6カ月の滞在体験からの考察
ロシアのサンクト・ペテルブルグに半年間住み込んで学校での課外授業を中心にさまざまな将棋活動を行って来ましたが、その中から現状を踏まえてどんなことが必要か、ISPSとして何が出来るか、私なりに感じた事を簡単にまとめてみたいと思います。なお、フィンランド,ウクライナなど近隣諸国にも足を伸ばしてきましたので、それについても言及させて頂きます。(鈴木良尚)
【将棋普及の3つの基本】
海外へ将棋を普及させる場合、3つの基本が重要であることは既に知られていることです。第一が盤駒の道具、第二がその国の言葉で書かれた教科書、そして第三が指導者です。最近はインターネットが普及したことによりこの三つをまとめて個人的にはコツコツと一人だけで研究上達することが出来るようにはなりましたが、人と人との顔を合わせた交流が無いと幅広く大勢に普及する基盤は作れません。このことは後に触れる事にしてまず国別に考えてみましょう。
【ロシア - 有段者の交流を】
先ず盤駒の普及は将棋人口と比べてまだ少なく、「薔薇の学校」の場合新しく始める生徒にはボール紙を使って自分で盤駒を作らせました。そして、少し馴れて来た時に私の持参したプラスチック製盤駒を教室で使わせて実際の感触を味わってもらいました。 すると父兄から駒を買いたいという要望も現れて安い百円駒を150ルーブル(*1)で分けてあげました。
モスクワで将棋の普及に熱心なノソフスキーさんは同様の駒を中国から大量に輸入して260ルーブル(*2)で今年から商業販売を始めています。数量から見るとロシア語圏では駒の市販が開始された事により基本の一つがかなり満たされた事になりますが、生活レベルから見て高価です。なお、これまでに将棋連盟やISPSから無料で提供されたプラスチックの盤駒は勿論、街の道場などで有効に使用されています。
(*1)約540円。日本からの送料が高い。無料で配布すると際限が無い。(*2)約940円。
次にロシア語で書かれた教科書ですが、一番早いキスリュウクさん執筆の将棋紹介の本、ISPSから翻訳を依頼した「羽生の奥義」の本、それにノソフスキーさんの書いた初心者用の本など少しはありましたが、本年ノソフスキーさんが出版した840ページの大冊は、ロシア語版としてこれ一冊あれば当分バイブルとして使える代物で、200ルーブルという専門書にしては買える値段でもあり、基本の第二は当分解決されたと考えて良いでしょう。その他に、サンクト・ペテルブルグで3手詰めの詰将棋集も編纂されており、私もこれを買い上げて熱心な人たちに無償で配布しました。
最後に指導者ですが、サンクト・ペテルブルグでは街のクラブのメンバーが初心者指導を行っています。しかし、少し強くなった人はインターネットで対局する以外に道はなく、実際に将棋24で4千局対局したというつわものがいます。従って、日本から有段者が交流に訪れるとたいへん喜ばれます。いわゆる日本の商業的道場が全くありませんから実戦不足は明白です。
【ウクライナ - 盤駒の供給が課題】
同じロシア語圏でロシアとの交流もあり事情は全く同様です。キエフのクラブで将棋を教えているアリストフさんからは、プラスチック駒14箱を日本で買って送って欲しいとお金を預かって来ました。ISPSとしても要請に応えて盤駒の輸出営業をしたらどうでしょうか。また、ある親子からはお金を預かり、磁石式の小型セットが欲しいと言われ、たまたまキエフに出張する当会会員の方に持参して頂きました。
【フィンランド - 盤は自給可能】
この国は森林資源が豊富にあり、しかも芸術的家具製造などを得意としているお国柄で、将棋盤は自家製造するので不要、駒の方だけあれば十分と言われました。ここ1年以内に国内将棋連盟を立ち上げるについては、とりあえず大量の安い駒が必要で、それらを一般会員に買ってもらうようにする由。近々日本に行く留学生を通じて費用の精算処理をすることにして駒を送る予定です。ハイレベル競技用には一部プラスチック駒も送ります。
問題はフィンランド語の教科書が無いことですが、トローネンさんが初心者用に自分で作った将棋の指し方のパンフレットはあります。ただ、この国では英語の普及率が高いので英語でインターネットを使う手はあるでしょう。指導者も全く居ませんので交流が大事になります。
【ISPSならではの役割は何か】
普及に関する三つの基本のうち、盤駒に関しては将棋連盟でも海外普及のためにプラスチック製の物を無償で提供することがあり大いに役立っています。でも小さい子供たちとか本当の初心者用には30箱とか50箱とかの安い盤駒、特に百円駒が有用で、これが底辺を広げるのに大いに役立つのです。海外の選手と当会会員の個人的なつながりを利用して百円駒を送るとか、細かく動けることがISPSならではの役割の一つではないでしょうか。将棋の本を読むために日本語の辞書が欲しいという要望にも友人として応えてあげられるのです。
それから、プロの先生方も最近は大勢海外指導に出掛けておられますが、数としては圧倒的に多いアマチュアの有段者がもっと大勢海外に行かなければいけないと思います。仕事の出張で行かれる方々も、夜でも土日でも時間を作って海外の選手と交流して頂ければ刺激になって海外普及が進みます。日本人が来ることでわざわざトーナメントを催すよう喜んで努力もしてくれます。出張先で将棋を指せるどんな外国人が居るか、ISPSではネットワークを持っていますので出張前にご連絡をお待ちしています。
ロシア将棋協会会長 アレクサンドル・ノソーフスキー
6月に、モスクワのイゴール・シネーリ二コフさんが来日し、ISPSの理事と会食するなどつながりができました。その縁でロシア将棋協会の会長にロシアの将棋状況についてレポートを書いてもらうことになりました(翻訳協力-ベセダ(株)田中様)。
将棋がロシアに入ってきてからすでに5年以上がたっています。
1999年5月、私はモスクワで最初の将棋の大会を主催しました。私の見つけたロシアの将棋愛好者たちは、初めて将棋の試合を戦いました。優勝したのはコンスタンチン・ニーコノフで、第2位はレフ・キスリューク、第3位はパーベル・マカーロフ、第4位はファインでした。
同じ年の秋、私は、国際連珠連盟(RIF)の副会長として京都で開催された連珠の国際試合に招待され、審判団の一員となりました。
この訪問中、古い知り合いのタツトミ・ヒロユキに日本の将棋家に会わせてくれるよう頼みました。
彼は、将棋アマ三段、碁三段、連珠六段で、この他に、彼は、チェス・オリンピックに日本選手団のヨーロッパ・チェス選手として参加したことが一度あります。
彼の紹介で京都の指導棋士中尾修六段と知り合うことができました。その場で彼をモスクワに招待し、早くもその三ヶ月後に私たちはモスクワで再会し、中尾六段は、「モスクワ・オープン」の最初の勝者となりました。
それ以来、ロシア将棋協会(ARSI)を中心にして、将棋愛好家の輪が広がることになりました。
現在ロシアで最も強いのは、文句なくセルゲイ・ベローフです。数年間日本に住んだことがあり、大阪将棋クラブの二段を持っています。ロシア将棋協会(ARSI)に参加したおかげで、彼は、ロシアでも将棋を指す機会を失わずに済みました!
