先生1人学童5人を8月3日〜8日の期間に日本へ招待できるように助成金を申請します。その結果が上手くいけば、実現します。
リフネの少年宮では我々の想像以上の子供達が将棋を学んでいます。まださほど強くはありませんが,今支援するのはタイムリーだと思います。
フランス、エリック・シェイモルさん
今年は、残念ながらミュンヘンで行われるヨーロッパ選手権には出場できません。子供ができて忙しくなったのもありますが、最近は、自由に使える時間の大半を、Mac のプログラマーとして、MacShogi という将棋のアプリケーションを開発するのに当てています。
MacShogi とは Mac OS Xで動く将棋のデータベースソフトで、棋譜の保存、棋譜へのコメントの追加、棋譜の盤面での再現、駒落ちへの対応、図面の作成、MacShogi を持つもの同士で、ネット対局ができます。
アップルコンピューターの本社に応募したところ、嬉しいことに同社のリファレンスサイトに載りました。初日に100件以上のダウンロードがあってびっくりしました。そのサイトのアドレスは
http://www.apple.com/downloads/macosx/games/cards_puzzle/macshogi.html
です。今では、ダウンロードの件数は4000件を超えているので、多くの人が私の開発したソフトを使っていることになります。
まだまだ、機能を良くしていく予定で、今のところ英語だけですが、日本語と英語のユーザーインターフェースを加えること、他の将棋の棋譜管理ソフトとデータのやりとりができるようになること、など、どんどんバージョンアップしていく予定にしていますので乞うご期待。
南米コロンビア、アンドレ・ガルシアさん
こんにちは。私の国には、まだ、将棋協会のようなものはできていません。私が将棋に興味を持ったのは、大学で日本語のコースを取ったときにたまたま将棋というゲームを知ったからです。それ以来、ネットサーフィンして将棋の情報を集めたり、トレーバー・レゲットさんの"SHOGI Japan's Game of Strategy"を手に入れて読んだりしました。
大学で将棋を指すグループを作ったりもしましたが、なかなかみなつづかなくて難しいですね。コロンビアには囲碁の協会があって、その中の人とたまに将棋を指すこともありますが、かれらはやはり囲碁のほうが好きみたいです。
それで、というわけでもないですが、スペイン語で将棋のホームページを作りました。ほかにスペイン語での将棋のホームページはあと2つほどあるのですが、将棋だけに内容を絞ったのは、私がつくっているものだけです。このホームページがスペイン語圏の国々で、将棋が広がっていくのに大いに役立ってくれると嬉しいのですが。
アンドレさんのサイトは以下をご覧ください。
http://shogi.galeon.com
10月20日、国際将棋フォーラムの翌日です。
詰将棋とチェスプロブレムで高名な、京都大学教授若島正氏が会長を務める、チェス将棋交流協会による公開対局がNECの後援で行なわれました。フォーラムに出席していた各国の選手もこの日は見学に訪れる予定です。(轟聰)
午前の部は、GMローチェの20面指しです。参加者は、中井女流名人、東公平氏、関則可氏。そして女流チェスチャンピオンである竹本尚子氏と暁星小学校の生徒たちです。
ローチェGMのほとんどの指し手は一睨み、大長考する場面でも10秒程度と極めて軽快な進行で、次々に投了の意思表示であるキング(王)を倒す動作と握手が行なわれていきます。
最後まで頑張った竹本氏がキングを倒すと手を差し出すローチェGMの笑顔からは、それまでの怒ったような表情がすっかり消えていました。昼食休憩を取った後はいよいよメィンイヴェント、羽生善治3冠、森内俊之名人そして佐藤康光2冠という、将棋祭りでもめったに見られないほどの豪華な顔ぶれの3面指しです。