2番目に強いのがサンクト・ペテルブルグのビクトル・ザパーラです。彼は16歳ですが、既に4年以上将棋を指しています。彼は熱狂的で、インターネットの将棋道場でおよそ4000局以上!も対局しています。彼は、ロシアでただ一人、子供の時から将棋を勉強している人間です。
主にビザと経済的な事情により旧ソ連諸国の多くの愛好家が西ヨーロッパで開催される国際大会に参加することは困難です。
そこで2年続けて「将棋東欧カップ選手権」をモスクワで行い、ロシア代表2人が参加しました。ウクライナチャンピオンのアルチョーム・コロミエツ(三段)とベラルーシチャンピオンのセルゲイ・コルチーツキーです。
この大会は総当たり戦で、今年はセルゲイ・ベロフが2ポイントで勝利を収めました。2位は同ポイントでビクトル・ザパーラでした。(ページ末に二人の対局棋譜)。
1999年からの5年間に、私たちはロシア将棋協会(ARSI)を創設し、着々と将棋普及の準備を進めてきました。
1,本「日本の論理的ゲーム」、ルールと初歩的知識の紹介。150部が売り切れた。
2,ロシアで最初の将棋選手権の開催
3,ロシアはFESA(ヨーロッパ将棋連盟)の正式会員となる。セルゲイ・ベローフがヨーロッパ選手権で4位となった。
4,将棋序盤戦参考書の作成
5,詰将棋集の発刊
6,「日本のチェス−将棋」の発刊。初版5000部
などを行いました。現在、将棋を指す人の数はおよそ50名ですが、これを500人に
できるのではないかと考えています。一方、将棋に関するロシア語の書物を発行したことで、ウクライナとベラルーシの将棋連盟の設立につながりましたし、アメリカとイスラエルのロシア人コミュニティに将棋クラブができることにもなりました。
ロシアではチェスが非常に普及していますが、このことは良い面(将棋普及の良い下地)でもあり、悪い面(優秀なプレーヤーの取り合いなど)でもあります。
我々の努力が遅かれ早かれ子供教室という形で実を結び、そこから出た棋士が様々な大会でロシアを代表することになることを期待しています。
これらの我々の努力が日本でも認められ、来年に開催される将棋国際フォーラムでは、ロシアから1人ではなく3人が招待されることを期待しています。
*東欧カップ決勝棋譜▲2六歩△3四歩▲7六歩△4四歩▲4八銀 △3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△6二玉 ▲7八玉△7二銀▲5八金右△7一玉▲6六角△4三銀▲2五歩△3三角▲7七桂△6四歩▲6八金寄△5四銀▲8八銀△8二玉▲7九金△9四歩▲8九玉△5二金左▲7八金寄 △7四歩▲5九銀△7三桂▲6八銀△6三銀引▲1六歩△2二飛▲5七角△6五歩▲6六歩△同 歩▲同 角△6五歩▲5七角 △4五歩 ▲6七銀 △6四銀 ▲3六歩 △5四歩▲3七桂△4二飛 ▲2四歩△同 歩▲3五歩△6六歩▲5八銀△7五歩 ▲3四歩△4四角 ▲6五歩△同 桂▲同 桂△同 銀▲3六桂△5三角 ▲2四角 △2二飛▲4五桂(下図)
△6四角 ▲4六角 △同 角 ▲2二飛成 △1九角成▲4四桂△6二金寄▲2八歩 △7六歩 ▲6三歩 △同 金▲5二桂成△7一金▲5三桂成△7七香▲6三成桂 △7八香成▲同 金 △7七桂 ▲同 銀△同歩成▲同 金△7六歩▲7八金△7七銀▲7九香△7八銀成▲同香△6七歩成▲同 銀 △4四角▲6六歩△2二角▲6二成桂寄△3九飛▲7九歩△6三銀 ▲7一成桂 △7七桂▲同 香△7一玉 ▲7三金 △8八金 ▲同 玉 △7七歩成 ▲同 玉 △7九飛成▲7八歩 △7六歩▲8六玉 △8四香 ▲8五桂 △3一角▲7五桂△9五金まで122手で後手の勝ち
サンクトペテルブルグより
(1)イゴール・アレクサンドロフさん
私がサンクト・ペテルブルグ市で今年の4月から半年間の将棋普及活動を行うに至ったのは、露日文化教育財団「大和」のロシア側代表イゴール・アレクサンドロフさん(註1)のお招きによるものです。財団と言っても費用の支給は無くボランティアで参りました。
イゴールさんは大の日本ファンで日本文化をロシアに紹介することに極めて熱心です。自ら収集した浮世絵の展覧会を開催したり、茶の湯、生花、指圧、創作バレー「蝶々夫人」一場の実演をはじめ、琴の演奏会、白樺合唱団の招聘、それに、忘れてならない2000年度「将棋を世界に広める会」のサンクト・ペテルブルグ・ツアーが実現できたりしたのもイゴールさんのお陰です。
私は「薔薇の学校」で将棋を教えるかたわら、6月になって学校が夏休みに入っても、イゴールさんの口利きで市の将校クラブにあるチェス同好会で将棋を教えることとなり、その他いわゆる町の道場に相当するチェスのラヂア・クラブ併設の将棋クラブ(註2)にも顔を出し、結構忙しく過ごしました。将棋クラブがここに移る以前はイゴールさんの提供するビルの一部屋で例会が行われていたそうです。
イゴールさんは将棋のPRにも非常に力を注いでいます。ロシアで人気の芸術家、日本でも1993年に新宿三越でメタモルフォーゼの展覧会を開催したことのあるミハイル・シュメアキンに将棋を指させてそれを記事にしようと計画し、私が空港に到着したその3時間後に写真撮影が行われたのでした。
計画通りそれは新聞に載り、読んでみると見出しは将棋はでなくサムライ・チェスになっていました。見出しがショーギでは一般のロシア人には何のことかわかりませんから、それでいいのです。勿論、記事の中ではショーギとちゃんと書いてありましたから。
また、イゴールさんはロータリー・クラブのメンバーでもあり、6月の例会の際に私が招かれて将棋の説明をさせていただき、良いPRになりました。
私はイゴールさんが貸してくれる1D K のフラットに入るまで、ずっと彼のフラットの一室に住まわせて頂き、玄関の鍵も渡されて自由に過ごすことが出来、また奥様のタチアナさんや秘書のマリーナさんに用意して頂いた食事もおいしく頂けました。誌上を借りて御礼申し上げます。
(註1)日本側代表は当会会員でもある萩原政喜さん (註2)本誌25号13頁参照
(2)東洋展で将棋のエキジビション
サンクト・ペテルブルグ市のサッカーもやれる大きな屋内競技場で、5月の或る日曜日にオリエント・フェスティバルが開催され、空手、テコンドウ、等の競技と共に将棋紹介のコーナーも設けられました。ラヂヤ・クラブの将棋の仲間、フェドセーエフさんやシュピリョーフさんが自主的に参加を申し込んで実現したものです。日本でも毎年秋に鎌倉の大仏境内で行われている国際交流フェスティバルにISPSが参加しているのと全く同じやり方で、集まってくる人たちにパンフレットを渡し(ロシア語で手製)、ルールを説明し、時間の有る人には将棋の仲間が相手をして解説しながら一、二局指してみるというやり方です。私も誘われてシュピリョーフさんと模範ゲームらしきことを行いましたが、主にチェスのプレーヤーが子供も含め興味を持って熱心に話を聞いていました。
将棋を普及するためにこういう活動をロシアの人たちが自ら進んで実行している事はISPSとしても表彰してあげたいくらいに思いました。
(3)レニングラード子供クラブでも授業
地下鉄のチェルニシェフスカヤ駅付近にレニングラード子供クラブと言って中国の子供宮殿と同じような課外学校があり、劇、ダンス、歌、楽器、人形芝居、ロシア歌舞伎、芸当、詩吟、空手、等を習う事が出来ます。そこに、今年から将棋のクラスが出来ました。先生は例によってフェドセーエフさんとシュピリョーフさん。週2回夕方2時間の授業だそうですが、私が行った時の生徒数は登録メンバーが18人、常時出席者は5〜6人とのことでした。
ここでは、シュピリョーフさんが厚紙で将棋の大盤と大駒を作り授業に使っています。私は2人に6枚落ちで1人には8枚落ちで対局してきましたが、3人とも非常に熱心でした。
(4)ラヂヤ・クラブ
このクラブは繁華街の近くで交通の便の良いところにありますが、近々どこか別のところに移らなければならないそうで、来年はもうここには無いことになるでしょう。 ここで一番将棋の強いロシアの人は大御所のフェドセーエフさんやシュピリョーフさんを引き離してヴィクトル・ザパラ君という17才の少年です。彼はインターネットの将棋道場で4千局以上対局して強くなったと言われています。現在は働いているとかであまり顔を合わせないのですが、昨年8月に私が一敗地にまみれ、今年も到着早々返り討ちにあってしまいました。負け惜しみを言わせて頂くと、決して勝てない相手とは思っていませんが、持ち時間20分の将棋ではなぜか私にミスが出て彼の若さにやられてしまったのです。
いつも顔を出す常連としてはシュピリョーフさんの他、コンピューター専門学校の先生をしているミハイル・ヴォルフソンさん、棋歴は浅いが日本語勉強中で研究熱心なアントン・カトコフさん、チェスプレーヤーで直近に将棋を始めメキメキ上達しているアレクセイ・オサドチーさん等がいます。
アントンさんと6枚落で対局した時、途中から何と下手に入玉されそうになり大いにあわてました。発想が変わっていると言っては失礼でしょうか。図を見て下さい。下手の飛車がヘンなところに居ますがこれは数手前に▽5七歩と叩いて吊り上げたためです。ここで下手が▲4八玉と上がりました。ハハァ、ここで居玉を解消して玉を囲うのか、なかなか感心と思って▽8四銀とすると、次に▲3八玉でなく▲3七玉と上がってきました。アレー、これはもしかすると入玉狙いの幻惑戦法かと、半信半疑でとにかく上手のガラ空きの左翼に応援隊を繰り出すべく▽6三金と引きました。すると▲8八角▽6四金寄の交換後にやっぱり▲2六玉と更に上がって来たのです。これはもう金の転回は間に合わず▽3四銀と打つ1手です。このあと直ちに▲1五歩と伸ばされていたら成香が出来てそれを引かれたりして、紛糾したかも知れませんが、飛車を1筋に持ってくるのに時間がかかって金が間に合ってしまいました。でも、こんな経験は初めてのことでした。
(5)フリースタイル・カップ
既にご存知の方も多いと思いますが、静岡大学の元プロ棋士飯田弘之先生がドイツの大学の先生と共同で、将棋フリースタイル・カップと称して、コンピューターと人間の意志を自由に組み合わせて行う団体トーナメントをインターネットを通じて国際的に開催する試みを提案されました。2004年度として日本から2チーム、ベルギーから1チーム、そしてここサンクト・ペテルブルグから1チームが参加したのです。我がロシア・チームの名前は当地にたくさんみられる菩提樹の名を採ってリンデンです。持時間は各1時間半で秒読み30秒。
第1回戦は7月17日の土曜日に日本チームとの対戦でした。時刻は午後4時からでしたが日本では午後9時の筈です。私も招かれて見学に参りましたが、場所はヴォルフソンさんが講師をしているコンピューターの専門学校の中でした。指し手の決定は一番強いザパラ君。3、4人のメンバーが夫々自分のコンピューターの前に座って色々意見を言います(写真)。一方、別にコンピューターソフト(特に名を秘す)を使って時々刻々コンピューターの意見を表示させます。ロシア語が活発に飛び交って緊張の連続でした。私も継盤で駒を動かし、この歩を突き捨てるのが筋だと意見をいうと、今か、それともアトか、とせっつかれてチームへの参加を余儀なくされました。相手チームは個人でしたがコンピューター3台を使っているとの情報もあり結局この試合は勝てませんでした。でも、その後別の日にベルギー・チームに勝って大いに意気が上がりました。優勝賞金は1千ユーロ(約13万円)だったんですけどね。残念!
(6)白海の港町アルハンゲルスク訪問
北緯65度、ロシアの白海に流れ込むドヴィナ川の河口にアルハンゲルスクという大きな港町があります。人口は42万。ロシア革命の際に英軍が進駐して使われた戦車の実物が展示されていました。また、近くのスヴェルドヴィンスクには潜水艦基地があり、原子力潜水艦クルスクの遭難碑も建てられています。サンクト・ペテルブルグから1,231キロ、列車で26時間かかります。
こんな北の果てにもロシア人の将棋プレーヤーが居るのは感激です。サンクト・ペテルブルグ在住の将棋の仲間でおなじみのシュピリョーフさん、昨年ウクライナで英露の通訳をして頂いたダニル・クリンさん、それに、連珠の方が得意でも将棋もなかなかのパヴェル・サリニコフさん(平手はともかく、私はこの人に角落ちで負けてしまいました)、この3人と一緒に夏休みを利用して訪ねることにしました。
寝台列車の中、4人部屋のコンパートメントでは勿論将棋です。ある時は二人で或る時は四人とも、寝食は忘れませんでしたがずっと将棋漬けでした。
目的地で訪ねた人はセルゲイ・アンドレーエフさん。モスクワの大会にも一度顔を出したことがあり、シュピリョーフさんとも顔見知りです。新聞記者で24歳。本とインターネットだけで将棋を勉強したのだそうです。この地には日本文化に興味を持つ若い人たちのサークルがあって、それぞれ皆夢を持ちながら色々なことを実行しているのです。日本人はこの町に一人いるそうですが、本当かどうかわかりません。
私はこの人と6枚落ちで対局しましたが、他にもう一人若いアンドレイ・クズネッツォフさんも同じくらいのレベルのようでした。そして更に3人の若者に将棋の手ほどきをし、お土産にロシア語の将棋の厚い本1冊と初心者用の将棋の指し方の本3冊を置いてきました。これらの本はモスクワのアレクサンドル・ノソフスキーさんが、ロシアで将棋を普及させるために発行しているものですが、特に厚い本の方は860ページもあり「谷川流攻めの手筋」の一部ロシア語への翻訳を行うに当たり私も原著者の了解を得るために尽力したもので、ロシア語で書かれた初の技術的教科書と言えるものでしょう。
セルゲイさんから彼の職業上のインタヴューも受けましたので新聞に載れば将棋に興味を持つ人が更に増えると期待しています。なお、若者の一人ドミトリー・ジノヴィエフさんはロシア語を勉強したい人とEメール又は手紙で文通をしたいそうなので希望者が居れば仲立ちを致します。
(7)ポデュガ村にて
アルハンゲルスクに行く途中にカノーシャという町があり、そこから車で1時間の場所に人口3千のポデュガという村があります。村には川のかたわらに広大な敷地の青少年キャンプ場があり、この中に木造平屋の大きな建物が点在していて夏休みには大勢の子供達が1ヶ月ずつの共同生活を営むシステムがあります。この村にはホテルが無いので私達はキャンプ場管理棟のベッド兼用長椅子で夜を過ごしました。
この小さな田舎の村にも将棋を指す人が住んでいるのです。住んでいるだけでなく村中の子供達を集めて(あ、これは一寸大袈裟ですが)、自宅を開放して将棋を教えているのです。この人の名は、イリーナ・メトレヴェーリさん、40才。連珠の女性前名人で3年前に日本で連珠のトーナメントに参加したことがあり、その時に将棋を初めて知ってそれ以来、連珠の他に将棋も子供達に教えることになったのだそうです。家の中に入ってビックリ。20人くらいの子供達が連珠トーナメントの真最中、持時間各15分で毎日開催の由。コンピューターも3台あり、5才くらいの小さな子供はいわゆるテレビゲームを楽しんでいました。勿論、大きい子供はコンピュータで連珠の研究をしています。
私達が到着してからキリの良い所で今度は将棋のトーナメントに変わりました。さすがに将棋の出来る子供達は連珠より少なくなり、メトレヴェーリさんを含めて7人くらいに減りましたが、私達4人と対抗戦をするには充分です。私は4枚落ちや6枚落ちで主に指しましたが、全員玉も囲うし全部の駒を使ってくるのには感心しました。
ここでメトレヴェーリさんとの4枚落ちを一局紹介しましょう。図(次頁)は下手▲6二歩の王手に上手の玉が6一から▽5二玉とかわしたところです。下手快調に攻めてここで何かあれば戦果があがります。実は下手が▲4四角と歩を取って8八から飛び出してきた時、上手の玉は5二に居て▽6一玉と下手の▲7一角成を眉間で受けていたのです。何とかして角が成れないものか、▲6二歩と打ったものの今度は自分の歩が邪魔して角が成れません。ここでメトレヴェーリさん大長考。あと一押しなんですが、うまくいきません。長考の末ついに先ほど打った6二の歩を▲5一歩成と斜めに捨ててきました。これは大変。確かにこれを同玉と取れば▲7一角成が実現します。必死に考えると時折こういうことが起こるんですよね。私も昔1六の角を7一に成り込んだ経験があります。この時相手は気が付かず対応を必死に考えていました。私も勿論気が付きません。これで詰みだなんて読んでいたものですから。見ている人に指摘されて初めて両対局者が顔を見合わせたものでした。でも歩の斜め歩きはバレバレです。
将棋はチェスとは違うからなどと言って注意すると、ア、エックスキューズ・ミー、ということでやり直し。そしたらここをいじるのはあきらめて、▲2九飛と飛車の転回を図ってきました。強い!。この手は当面6,7筋へ圧力をかけるつもりでしょうが、1八香から1九飛と1筋攻めも見せています。2五桂跳の可能性を残して歩を2六で止めてあるなんて出来過ぎで、こうなると上手の1筋は持ちません。ハップニングは別にして実に筋の良い将棋です。特に上手が▽6一玉と▲7一角成を防いだとき、金で取れない▲7四歩と打ってきて▽7二歩と受けさせるなど手筋にも通じています。ただこのアト上手の奸計に遭って角が死に、メトレヴェーリさんにとって残念な結果に終りました。普段は専らコンピューターで将棋を指しているとのことでしたので、実戦経験が少ないとどうしても勝負将棋に弱くなるのは避けられないようです。
ひと通りの対抗戦を終わったあと、せっかくなので時間の許すかぎり基本手筋などを教えたところ、ニコライ君は特に食いつくように聞いてくれましたので、帰ってしまうのが勿体無いような気がしました。勿論、本などはアルハンゲルスクと同じようにお土産で置いてきましたので、自分で勉強してくれるとは思いますが。
翌日の朝食後、川のかたわらを散歩しているとキャンプ場の大勢の子供達に囲まれて日本語のサインをねだられ、ベッカムもかくやという心境でした。お別れの寸前まで若いクリンさんは集まった子供達に将棋を教えていましたが、現地の人が熱心に普及活動をしてくれる姿は本当に頼もしいものです。
泰山鳴動ねずみ十匹
ロシアの古都サンクト・ペテルブルグ市の学校で将棋を教えることになり4月に着任しました。その学校は4年前に「将棋を世界に広める会」の団体ツアーで訪れたことのある第83学校、別名「薔薇の学校」です。1年生から11年生まで合計丁度千人が勉強しています。(鈴木良尚)
ロシア人の将棋の先生が辞めて1年、新しい日本人の先生が来るというので、大袈裟に言うと学校中が、ショーギ、ショーギ、の一色だったそうです。勿論、課外授業であってクラブ活動のようなものですが、校長先生とは以前にお会いした時、受講希望者78人と言う数字を聞かされてビックリ仰天、野球部やサッカー部でもないのに監督一人でどうやって教えるのか悩みました。しかも5年生から8年生までと区切ってこの結果だそうです。
大部分は将棋について何も知らない未経験者で少数が経験者とのこと、これはクラスを分けないことにはどうにも出来ません。 初日学校に出勤してかつて見覚えのある講堂に入ると大勢の生徒が椅子に座って待っていました。そこで挨拶のあとすぐさま授業開始です。とりあえず、将棋を指せる人、チェスなら指せる人、両方出来ない人、に分けて手を挙げさせたら全数60人で三分の一はチェスが出来ると言い、将棋経験者は3人だけでした。日本からビニールの大盤を持って行ったので、とりあえずその3人を前に出させて駒を並べさせたあと駒の名前を覚えてもらい、一旦崩して次に5人ずつ前に出させて駒を並べてもらうと皆嬉々としてやっていました。
ここでまた人気上昇したのかその日の夜、更に希望者が増え101名になったという知らせが入りました。そこで経験者3人には授業中の前半にリーグ戦をやらせ、その間初心者に講義、後半は初心者には宿題を出して帰宅させ、経験者だけに少し手筋など教えると言う計画をたてました。