序盤は立ちっ放しで少考も見せないローチェGM、負けじと指し手の早い羽生3冠、じっくりと時間をかけて指す森内名人と佐藤2冠です。色白の森内名人の顔一面がみるみるうちに桜色に変わっていきます。
チェス序盤戦法大百科事典では過去の棋譜150万局を500の戦法に分類しています。日本将棋連盟が保有する棋譜が7万局、将棋クラブ24が出版した棋譜が24万局ですから、その差はとてつもなく大きなものがあります。
それによると羽生戦の戦法はB33でSicilian defense、森内戦の戦法はE97でKing's Indian, 5.Nf3、佐藤戦の戦法はE59でNimzo Indianだそうです。
いよいよ中盤になるとさすがのローチェGMも椅子に座り1分を越すような長考を始めました。一番奥の席で身をよじり頭をかきむしり、視線をあわただしく変えてあらゆる変化を読みきろうとする羽生3冠は、自分の指し手が決まると中央の森内名人の局面に目を向けています。
桜色の顔で盤面に集中する森内名人、まったくのポーカーフェースで身じろぎもしない佐藤2冠、3者3様の集中には公開対局とは思えない勝負師の姿を見ることができます。
佐藤2冠が早い時期にキングを倒し、ローチェGMが森内名人の前で大長考に入ったときです。突然ローチェGMの右足が大きく揺れだしました。10秒も揺すった後は今度は左足、そして最後にはなんと背中です。これがかの有名なローチェ揺すりでした。
羽生3冠の局面が6枚対6枚にまで減ってから、3列目に座る私の目にもようやく局面がわかるようになりました。チェスの立体駒のおかげです。
ルーク(飛車)2枚のローチェGM、ルークとビショップ(角)の羽生3冠、勝負はローチェGMがルーク交換に成功してルーク対ビショップの対抗に変わったときには終わっていたようです。
局面の進行の遅い森内名人も羽生3冠の局面に目を向けています。
森内名人の持ち時間が切迫しているのでこちらははらはらしています。
羽生3冠は粘りに出ましたがローチェGMのキングは自ら羽生3冠のキングを寄せに行きます。
ポーン(歩)の交換にも成功したローチェGMのポーンは羽生3冠のキングを縛っています。
粘ればまだ数十手は続くけれどこのままでは羽生3冠も時間がなくなると思ったときに意外な手が出ました。なんと自らローチェGMの好手が出るような投げ場を作ったのです。ローチェGMは躊躇わずに詰めろビショップ取り、にっこりとキングを倒す羽生3冠でした。
最後まで残った森内名人と数手を交わした後にローチェ氏がドロー(引き分け)を提案したようです。にっこりとそれを受ける森内名人の朱はもうさめて色白な顔に戻っていました。
最後にチェスの強豪でISPSの理事でもあるジャック・ピノーさんから簡単な総評をいただきました。
羽生3冠のゲームは引き分けになるはずだったと思いますが、羽生さんの見落とした一手が残念でした。
森内名人のゲームは森内さんはよく頑張りましたが、最後の局面は先手のローチェさんが少し有利です。
佐藤2冠のゲームは定跡のミスですぐ苦しい状態になりました。
佐藤さんはしばらくチェスを指していないのでちょっとチャレンジはきつかったようです。
なお、棋譜は次のアドレスで入手できます。
http://campaign.biglobe.ne.jp/chess-shogi/live/lautier.htm
6月24日、パリの日本大使館内にある文化会館で、日仏友好のための将棋対局が行われ、それを拝見することができたのでご紹介させていただきます。
対局は、羽生竜王が在欧の日本人の方や現地の将棋ファンと10面指しをしたもので、大変に興味深く拝見させていただきました。
羽生竜王は、前日までパリにあるNAOチェスクラブで9日間ぶっ通しのチェス大会に参加され大変にお疲れではないかと心配しておりましたが、いつものようにすがすがしい雰囲気で会場へと向かわれました。
当日は、うす曇りのどんよりとした天気でしたが、竜王が薄いモスグリーンのはかま姿で登場すると、会場は一気に華やかな雰囲気に包まれ、竜王のヨーロッパにおける人気がうかがえました。