2回目の授業はこれで行こうと決めて翌週学校に着いてから講堂に行くと誰も居ません。どこかしらとウロウロしていると、こちらですと案内してくれた所が普通の教室で生徒が12名待っていました。あれっ、どうなっちゃったの?、と不審に思ったわけですが、とにかくやることだけはやって、あとから先生に聞いてみたら説明をしてくれました。実は学校側としても課外授業の人数が片寄ると困るのだそうで(もっともです)、他に、器楽、合唱、劇、ダンス、絵画、生花、折り紙等々の科目があり強制的に振り分けて人数調整をしたのだそうです。そして将棋は何人くらいが教えるのに適当か、との御下問がありました。そこで、20人位までと言わせて貰い、やれやれ助かったと感じた次第です。
実は第1回目の時、次回までに厚紙で各自盤駒を家で作ってくるよう、黒板に絵を書いて説明したのですが、殆どの生徒が怠けて作って来なかったのでそれも選考の基準にしたもようです。
お陰で残った生徒は皆熱心でやりやすくなりました。よかったー。なお、3回目の授業は10人でした。
タラソフ先生
「薔薇の学校」では400人の生徒が日本語の科目を選択しているそうです。でも、低学年ではもっぱら歌を歌ったり折り紙を折ったり、楽しみながら日本語を学ぶ事に重点を置いているので、こんにちわ、とか、さよなら、は言えても日本語は全く通じません。高学年になってようやく一口話とか劇とかを習いますが、どうしても一つ覚えの域を越えることはむつかしく、総合的会話はとても出来ません。そういう意味では日本語学校なら楽が出来る、と思っていた部分がオジャンになっていました。
同じように英語なら通じるだろうと言う考えも甘い考えで、第一、校長先生が英語不得意ときて、やたらドイツ語で話しかけて来るのには参りました。ドイツ語が好きなんだそうです(一寸オタクみたい)。家でも子供にドイツ語を教えていました。この時ほどドイツ滞在5年間の昔を幸運に感じたことはありません。
ロシア語だけでたたみかけて来られたら、私の方が、こんちわ、ありがと、いくらですか?、のレベルですから立ち往生してしまうところでした。まあ、どっちにしても限りなくチンプンカンプンに近いということには、あまり変わりはありませんけど。副校長先生も日本語教師と聞いていたのに全く日本語では話しかけてきませんでした。
そういう中で助けの神が現われました。タラソフ先生という日本語の先生が一緒に授業に立ち会ってくれるというのです。助かったー、これでパントマイムをしないでよくなったと喜んでいたら、この先生、将棋はおろかチェスもまったく知らないというのです。何か王様を「とりこ」にするんですか?、と仰せられる。でも、ここで贅沢は言えません。まずこの先生に将棋を覚えてもらうこととし、もっていった初心者用の教材を全部渡して勉強してもらうことにしました。
それにしてもこの先生、私の日本語を正確なニュアンスで本当に訳してくれているのかしら、不安です。というのは自分の持っている日本の品物の説明書を持参して来て読んで教えてくれと言ってくるのです。どうも漢字混じりの文章は苦手みたいでした。となると、漢字で表現する熟語をしゃべった時、正しく訳して言ってくれているのかどうかわかりません。
そういえば時々「エッ」と聞き返してきます。この先生に日本語の試験をしようかと思いましたが、そんな失礼なことは出来ません。まあいいや、国際会議で通訳してもらうわけではないから、これでいいことにしようっと。
どんな所に住んでるの?
次に将棋を離れてロシアでの生活をご紹介しましょう。市民はすべて例外なく大きな高層建築の集合住宅に住んでいます。道路沿いの場合1階が何かの店や事務所になっている所もあり、2階以上が住居で古い建物で5階建て新しい建物で15階位というところでしょうか。日本の若葉台とか高島平とかの大アパート群を想像して頂けば良いでしょう。冬が寒いため集中暖房をする必要があるからです。熱水供給センターが市内を区切って沢山あるそうですが、何年か前に一度マイナス35度の寒波襲来を受けて地下の熱水供給管が凍りつき、震え上がった住民が一斉に電気ストーブを利用したため、今度は電気施設が過熱して停電となり大変だったそうです。
でもそういうことはニューヨーク大停電のように滅多に起こるわけでもなく、一軒家を個々に暖房しなくて済み家の中では下着で居られるくらい暖かいのは日本の木造住宅の冬の寒さに比べて格段に暮らし易いと言えるでしょう。緑の公園も沢山あって散歩などリラックスするには好適な環境です。
何を食べてるの?
普通の日本人が海外に居住して一番困るのが食事が異なることです。ある日の献立;茹でジャガイモに豚肉ソテー、生野菜として胡瓜、トマト、赤ピーマン、それに硬い黒パン、チーズ、紅茶、といったところで別の日は、ビーフ野菜スープ(肉片、ジャガイモ、人参、キャベツ、玉葱、香草入り)、鶏のササ身グリルに刻みサラダ(トマト、胡瓜、白菜、赤ピーマン)のタップリ付け合せ、白パンバターそれに紅茶、更に別の日は、フレンチフライポテトにカツレツ、ということもあり、鶏の丸焼き(家族で切り分け)もあります。
これらは私が自分の住居に入る前に寄宿したイゴールさんの家庭の献立ですが、要は主食が肉とジャガイモです。卵もジャガイモとかキャベツとかと一緒にして卵焼きにして食べます。当地の胡瓜はズングリした形ですが味は同じでした。なお、米を食べないとダメな人は当地で生きては行けません。イゴールさんは大の日本通で小さな日立製の炊飯器を持っており、私のためにご飯を炊いてくれました。そして驚いたことに生卵をご飯に掛けそれに醤油を掛けてかき混ぜて食べるのです。
生卵を食べる外国人を初めて見ました。でもその卵の黄身は気味が悪いくらい(しゃれではありません)カロチンの橙色が全く無いことが多く、うすーい黄色そのものなのでとても生で食べる気がしませんでした。白身も日本の新しい卵のような弾力性が無くてドロドロと流れるようでした。米はロシア製のクラスノダルスキーという銘柄が丸型で日本の米と形が似ています。醤油は小さな日本用品店でキッコーマン1リットル入りが294ルーブル(約1200円)で買えます。たとえ米が炊けても日本的おかずが全く見当らないところが問題で私はご飯に醤油を掛けて食べました。でもボルシチを作ってもらった時は飛び上がるほどおいしく、ロシアに来たらやはりロシア料理を食べるのが一番ですね。
カラシニコフと用心棒
イゴールさんの住むアパートの入り口の扉は重い鉄板で厳重に閉ざされています。そしてその扉には10ヶのポッチが付けられてあり、特定の3つを同時に押せば扉が開けられるようになっています。その扉を利用する20家族がその番号を知っているわけで外部からの侵入者に備えています。中に入ってからは20家族の20の玄関扉が1階当たり4つずつあるわけですが、それもまたすべて鉄板か厚い木で出来ています。まるで要塞みたいに感じました。
特にイゴールさんの家の玄関扉は厚い黒い鉄板製で銃弾を打ち込まれても大丈夫のように出来ていました。そして更にもう一枚の木製の扉がそのすぐ後ろにありつまり二重扉なのです。でもそんなことで驚いてはいけません。カラシニコフも備えられていたのです。ここ10年は必要なくなったそうですが、生まれて初めてホンモノのカラシニコフを持たせてもらいました。ずっしりと重く感じました。なお、アパート全体の住所は建物に記してありますが、表札というものがどこにも無いので、どの扉の向こうに何と言う人が住んでいるのか、全くわかりません。これもよそ者を寄せ付けないための用心には役立っています。
それから、イゴールさんが事務所を借りている街中のビルも、表の扉を入ると用心棒が一人待っていましたし、日本人用のお土産店の入っているビルにも表に一人と中に一人と計二人が立っていました。
また、郊外にある家庭電器製品、じゅうたん、衛生陶器、建築用タイル、カーテン生地などを売っている建物にも、制服が一人と店員を兼ねているらしい屈強なわかものが一人、警戒しています。この辺は皆物盗りのための見張りなんでしょうか、あまり気持ちの良いものではありません。勿論、私の通っている学校も玄関の扉の前には、扉に近づけないように錠付きの丈夫な金網の大きな囲いがあり、扉を入った所には一見優しそうには見えるものの、あまり愛想の良くない制服のガードマンが頑張っています(他に入り口はありません)。