最初にNAOチェスクラブのローチェ氏より、今回の来仏の目的(チェス大会への参加)が説明され、日将連パリ支部長の挨拶、羽生竜王の挨拶に引き続き将棋の10面指しが行われました。
最年少は在仏の小学生石川君の六枚落ちで、将来は日本へ帰って奨励会を目指したいとのことでした。
驚いたのは、外人のプレーヤーがすべて一手ごとに棋譜をつけていることで、チェスプレーヤー出身の方が多いためでしょうが、見習わなければならないことだと思いました。
対局のあと、歓談、撮影会を済ませ、竜王は着替えもそこそこに日本への機上の人となりました。
延べ11日間、羽生竜王には、緊張の連続であったと思われますし、大変にお疲れのはずでしたが、そんなそぶりを微塵にも見せず、終始笑顔で(対局中を除いて)いられたのには感心させられました。
昨年から家内と、私の2000年定年退職を機に、フランスとイギリスを旅行したいと話してきた。家内は若いころフランスに音楽留学したときお世話になった人の家族に会い、亡くなった人の墓参りもしたいという。また、日本へ最初にフランス歌曲を紹介された恩師古沢淑子先生が、スイス国境近くの村にご高齢で住んでおられるのでどうしても会っておきたいし、イギリスでは、ダンスの世界選手権大会も観戦したいという。
ともかく日程の忙しい旅になりそうであったが、ガイド役の私にもひそかな楽しみがあった。
昨年10月の上海旅行で同行された鈴木さんと湯川さんから、フランスの将棋愛好家エリック・シェモル氏のことを聞いていたので、昨年暮れ、エリックに手紙を書いて5月にパリの将棋クラブを訪ねたい意向を伝えた。(稲垣巌)
年が開けて早速エリックから親切な返書が届いた。パリには二ヶ所のクラブがあり、月曜と土曜に集まっているので訪ねるときは前もって電話をくれれば待ち合わせて案内するとのことだった。そのほかにも今年2000年にヨーロッパで催される将棋大会の予定や、ヨーロッパ各国の将棋クラブの責任者とE-mailアドレスも2ページにわたって詳しく知らせてくれた。
5月6日にパリに飛び、忙しく日程をこなして5月22日月曜、紹介された将棋クラブに行くべくエリックに電話を入れた。しかし彼は何か落ち着かない感じで自分は行けないからフレデリック・ポティエ氏に電話してくれ、といってそそくさと電話を切った。
後で分かったことだが、彼の奥さんが出産間際でそれどころではなかったのである。
エリックの手紙に両方のクラブの責任者として紹介されていた、フレデリック・ポティエ氏に電話をし、近郊のラ・デファンス駅前、新凱旋門の階段中央で待ち合わせることにした。
フレデリックは感じのよい若者で(エリックと同年の36歳)最初の言葉は“はじめまして”という日本語であった。彼はすでに2回来日していて小樽から松江まで日本各地を旅し、カタコトの日本語も話せる親日家である。
彼の案内で、10分ほど歩いたところに建つ円筒形で迷彩模様の高層アパート群の1棟に入った。
彼はそこの28階に住んでいて、1階集会場の一室を、月曜夜に将棋クラブとして使っていた。小ぢんまりとした部屋には将棋盤が3面用意されていて、先客もすでに2人来ていた。
青野九段の日英対訳の著書二冊をISPSからだと手渡すと感謝された。
フレデリックと3局対戦したが、横歩取り8五飛など最新戦法も指してなかなか序盤に明るい。それもそのはず、日本将棋連盟のパリ支部には、毎月将棋世界が3部送られてきているほか、週刊将棋も購読しているという熱心さには驚くばかり。
インターネットも利用しているそうでUP-to-DATEな情報に事欠いていない。将棋はフレデリックに終盤に緩手が出て私が勝った。
もう1人パリ在住の植村さんと一局指した。この方は、京大将棋部OBで振り飛車党。なかなかの強豪であったがなんとか勝てた。
土曜日に将棋を指せるパリのもう一ヶ所の将棋クラブは、市内メトロのシャトレ駅近くにあるカフェの中だ。
目印は、この店の向かいに建っているサン・ジャックの塔で、高さ52メートルのこの塔はよく目立ち、昔パスカルがこの塔の頂上から気圧の実験をしたことで知られている。
このカフェの奥で土曜の夜、日仏交流の集いがあり、そこにフレデリックは将棋の盤駒を持ってきて、普及につとめている。初心者には四枚落ちくらいから教えていた。
ここでは、フレデリックと同じ三段のギョームと対戦した。彼はニューヨークのアマチュア世界選手権に出場してきたそうだが、1回戦で六段とあたり敗退したという。
将棋は序盤で私が奇略を弄して角頭の一歩をかすめ取りそのまま優位を保って逃げ切った。このカフェには2回通った。
3週間の旅も終わりになり、帰国前夜ラ・デファンスのクラブに3度目の顔を出した。ギョームや日本人の森本さんら4人がすでに対局中で、それを観戦していると、だれかが入室してきた。エリックであった。奥様が無事男児を出産し、ルカと名づけたそうである。
心からおめでとうといって、早速初手合わせをお願いした。さすがにフランスチャンピオンだけあって、エリックは攻めに迫力があり、守りにも受け潰そうとする力があった。
3局とも接戦であったが1勝2敗と負け越した。しかし、会えないと思っていたエリックと最後に対局できたことには大いに満足した。結局この旅行中五夜を将棋に費やし、大きな満足感を得られた。今後も元気な限り「好きな道なら千里も一里」の将棋交流の旅を続けていきたいと願っている。
私はエスぺランチストなので、毎夏世界のどこかの都市で一週間にわたって開催される世界エスペラント大会に、仕事に支障のない限り参加することにしている。 この機会を利用してもう一つの趣味である将棋を現地の強豪連と指すことを無上の楽しみにしている。(上田友彦)
今年の開催国はフランス(ただし開催地はパリではなく南フランスのモンペリエ)だったので、早い時期から彼らとコンタクトを取ることに努めた。なぜならフランス人は長期のバカンスを取ることをかねがね聞き及んでいたからである。
フランスとのやり取り
語学力の貧弱な私のことだから(したがってエスペラントをやっている)、まず日本人の世話役に当たるような人を探すのが最善手と考え、『将棋年鑑』の海外支部名簿に掲載されているフランス支部責任者の山本桂さんに手紙と資料を5月早々に送付した。しかし1ヶ月以上経っても返事がない。
ISPS役員の鈴木良尚さん、会員の木下恒さんから、フランスではエリック・シェイモルさんが最も強く、'97年度アマ竜王戦に招待されたこと、彼の住所、電話番号等を教えてもらった。電話は言葉の面で自信がないし、英語で手紙を書くのもおっくうに感じていたところ、丁度折り良く『かけはし7号』でエリックさんの「私の日本旅行記」を読み、山田編集長から彼のE-mailアドレスを聞くことができた。
たどたどしい英語でメールを送ったところ、早速返事が返ってきた。山本桂さんは転勤のため、今はニースに住んでいる。上田の指定した8月10日(月)はwork dayなので、丸一日は休めないが何とか時間を作りたい。友人であり2番目に強いフランス人のフレデリック・ポチエさんはその頃日本にいるだろう。パリ在住の最強者はおそらく日本人の宮本豊一さんだろう。といった文面で宮本さんのE-mailアドレスも書き添えられていた。
その後宮本さん、エリックさんと数回メールを交換した後、いよいよ8月10日エリック4段との対局が実現することになった。
ロビーで対局
エリックさんとJEPIC欧州事務所次長の宮本豊一さんはこの日のために半日休暇を取ってくれた。場所は私の宿泊先のフランツールパリリヨンホテルロビー、申し分のない対局場であった。同行の大阪の同志大浦さんが参加されたので、2局同時進行が可能となった。エリックさんと私が最も多く当たるよう取り計らわれた。エリックさん自ら盤、駒、チェスクロックを2セット持参されるという熱の入れようだった。