最近出来たハイカラなマクドナルドの店には店員とは異なる制服を着た女性がそれとなく周囲を見廻していた姿が気になりました。写真を撮ろうと思ったのですが、こわいのでやめました。
温度と湿度
サンクト・ペテルブルグ市の位置する地球上の緯度は世界地図を見て頂ければお分かりのように北緯60度です。日本の北の方で言うと樺太を越えてはるかカムチャッカ半島の根元あたりに相当します。ですから、かなり寒い気候なわけですが、土地の人に言わせても5月はまだ寒いと言っていました。
5月の平均気温11度、但し、5月に限らず温度のフレが大きいのが特徴です。ある日20度まで上がったと思うと突然次の日に2度まで下がるという事も起こります。従って、人々はその日に応じてコートを着たり半袖になったり、こまめに着替えないと風邪をひきやすくなります。でも家の中にいるといつも暖かいので、今日は外が寒いのか暖かいのかわかりません。
そこで3チャンネルのタウンテレビをつけると24時間いつも画面右下に外気温が表示されることになっています。それを見れば外出用の服装が選べます。但し、月曜の午前中はそれが表示されないのですが、理由はわかりませんでした。
それから、これは北ヨーロッパ全体に言えることですが、乾燥性気候なのでいつも日本に比べて湿度が低いのです。梅雨のあの生暖かいじめじめした季節を思うと天国のような晴朗さです。洗濯物も家の中のドアの上の方に引っ掛けて置くと直ぐ乾いてしまいます。タオルや布巾もその辺に放っぽっておくと知らないうちに乾いています。台所で洗ったお皿類も直ぐ乾くので台所用皿乾燥機が売れない事は確かです。喉や鼻も乾燥してくるのが実感として感じられますが、慣れているのか誰もうがいなどしているところを見た事がありません。土地の人でも気圧が急に低下した時には、頭痛がするとか身体の調子が悪くなって学校を休むことがよくあります。
コマルは困る
4月30日の夜ビックリする事が起こりました。部屋の電気を消してベッドに横たわり、しばらくすると耳元でブーンという蚊の羽音がするのです。急いで自分の耳をピシャリと叩いて、あれは本当に蚊の音だったんだろうか、と自分の耳を疑いました。まさか、まだこんな寒いという季節に部屋の中に蚊が入って来るなんて考えられません。外は昼間でもせいぜい10度です。
もしかしたら何かの幻聴だったのかも知れない。年をとるとそんな事が無いとは言えないと考え、しばらく耳を澄ましてジッ
としていると、再び耳元でブーンという音。これは確実に蚊です。日本の夏の寝入りばなによく悩まされたあの懐かしい嫌な音。 再び耳の辺りをピシャリとやって果たして戦果が挙ったかどうか。こんな北国の寒い季節に蚊に悩まされて眠る事が出来ないなんて、寝耳に水、いや寝耳に蚊です。そこで電気を付けて再び現われるのを待つ事としました。
しかし、敵は待ち伏せを悟ってなかなか出て来ません。念のためにベッドの下とか椅子の下辺りを捜索してみましたが、発見するのは困難でした。あきらめてうつ伏せになってしばらく待っていると、アッ、来た! でも、うつ伏せだからよく見えません。闇雲に耳の辺りを一発叩いてパッと起き上がったのですが、動体視力の衰えた年寄りの目では敵がどこにいるのかわかりません。これはトラブルです。でも家主を叩き起こすのも気が引けるので,ここは一転あきらめることにしました。一回だけタップリ血を吸わせてやれば何回も襲撃には来ない筈です。もう眠らせてくれー。疲れて寝てしまいました。
今年10月の国際フォーラム参加(ロシア代表)をかけての戦いだ。
1月5〜6日の2日間で7回戦を消化。
優勝のセルゲイさんは、7連勝という素晴らしい内容だ。この棋譜の一部は、NHK将棋講座5月号に掲載した。またこの原稿のロシア語訳にしたものを、モスクワの世話役へ贈った。今後も海外のビッグゲームには、このようなサービスをしていきたい。(棋譜表記は、外国人が少しでも読めるように、算用数字のみにしてみた)(湯川博士)
力強く、粘り強いロシアの将棋
▲ユーリー スピレフ
△セルゲイ べロフ (5回戦)
▲26歩 △34歩 ▲76歩 △44歩
▲48銀 △32銀 ▲56歩 △42飛
▲68玉 △62玉 ▲78玉 △72銀
▲58金右△71玉 ▲36歩 △52金左
▲96歩 △94歩 ▲25歩 △33角
▲16歩 △14歩 ▲68銀 △82玉
▲57銀左△56歩 ▲68金直△43銀
▲46歩 △12香 ▲37銀 △22飛
▲26銀 △24歩 ▲同 歩 △同 飛
▲25歩 △23飛 ▲35歩 △45歩
▲33角成△同 桂 ▲34歩 △同 銀
▲32角 △22飛 ▲54角成△42飛
▲35歩?(第1図)
[研究室・棒銀はさばきが目標]
▲35歩?
(1)先手は棒銀をいかにさばくかがテーマ。3筋は棒銀や飛車をさばく筋なので、ここへ歩を打っては、味方の駒の動きを邪魔することになる。
(2)いったん交換した歩は、むやみに打ってはいけない。もっと有効な活用が将来出てくる可能性があるので、なるべく歩を打たない方向で手を読む。チェスで言う、オープンファイルにしておくのが最善だ。
☆ここでは、▲55馬か▲38飛のように、後手3筋の銀・桂を狙う。
次には、▲35銀と出て、棒銀のさばきを実現させる。
第1図から、
△43銀 ▲55馬 △44銀 ▲66馬
△46歩 ▲34歩 △47歩成▲33歩成
△同 銀 ▲46歩 △58と ▲同 金
△44銀 ▲24歩?!△22歩 ▲37銀!
△36歩?▲同 銀 △43飛 ▲45歩?
(第2図)
[研究室・駒の活用と歩の使い方]
▲24歩?! ▲38飛と、早く飛車の活用をはかりたい。
▲37銀! 棒銀がさばけなかったので出直し。銀の活用の好手。
△36歩? 不要な歩のたたき。1歩損した上、先手の銀を働かした。
▲45歩?
(1)後手の飛車・銀はさばきが難しい状態なのに、先手は▲45歩と突いて働かせてしまった。お手伝い。
(2)ここは後手飛車・銀に触らず、▲37桂と遊び駒の活用を図るところ。
☆具体的には▲45歩では、▲23歩成△同歩と2筋を軽くしておき、次に▲37桂が好手順になる。右桂がさばけてからは▲45歩の狙いもあるし、のちには、▲95歩△同歩▲93歩の端攻撃も可能だ。
第2図から、
△45同銀▲同 銀 △同 飛 ▲46歩
△35飛 ▲37歩 △55歩?▲23歩成
△43角 ▲44銀?(第3図)
[研究室・攻撃手順の考え方]
△55歩? ここは△38歩が有効な手段だ。次に△39歩成〜△29と〜△37飛成を狙う。
▲44銀?
(1)次に△25飛(飛車交換)が予想され、▲44銀は空振りになる。後手からは、△65金〜△56歩の攻撃が見えているので、両方の攻撃に耐える指し方を考える。
(2)▲44銀では、▲12とで香車を取っておく手が、△25飛を防ぐ手にもなるし、と金の活用にもなる。▲12と以下、△65金▲44銀△66金▲同銀△25飛▲26香で、先手勝てる。
第3図から、
△25飛 ▲26桂 △54角 ▲17桂?
△23飛 ▲55馬?△76角 ▲77歩?
△69銀 ▲同 玉 △87角成▲78銀?
△88馬 ▲68銀 △57歩?(第4図)
[研究室・中央攻撃と早逃げ]
▲17桂?
(1)▲55歩(角取り)とすれば、終わっていた。以下、△39銀(飛車取り)の反撃には、▲54歩△28銀成▲53歩成と進み、後手陣の中央にと金が出来ては、先手の勝ちである。中央に手があるときは、端より有効だ。
(2)▲17桂とすることによって、後手は幸便にと金を取りながら△23飛と引けた。これもお手伝いになった。
▲55馬? ▲55歩△21角▲25歩として、次に▲34桂〜▲24歩を狙ってゆけば、先手の駒が全部生きる展開になった。窮屈な28飛車と26桂が働ける形を考える。
▲77歩? 不必要な歩打ち。持ち駒を使うかどうかの局面では、まず使わない方から考える。この局面は明らかに打つ必要がない。
ここでは▲33銀成が正着。遊んでいる銀を使い、後手の飛車を取りにいく1石2鳥の手となる。
▲78銀? 持ち駒を使わず、▲59
玉と早逃げ。終盤玉を守る場合、(1)自分の城を補強する(2)味方のいるほうへ逃げる(3)敵陣へ入る・・・などがあるが、この局面では(4)味方のいるほうへ逃げるが正解。
本譜は、自分の城を補強する方法を選んだが、補強した部分(銀)が攻撃目標になって受けが利かなくなった。▲59玉と逃げることで、後手の攻撃から身をかわすことができる。
[研究室・大駒の活用と持ち駒の使い時]
△57歩?
(1)無駄な歩打ち。先手は[歩切れ]という重大なピンチなので、貴重な歩を与えてはいけない。
(2)ここでは△38金!(A図)▲同飛△26飛がいい手。
金を捨てても飛車を活用させたほうがいい。大駒(飛・角)の活用は非常に大事で、活用できる場合は一時的な駒損はかまわない。この場合先手は歩切れで飛成りを受けるのがたいへん。△26飛のあと▲28金?と受ければ一転して8筋から△86桂と打てば先手受けに窮する。
23飛が窮屈な形で活躍できず、取られるかもしれない。その飛車が出世できるチャンスには、思い切って駒を使ってあげたい。
☆チェスにはない[持ち駒]の使い方は難しいが、お金の使い方と似ている。ふだんはなるべく節約したいが、ここいちばんという急所では思い切って使いたい。A図の局面はまさにここ一番の使い方だ。
第4図から、
▲57同金△42金 ▲97香 △87金
▲79銀 △78金 ▲同 銀 △38歩
▲79金 △98馬 ▲25歩 △39歩成
▲34桂 △43金 ▲24歩 △44金
▲同 馬 △43飛!▲同 馬 △同 馬
▲22桂成△16馬!▲25桂 △49馬
▲59金?△38馬 ▲同 飛 △同 と
▲68玉 △48銀 ▲同 金 △同 と
▲69金 △88銀!▲29飛?△38飛
▲27角 △58金 ▲同金引 △79角
(投了図)まで134手で後手の勝ち。
[研究室・大駒の活用とかわしの技術]
△43飛は馬の筋を生かした好手、見事な大駒活用だ。
△16馬は、大駒のダイナミックな活用。
▲59金? ここへ金を使っても目標になるだけ。ここでは、持ち駒を使わず、▲87銀と玉を広くしたい。
△88銀! 左右挟撃の見本のような好手。
▲29飛? 受けに飛車を打つことは非常に危険。目標にされ、相手に取られやすいからだ。ここでは、▲66歩と玉の脱出口を開けるくらいか。
[全体の印象]
ロシアのチェスプレーヤーに、ニムゾビッチがいる。彼は受けに強い形を創ったことで有名だが、この将棋も随所に受けの強い精神を感じる。
盤上の駒が取られぬような手が指されている(△12香や▲97香など)が反面、持ち駒を浪費する局面がよく見られる。
受ける=持ち駒を使うのではなく、玉が体をかわす術も覚えてほしい。
攻める=持ち駒を打つのではなく、盤上の駒で間に合わせる術もある。
全体に力強く粘り強い長所もあるが、今後は重い攻めと受けから、軽い攻めと受けの感覚を身につけてほしい。
随分前、およそ20年ほど前のことだったと思います。偶然不思議なものを見つけました。それは将棋の王将でした。
しかしその時は、将棋について何も知りませんでした。日本の統治下にあった南樺太生まれの韓国系ロシア人の友人に尋ねたところ、それは日本の将棋の駒だと言いましたが、彼もそれ以上のことは知りませんでした。(レフ・キスリウク(ウクライナ))
それ以来将棋についてもっと知りたくなりました。そこでいろんな雑誌の記事を探しましたがなかなか見つからず、そして10年程がたってしまいました。
時々雑誌の記事を探しているだけではだめだ、もっと熱心に探さなくてはと、図書館の蔵書カタログを調べ始めました。とうとう二冊の本を見つけ、ペレストロイカのはじめの頃にはそのうちの一冊を買うことが出来ました。それで将棋を勉強しましたが、将棋を指す相手がいません。そこで数名に将棋の指し方を教え、そして将棋の記事や本を書きました。
CIS(バルト諸国を除くかってのソ連)では、50名位が将棋を楽しんでいると思います。将棋を指している人は3グループに分かれると思います。
(1)スポーツとして楽しむ人びと(もちろん女性も含まれます。)
(2)自由になる時間に将棋を楽しむ人びと
(3)将棋を通じて日本を学び日本を理解しようとする人びと
(1)の人びとはまずまず安定していて将棋を続けています。しかし(2)と(3)の人たちは非常に変動します。私は(2)と(3)の人たちにより興味をもっています。私自身は変わらずに将棋に興味を持ち続けていますが。私たちは時々将棋大会を開催しています。また国際将棋大会にも出かけています。私たちのクラブには盤駒がおよそ20組と何冊かの将棋の本があります。しかし将棋の盤駒を個人で持っているメンバーは非常に限られます。
(3)に属する人たちは難しい条件に置かれています。それは将棋の歴史、日本文化における将棋の地位それに将棋とほかのゲームとの関係などに関する図書がロシヤやCISにはまったく見つからないからです。ですからこうしたテーマの書籍の名前を教えて頂ければ非常に有難いと思っています。こうした本がモスクワで見つかればと思っています。
しかしそれは非常に難しいことなのでしょう。またそうした本は日本語で書かれているのでしょう。しかし将棋を指すことが好きなだけでなく、歴史的、文化的、民族的そしてほかの人道的観点から将棋に興味を持っている方をご存知でしたら、その方に私の住所を教えて下さい。おそらくいろいろな実りのある意見交換が出来ることと思います。最後にもうひとつ質問です。将棋をオンラインで指せるインターネットサービスを教えて下さい。
5月25日、クチユベイ宮殿で3面指し対局。『バラの学校』の生徒、モスクワからかけつけた強豪、ペテルブルグ代表たちのお相手した。
ロシア語通の舘裕さんが慣れない記録係を勤めてくださった。生徒諸君は猛烈な早指しであるから、指し手を書きこむことは大仕事、ご苦労様。ここでは六枚落ち2局。短評を記す。
六枚落ちは、飛車、角、香2枚、桂2枚合わせて6枚落とす。駒落ちはすべて上手が先手、六枚落ちで原田に勝つなら「立派な初段」と認めるつもりであった。(九段 原田泰夫)
平成12年5月25日
クチユベイ宮殿
六枚落ち
・原田 泰夫
・パフムコフ
【初手からの指し手】
▽2二銀 ▲2六歩 ▽8二銀 ▲2五歩
▽3二金 ▲1六歩 ▽7二金 ▲1五歩
▽5二玉 ▲1七香 ▽3四歩 ▲1八飛
▽4四歩 ▲1四歩 ▽同 歩 ▲同 香
▽4三玉 ▲1二香成▽3三銀(第1図)
<第1図>
ここまでは100点
初めて日本語学校を訪問して六枚落ちで指導した。その折、上手陣の攻略法を示したのでその順で破られた。
上手は・2二銀1枚。下手は1筋に飛車と香の協力で2枚。(数多ければ攻め勝つ)道理、原田が原田に六枚落ちで指している気分で笑ってしまう。とにかくここまでは下手100点満点だ。
【第1図以下の指し手】
▲3八金 ▽5四歩 ▲6八金 ▽7四歩
▲5六歩 ▽7三金 ▲7八銀 ▽7五歩
▲6六歩 ▽7四金 ▲6七金 ▽4五歩
▲7六歩 ▽同 歩 ▲同 金 ▽7五歩
▲8六金 ▽8四歩 ▲7七銀 ▽8五歩
▲9五金 ▽8三銀 ▲8六歩 ▽9四歩
▲9六金 ▽8四銀 (第2図)
<第2図>
想像できない手順
第1図。次の一手をどう指すか。下手の勝ち方はいくつもある。下手の手順だけを示すと、・2一成香〜・1二飛成〜・1四歩〜・1三歩成、「龍とと金の協力」で金銀を攻め、次に・2三と・同金・1三成香・同金・同飛成を狙う。駒得すれば下手必勝。
実戦の下手の手順は、将棋を覚えたばかりの幼年原田はこんなものか。70年前の初級時代、現在では想像できない手順。第1図までの100点の指し手から、疑問手、悪手、減点手、指さないほうがいいという手を指している。いちいち解説しにくい順。
だからこそ六枚落ちの将棋である。
【第2図以下の指し手】
▽同 金 ▲8六歩 ▽8四金 ▲7六歩
▽7八金 ▲9六歩 ▽7六歩 ▲同 銀
▽8八金 ▲7七桂 ▽6四歩 ▲6五歩
▽7四金 ▲6四歩 ▽同 金 ▲6五桂
▽7七角 ▲6八歩 ▽8六角成▲6七銀打
▽6六歩 ▲同 銀 ▽7六馬 ▲6七歩
▽同 馬 ▲6八歩 ▽5八銀 ▲4八玉
▽4九銀成(投了図)
まで77手にて原田の勝ち
<投了図>
下手惜敗
第2図下手の次の一手は・7九角と引き、・1三角成として・5七馬。『馬は自陣に引け』の形にすれば下手勝てる。
実戦手順は、2人がかりで下手負けの順を進めた。序盤で「破り方」を知っているので、これから攻防の手筋をおぼえればよい。
旅行団が寄付した各種の将棋上達法を読んで実戦鍛錬を希望したい。6級と認定。
六枚落ち
・原田 泰夫
・テェリヨーヒン・アンドレイ
【初手からの指し手】
▽2二銀 ▲5八玉 ▽8二銀 ▲7八金
▽3二金 ▲3八金 ▽7二金 ▲6八銀
▽5二玉 ▲4八銀 ▽3四歩 ▲6六歩
▽4四歩 ▲6七銀 ▽7四歩 ▲4六歩
▽3三銀 ▲4七銀 ▽7三金 ▲2六歩
▽7五歩 ▲5六歩 ▽7四金 ▲8六歩
▽8四歩 ▲8七金 ▽7三銀 ▲5七玉
▽5四歩(第1図)
<第1図>
初対面の下手陣