双方45分づつの持時間、それが過ぎると1手30秒未満という条件で、彼とは都合4局指すことができた。正味8時間休憩なしに、将棋漬けの至福の時を味わった。双方秒を読まれながら、激戦が展開されたが、結果は4局とも私の辛勝に終わった。彼は最新の棋譜も良く調べており、居飛車党の本格派である。私もほとんど飛車は振らないので、相懸り、矢倉模様からの急戦、横歩取り、ひねり飛車と息の抜けない白熱の序盤戦となった。中盤までは終始押されぎみで、辛くも終盤で逆転というケースが3局あった。宮本さんとも一局指したが、私の勘違いからあっけなく負けてしまった。宮本さんは3年間のヨーロッパ勤務を終え8月には帰国されるとのことである。日を改めて宮本さんとはじっくり指したいと思っている。
エリックさんは素敵な将棋のホームページを開いており、これを読むと毎週パリ近郊のクラブで将棋が指され、全ヨーロッパでも大きなイベントがかなり頻繁に開催されているのが見て取れる。訪欧の機会のある同好の志には是非都合をつけて、彼らと親善試合をされんことを強くお薦めする次第である。
エリックさんのホームページ、Eメールのアドレス
URL: http://eric.macshogi.com/index.html
E-mail: site-eric@macshogi.com
1995年に初めてフランスへ渡ったのは、チェスの国際大会に出るためだった。この大会はフランスを初め、近隣諸国の人が300人ほ ど参加するオープン戦で、家族的な温かさで人気がある。大会は1日1局で、時間が十分あり、合間には将棋の指導を行なった。(湯川博士)
1996年。この年は、プロ八段の森内さんが同行し、大会場の一角に将棋コーナーを設けてもらい、将棋ブームを起こした。とくに、フランスのトッププレーヤー、GMアピセラが将棋に興味を持ち、大会の合間には将棋コーナーを訪れてくれたのは大きかった。彼クラス(フランスで2位か3位)になると、ファンが集まってくる波及効果があるからだ。集まってくるのは若い人が多く、初見で、将棋の3手詰をすぐに分かってしまう。詰パラに出ていた3手詰問題で、飛車・角が中心のものは即座に解いた。逆に、金・銀・桂・香・歩など動きの違うものは、考えている。
この年は、パリから300キロも離れている 会場に、フランスチェス連盟会長が現われ、なんと将棋コーナーに座ったのである。そして説明を受けるや、我らのメンバーと8枚落ちを指した。お話もしたが、日本にそうとう興味を持っている感じを受けた。
フランス人の一番の関心は、森内将棋GM(グランド・チャンピオン)で、彼の集中力と粘りには称賛の声が上がった。おもしろいことに、強いGMたちは即座に森内さんの資質を見抜き、素晴らしいと誉めるが、ちょっと格下のIM(インターナショナル・マスター)たちは、それほど評価したがらない。でも互いの一流棋士の交流が、最大の理解を生むのだという感触を得たことは確かだ。
1997年7月。3年目は一行10人とふくれあがり、森内八段も2年連続参加。やはり将棋コーナーを設置し、随時指導した。アピセラGMは、この一年間でめちゃ強くなったので聞いてみたら、パリのフランス将棋連盟に通って指していたそうだ。
大会の中日ころ、森内・アピセラの将棋・チェス2面同時対局が行なわれ、ギャラリーもそうとう集まった。
国際交流の秘訣は
さて一般にフランス人は、日本の扇子を欲しがる。昨年は森内八段が羽生名人に挑戦したときの扇子が大人気だった。あるとき熱心なファミリーから、扇子の文字の
「阿吽(あうん)」の意味を教えてくれといわれた。気が付くと周りはフランス人で、皆一様に目を輝かせて私のことばを期待している。
「ノーカンバセーション、バット、コミュニケーションオブインスピレーションOKね」 咄嗟に単語を羅列したが、それでも、「オー、アンダスタンド。ブジュボジュ〜」 たぶん理解してくれたと思うけど?!。
驚いたのは、禅のことを知っている人がけっこういたことだ。フランス人は日本の文化に興味ある人が多いようだ。というのも、今年のことだが、私は心身のバランスを保つため(病気予防)、最近合気道をやっているが今大会でも試合前や合間に、外の芝生で合気体操をやっていた。すると、こどもが覗きにきて、質問する。