下手の少年は独創力がある。
第1図の駒組みが面白い。4七銀−6七銀型は「ツノ銀」という。牛のツノに似ているからだ。
5七玉の3段玉に左右の2枚金は初めて。63年のプロ生活で初対面の下手の布陣。この少年は建築家を目指したら成功するのではないかと思った。ほんとうは「金銀二分」型はよくない。
【第1図以下の指し手】
▲7六歩 ▽8五歩 ▲同 歩 ▽同 金
▲7九角 ▽8六歩 ▲7七金 ▽7六歩
▲同 銀 ▽同 金 ▲同 金 ▽8七歩成
▲9六歩 ▽8八歩 ▲7七桂 ▽7八と
▲6八角 ▽同 と ▲同 玉 ▽8九歩成
▲4八金 ▽8八と ▲8五桂 ▽8四銀
▲5七玉 ▽7八と ▲5八金 ▽3九角
▲6七玉 ▽8七銀 ▲3八飛 ▽7六銀成
▲同 玉 ▽7五金 ▲6七玉 ▽6六角成
▲7八玉 ▽8五銀 (第2図)
<第2図>
と金で勝つこと
歩の衝突場面で、取る手か、取らない手か、まだ分からない。自陣の三段目に「と金」を作らせてはいけない。「と金は金と同じで金以上」相手に取られた瞬間に歩にかえる。
歩の使い方、と金で勝つこと、駒損をしないことを注意した。序盤の構想をほめたが、1手、1手の価値の差が現れた。
【第2図以下の指し手】
▲6九玉 ▽7六銀 ▲5九玉 ▽9九馬
▲6八金 ▽7七銀成▲6九金 ▽6四香
▲7九金 ▽7八歩 ▲同 金 ▽同成銀
▲同 飛 ▽6六馬 ▲6九銀 ▽6七馬
▲8八飛 ▽4九金 (投了図)
まで85手にて原田の勝ち
<投了図>
今後が楽しみ
前局と同様に本局も上手は1手、1手迫り、下手は負けを早める順に協力しているような指し方である。経験不足なので仕方がない。
眠・休・遊・怠・死の言葉を思い出してほしい。遊び駒を作らない、遊び駒を活用すること。適材適所に駒を運用する方は強い。臨機応変、現場処理ができる人はさらに強い。『バラの学校』から日本将棋の秀才、天才の出現はこれからだ。2年後か3年後を見たい。
本局の少年にも「6級」と認定した。
綿毛
5月20日の夜、白夜のサンクトペテルブルグに着く。午後10時を過ぎてもまだ明るい。目の前を白いものが舞う。なんだろう?手に取ろうとするとふわりと逃げる。雪ではない。薄い綿のようなもの。
バスで空港からホテルへ向う。道の両側に立ち並ぶ白樺。広がる緑の草原にはたんぽぽが鮮やかな黄色を散らしている。けれど、あの綿毛はたんぽぽのそれとは少し違うようだ。
それから2、3日して、わたしたちはおびただしい量の綿毛が浮遊するサンクトペテルブルグの町で、ポプラと呼ばれる樹木(日本のポプラとは少し違うようだ)の、つぼみの先端に綿毛を見つけた。(高橋冨美子)
バラの学校
5月22日。バスでサンクトペテルブルグの83番学校、別名「バラの学校へ」。
「こんにちわ」と笑顔の出迎え。覚えたてのロシア語で「ズトラーストヴィチェ」と挨拶してみる。どっとみんなが笑って一斉に「ズトラーストヴィチェ」。受けた。
ホールで歓迎のコンサートが開かれた。30人ほどの可愛い合唱団が登場。グリーンの制服の生徒に混じって和服を着た女の子が10人ぐらいいる(聞くところによると母親のお手製とか)。鮮やかな着物の色が白い肌によく似合う。日本の歌を次々日本語で歌う。驚いたことに校歌は浜口庫之助の「バラが咲いた」だった。
続いて弁論大会優秀者の挨拶。流ちょうな日本語だ。内容もまとまっていて淀みがない。
日本語で演じられたプーシキンの「金の魚」も面白かった。正直でちょっとたよりないおじいさんと強欲なおばあさん、金の魚の3人の主役はそれぞれに特色を出していて、飽きさせない。
昼食をはさみ4時まで将棋を指す。用意された盤は19面。こちらの人数に合わせて下さったらしいが、生徒の数がそれに満たないようだ。
2枚落ちから6枚落ちでの対戦が始まった。初戦を見た限りでは、日本の大人たちは強すぎて、子供たちが可哀相という印象を受けた。駒落ちで、力の差は歴然としているのだから、もう少し緩めて指してあげたら…。
そこへいくと、さすがは原田先生、少年の力を引き出すように形を作らせて指していらっしゃる。プロの力をあらためて知る思い。
わたしは3年生の男の子と6枚落ちで対戦することになった。セオリー通り端を攻めてくる。仕方がないので端は破らせてと金を作った。受けにまわると受けてばかりいるので、角と飛車を使って攻めるようにアドバイス。彼が二歩を指したので注意したら、女の子に「なぜ彼に指させないのですか」と日本語で咎められた。
終わると観戦していたちょっとハンサムな男の子からプロポーズされる。さっきの子よりだいぶ大人びた感じ。最上級の11年生くらいだろうか?
でももう食事の時間。残念でした。
お昼は清潔な食堂で心のこもった食事をいただく。量が多いのですこしずつ残してしまう。デザートはとうとうギブアップ。ごめんなさい。
トイレはドアも壁もピンク色、清潔に管理されている。水色のトイレットペーパーがかわいい。小さな扉がついているだけなので、使用している人の足が見える仕掛け。窓側の部分には扉がない。合理的なのだ。
廊下には折り紙細工や紙で作った雛人形などが飾られている。失われつつある日本の良さを、この国で伝え続けている人の努力が見える。
食事が済んでから先ほどの彼を捜した。「指そう」というと、にっこりして頷く。
6枚落ちだ。いきなり銀をただで捕られ王手金で虎の子の金を抜かれる。もう、ハンサムな男に弱いんだから。なんとか銀を取り返し、粘りに出る。なかなか詰ましにこない。入玉が出来るかなと思った途端、綺麗に詰まされた。
今度は気を引き締めて盤に向かう。指しあぐねて居る様子だ。飛車を使うようアドバイスする。けれど、2局目はしっかり勝った。
貴族になった気分
5月23日、大和財団を訪問。その素晴らしい歓迎にびっくりした。ピッコロとバイオリン、チェロの室内楽にダンスやソプラノ、バリトンの独唱が続く。男性はカツラを被り、女性は長いドレスをきている。さながら「アマデウス」の世界だ。部屋の作りがいいのか音がとても綺麗に響く。
昼食の時にはこの室内楽に加えて小さなバイオリンの演奏があった。世界でも指折りの奏者との紹介がある。彼はボランティアで出演してくれたという。
たくさんの浮世絵が飾られた部屋で将棋の対局。バラの学校の少年、少女の顔も見える。この日わたしは5人のロシアの人と対局することができた。
はじめは5年生?の男の子と指した。
ロシア語と英語と日本語で話をする。こちらも片言の英語でジョークを交え談笑しながら指す。クルクル良く動く目が印象的。5局ほど指した。2枚落ちの2歩突っ切りの定跡を教えるとすぐ覚えた。これに2局負けると2枚落としてくれという。4枚落ちだ。さきほど覚えた2歩突っ切りの定跡を使ってきた。ただ、王は囲わない。「囲った方がいい」といっても頭を横に振る。彼の意志で指したいのだ。しかし囲わない玉頭から手がついて下手が負け。もう2枚落とせという。
6枚落ちの2局目をはじめる前、腕組みをして「僕は一局勝たねばならない」と宣言した。仕草がユーモラスでかわいい。
終盤、ついに彼の玉は入玉した。こちらは敵陣に竜を作ってはいたが、小駒の数は彼のほうが多い。わたしは彼の頑張りを評価して投了。頭を下げるととても嬉しそう、いい笑顔だった。
次はモスクワから来たノソヴスキーさんと対局した。彼は英語がとても上手。3級とのことだ。駒を落とそうとするとそのままでいいという。わたしが勝って、悪手を指摘すると「分かっていた」と英語で。彼にもプライドがあるのだろう。もう一度と誘ったが、「もういい」と断られた。他の人と指しますかと訊くとやはりもういいという。友人がロシア語に翻訳した棒銀のテキストを手渡される。色々話しているうちに彼は連珠のチャンピオンで、近く連珠の大会で京都に行くという。そうか、彼の本命は連珠だったんだ。
それにしてもモスクワから10時間もかけてやってきて、彼が将棋を1番しか指さなかったのは…わたしの指し方が悪かったのかしら?
ロシアの将棋は今、種まきが終わり芽を出しかけている大事な時期。バラの学校でも、もっとたくさんの子供たちと将棋を指したかった。そして将棋の楽しさを知った子供たちが定跡を覚えて強くなっていってほしい。そのためには良き指導者が必要だろう。せっかく芽生えたものが枯れることなく伸びていってほしいと切に願う。
メモリー
* ネヴァ川の川巡りは楽しかった。川から見た町並みはしっとりと美しくヴェネチュアを思わせる。イサク寺院の聖堂な
どイタリアの建築家によるものが多いせいだろう。
* この旅で観たバレーも踊りも、音楽や歌も水準の高いものだった。厳しい冬がロシアの高い芸術性やすぐれた文化を育むのだろうか?