「それは空手でもなさそうだが、なんと言うものですか?」
「アイキドウ」
「あっやっぱり。この間テレビで見たぞ!」(フランス語だが不思議に分かるのだ)
ぼくはとても興味があります。もう少し見ていていいですか」
「ウイウイ。OK」
この少年たちの口コミ(あのオジサン、合気道使いらしいぞ!)のおかげで、今年の大会では少年強豪たちのビビリがあったようでずいぶん勝ちを拾わせてもらった。
合気道のおかげでチェスに勝ち、昔座禅をかじっていたおかげで、扇子の意味を教えられた。外国へ行ったら、いちばん役に立つのは語学よりもむしろ日本の芸を身につけていることかなと、実感した次第…。
将棋については、1手詰や3手詰の本が有効で、そこで駒の性能を覚えてもらうといいようである。
今年のフランス遠征の最後に、世界チェス連盟の最高幹部に会い、将棋とチェスの交流できる企画をやろうと話に燃えた。チェスのチャンピオンが日本に来て、将棋棋士と交流する日も遠くはないような気がする。
ジョン・ホール先生
最近、海外での将棋の普及は目覚しい。5、6年前より竜王戦の初戦が必ず海外で行われていることが、将棋の普及に大変役立っていることは間違いない。フランスでも10年以上前から将棋クラブが結成され、すでにフランス語の機関紙が発行されている。(鈴木 良尚)
初版はB5判で20ページそこそこの小さなものだったが、その後A4判に変わり、フランス棋界のために寄与している。
その中心人物は我が愛するジョン。本当はイギリス人だが、フランスを愛しフランス人と結婚して、フランスで英語を教えている語学の先生だ。職業柄フランスの地方の方言まで全て頭に入っており、フランス人同士でさえ通じない時に、通訳ができるほどフランス人になりきっている。(日本でも山形の人と沖縄の人とでは日本語が通じないように、フランスでもノルマンジーの人とマルセイユの人とでは通じないことがある。)外人にしては珍しく背が低く小太りで、何しろ底抜けに明るいのが楽しい。勿論よくしゃべるし人を引き付ける魅力は最高だ。将棋の実力は2段の腕前。もう歳なのでピークは過ぎたと本人は嘆いているがなかなかどうして。でもそう言えば何時だったかフランクフルトでの大会の成績はあまり良くなかったようだ。
住んでいるところはパリではなく、パリから北へ汽車で2時間、リーラ(Lile)というベルギー国境に近い町である。したがって、将棋のフランス本部はリーラにある。勿論パリにもクラブはあるが、人数が断然違う。リーラでは大学の若い学生を集めて大学のクラブよろしく活躍している。6年前、つまり1990年度のフランスオープン選手権はここで開かれた。トータル65名の参加者があり、当時オランダに駐在していた谷川俊昭氏(ご存知谷川浩司九段の賢兄)がこれに参加し、見事(当然?)優勝の誉に輝いた。谷川さんが将棋界の大きな看板として、ヨーロッパの将棋の普及にも役立っていることは嬉しいことである。
リーラ市訪問
1991年5月のこと、予めジョンに手紙を出しておき、或るウィークエンドに久しぶりにリーラを訪れた。勿論、大歓迎との返事を貰っていたのだが、ちょうど金曜日からフランス国鉄のストライキが行われ、ダイヤが乱れて土曜日に行けるかどうか判らなくなってしまった。すると、前夜パリのホテルにジョンから電話があり、明日は午前中に1本だけ列車が動くらしいが、出発時間は不明とのこと。リーラ行きはいつも1日に何本かあるのだが、そのうちどれが動くのか判らないという。到着予定時刻には駅に迎えに出るが、午前中大学で講義があるので、もし到着が早くなってしまった場合、ドウニー君という学生に電話して迎えにきてもらえというアドバイス。そうすれば駅でボケっと待っていなくてもすむという訳だ。ジョンはいつもこういう気配りをしてくれる。
そこで、土曜日の朝、前に利用したことのある午前10時発の列車に照準を合わせて、予定より1時間半早めにパリ北駅に来てみると、幸運なことに丁度その列車が動くらしい。しかも既に入線しており、結果的に1時間半前から汽車に乗り込んで出発を待つ羽目になった。汽車はストライキにも関わらず結構空いていた。フランス人は日本人と違って、無理やりスケジュールを強行するようなことはしないのかもしれない。リーラに到着するとまずジョンの家で昼食。奥さんより2つ年下の奥さんの妹さん(美人!)とドウニー君も来ていて、美味しい手料理をご馳走になった。その後すぐクラブへ出発。
将棋七面指し
クラブはカフェのような店の奥の一室で、椅子とテーブルで対局する。そこには20歳前後の6人の学生が待ち受けていて、何とジョンを含めて7人と多面指しをせよとの御宣託。こちとら単なるアマチュア3段(当時)で多面指しなど、こちらがしてもらった経験はあるが、自分でしたことなどは一度もない。しかも相手は7人だ。予め言ってくれれば多少の覚悟はしてきたのだが、何しろ突然である。聞いてみると日本人と指す機会などめったにないので、どうしても今日集まった全員がやりたいのだそうだ。そうとなれば最早引くことはできない。ジョンの指定するままに、平手3人、2枚落ち3人、4枚落ち1人という手合いで試合は始まった。
ところで、7面指しというのをやってみて、面白いことに気がついた。相手を座らせ、自分だけ立って忙しく右から左に動いて指すというのは、相手を上から見下ろすせいか意外と偉くなったような気分になって、すごく気持ちのよいものなのである。なるほど、プロの先生方はいつもこういう気分で指導されているのかと、とんだところでとんだ感覚を味わったものである。
その結果は
2枚落ちで指した相手に1人強いのがいて、定跡どおり上手必敗の形勢。下手側の4筋から攻め込まれて4二歩と受けさせられた。ところが何手か進むと、自分で打ったその歩を忘れて、4七歩と打ってしまった。隣のジョンが気がついて、二歩だと指摘。これで上手の即負けだが、何しろ親善将棋。ここで終わっては相手も途中で拍子抜け、もっと続けたいというアピールがあり、恥ずかしながら待ったをさせてもらった。というのにその後またまた4七歩と打ちそうになって、あわてて手を引っ込めたりした挙げ句、とうとう4七歩の代わりに4七銀とおごって打ち、この将棋を勝ってしまった。申し訳なし。
もう1人、平手で指したリシャー君という学生はチェスの名手とのこと。自分からは攻めに出ず、お手並み拝見とばかりに徹底的に攻め筋を封じて待つ姿勢。1筋から9筋まで全部四列目と六列目に歩が対峙して、ニッチもサッチも行かなくなってしまった。多面指しの悲しさで、こちらは考慮時間がほとんどないため、無難な手を選んで指した結果がこうなったのだが、かくてはならじと無理矢理打開したら案の定、形勢不利。この将棋だけが最後まで残ってしまい、日本人に一泡吹かせてやろうというリシャー君の気迫物凄く、やたら長時間考える。
いつまでも先生が立ったまま指すのも疲れるだろうからと、椅子を勧めてくれて、さぁ1対1で勝負という趣きだ。これでは何時まで経っても終わりそうにないのでとうとうじっと観戦していたジョンもしびれを切らし、あと10分で夕食の時間だから秒読みにしたいとの申し入れ。こうなるとリシャー君の経験不足は覆いがたく、持駒の金を打ってくると上手側が難しくなるところを、盤上の銀が進んできたので、あっさり逆転してしまった。この金打ちを後で指摘すると、チェスの場合は取った駒を使わないので金打ちの発想が浮かばなかったという、半分言い訳で半分本当らしい答えが返ってきた。彼はきっと強くなるだろう。彼とは次の機会には必ずチェスをやろうという約束をして別れた。
結局二歩の将棋を待ったで許してもらったので7局全部勝ってしまったが、とにかく実際に指す機会を増やすということが将棋の普及につながる。皆さんもフランスに行くときは是非リーラを訪れて親善将棋を指してきてください。大歓迎されることは請け合いです。