* 若い女性の美しさに目を見張る。肌も綺麗だし足が長い、スタイルは抜群だ。柔らかな笑顔についうっとり。
* ピョートル大帝の夏の宮殿も印象に残った。ベルサイユ宮殿を模して造られた金ピカの部屋や家具。わたしには少しも美しいとは思えない。人間の飽くなき欲望を見るばかりだ。広い庭は美しく、歩いていて心地よい。新緑の森の小径には日本と同じ種類の草が数多く見受けられた。
最後の自由時間
T氏とふたりで駈け足でデパートを歩いた。道路に沿って細長く並んだ売り場。ところどころにカフェテラスがあり、家具も洋服もすごく安い。通過した地下道では黒人も見かけた。CD が縦につんである(取りにくそう)。辞書も売っている。
ポーチをしっかり握って歩くが、スペインの街をひとりで歩いた時のような危険な感じはない。跪いたおばあさんの目の前の空き箱に小銭が次々と投げ入れられる。日本ではもう見られない光景だ。一般の人々はそれほど豊かではないはず。貧しい仲間として、弱者を思う気持ちがこの街ではまだ生きている。
待ち合わせの時間を間違えてみなさんにご迷惑をかけてしまったけれど、ゆっくりと変わりつつある生のロシアに触れた貴重な1時間だった。
欲をいえばもう少し街をぶらつき、街頭で売っている絵や、似顔絵を描いているところを眺めたり、雑踏の中のカフェテラスにゆっくりと身を置きたかった。
さようなら
いろいろな思いを乗せてバスは空港へ向う。この5日間ですっかり親しくなったネヴァ川ともお別れだ。2度も食事を取ったカラオケ付きのレストラン、美しいマリンスキー劇場やエルミタージュ美術館、そしてあのムソルグスキー劇場とも…。
ダスヴィターニャ、楽しかった日々。ダスヴィターニャ、サンクトペテルブルグ。
おしまいに、参加者それぞれに細かく気を配って下さった原田先生ご夫妻や真田さんご夫妻、荻原さんに、そして初参加のわたしたちを快く受け入れてくださったみなさまに心からお礼を申し上げます。
楽しい旅をありがとうございました。
サンクト・ペテルブルグの露日文化教育財団「大和」が事務所を構える、コッペイ宮殿での将棋教室の一幕です。
「将棋を世界に広める会」の公式行事が済んで、残った時間をせっかくだから普及にあてようということになり
ました。
最後に対局した相手は、長身の青年、23歳のロジノフミーシャ君でした。(細根雄治)
ほかにも700km離れたモスクワから10時間かけて来てくれた方が6、7人いました。知的で面白い将棋は海外の人にも理解してもらえるんだな、という実感を覚えました。
駒を並べて2枚落ちくらいでやってみようとしましたが、彼は平手を希望したので平手で指すことにしました。
3局指しましたが、やはり少し実力差があるようです。4局目は2枚落ちで指しました。
初手から▽6ニ銀、▲7六歩、そこで私が▽5四歩と指したとき彼から、「なぜ皆さんはここの歩を突くのですか」と日本語で質問がありました。
私はそこで「これは次に▽5三銀から▽4四歩と下手の角道を止めて駒組みを楽にする狙いなんだ。だから君は▲4六歩〜▲4五歩と伸ばしてまず角道を確保することが大切。そのあと飛車の活用を図ったり、王様を囲ったりしていくといいよ」と答えました。
一昨年、昨年の中国訪問の際には、子供たちは定跡をある程度知っていましたが、ロシアではまだ囲いの形もあまり知られていないようです。私は彼に、「将棋は王様を囲うことが大事。王様をしっかり守ってから攻めを考えたほうがいいよ」と矢倉囲いと美濃囲いを教えてあげました。彼はノートを取り出し、算用数字と不思議なスペルを書きながらメモをとっていました。
ただ、将棋は局面を判断して、囲いを考えたり、攻め、受けの構想を練らなければいけません。その辺のことを口で説明するのは難しい。経験を積んで学んでいってもらいたいものです。
彼は事あるごとに、自分で考えた質問をし、一生懸命メモを取っていました。疑問をみつけそれについて素直に質問し、ものにしていく。将来彼は強くなる、という確信がもてました。終わりの時間がきたとき、彼は私にサインをと、A4判を差し出しました。そこにこれからも一歩一歩進んでいくことを希望して「前進」と書きました。
ミーシャ君の将棋人生に大輪の花が咲くことを期待します。
サンクトペテルブルグの空港に降り立つと夜11時というのにいまだ明るさを残しているのです。だれかが天を仰ぎ、「白夜だ!」「すてきだね。ラッキー」とささやいた。
鴻巣軍団も北極圏への旅は初めてのため、目の前に見る白夜現象に興奮気味です。街中にポプラと白い花が舞い、ライラックの紫とマロニエの白い花が咲き競い、荘厳さが漂う宮殿や協会に映えていました。(岡野清)
また背筋を伸ばしてさっそうと歩く若者の姿が印象的でした。
我々の行動の中で、道行く人がすれ違いざま必ず振り返ることがありました。原田団長の羽織姿とゲタ履きでかっぽするさまです。カラコン、カラコンと奏でるゲタの音になんとも妙な顔をして見とれているのです。中には、一緒についてくるものさえおりました。
このように御大はいつ、どこへ行っても存在感大であり、素晴らしい国際交流となりました。
サンクトペテルブルグ市立第83学校(通称バラの学校と呼ぶ)を訪問しました。親善の旅のメーンです。
到着すると生徒さんたちが笑顔で「こんにちは!いらっしゃいませ!」上手な日本語で迎えてくれました。
歓迎会では生徒さんたちがすべて日本語でスピーチ、歌、寸劇などを演じてくれました。一つ終わるごとに盛大な拍手がわきあがりました。子供たちがあまりにも素直でかわいく目を輝かせ歌い、話す姿に目頭が熱くなりました。
ナタリアベ校長、カリニナ副校長始め先生方の穏やかで慈愛に満ちたまなざしにもいたく感動しました。
昼食をはさんで生徒さんたちと親善交流の将棋を指しましたが、小生の対局相手は通称マーシャンという愛くるしい女性とさん(13歳・8年生)でした。マーシャンは日本語が上手で、将棋にとても興味を持ち、将来は日本の学者さんになりたいと希望に満ちたお嬢さんです。
対局を始めるときも礼儀正しく「お願いします」と頭を下げ、原田団長の座右の銘である『三手の読み』を実践し、よく考えてから指しておりました。性格は一見やさしそうに見えますが、指す手筋はなかなか鋭いものをもっており、洞察力、大局観もしっかりしていて将来性十分です。
小生は地元の市民公民館活動の一環として将棋教室を担当していましたが、そのクラスに入れても上位にランクすると思います。これからもしてほしいと念願いたします。
学校訪問の翌日、クチベイ宮殿で格調高い歌曲と西洋舞踊を拝見したり、世界一のバイオリンニスト・グレゴリーシェルクさんの奏でる、素晴らしい音を聞きながら昼食会をもてなしていただき、この上なき幸せでした。
このように行く先々で歓待をいただきましたことに対し、関係者の皆さんに深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
人間には運命がある。77歳になって、生きたのではなく生かされていることに感謝している。約30年前、プロ同士で対局しない退役棋士になってから、平安是福なりでまずまずの生活に感謝している。(By 原田泰夫)
良寛和尚の悠々自適、詩の一節「としてにす」の言葉を好み、色紙や茶掛型の和紙に随分書いた。
「くよくよするな、天を見上げる」。時には達観気分が必要で、暗く思いつめるとノイローゼになってしまう。
陽気で、おめでたい性格。毎日を天国か竜宮城と見ているので、案外長生きするかもしれない。
魅力あるロシア旅行
「今度はロシアの旅を計画しております。また参加してください。」
眞田尚裕代表からお知らせが合った。勿論喜んで参加する。
学士会館の新春の催しに出席した折、鈴木良尚先生の「エルミタージュ美術館は世界一らしい」
ロシアの話をお聞きした。
将棋ペンクラブ、関西交流会(5月7日、関西将棋会館)に出席のときには、1月にモスクワへ将棋親善を果たされたロシア通の先生から情報を頂戴した。外国人に日本将棋を指導する、親善対局をする。盤・駒などの将棋用具と入門書、解説本を寄贈することは大きな普及になる。
約40年前、全国の大学将棋連盟会長の金田一京助先生が、当時本部の若い会長であった小生をお尋ねの上、激励してくださった。
「日本文化の最高のもの、それが日本将棋です。将来必ず日本将棋は高く評価されます。日本文化普及のため頑張ってください」とおっしゃった。
アイヌ語の世界的権威で、将棋の歴史に詳しい金田一先生のお言葉は忘れられない。
『竜王戦海外ツアー』ではヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、東南アジアなどの海外支部、外国の強豪も随分お相手した。
「サンクト・ペテルブルグ(ロシア)の旅、8日間」の結論は、喜んで参加し、実績を作り、大変いい思い出になり、行ってよかったと実感している。
実はロシアゆき、と聞いていささか抵抗があった。
戦後50年以上経過している。こだわるのはおかしいが、軍隊時代の思い出はよいことばかりではないので、戦友達は心配してくれた。小生の実弟は外語ロシア語卒。前に外語大学長の小川芳男先生とパーティーの同席の際に「原田和夫さんはロシア語の秀才で、大学時代に友達の大学生に先生の代理で教えるほどでした」とほめて下さった。
弟は20代でこの世を去り、ロシア語のロの字も知らない小生が古都を訪ねるとはこれも運命である。
イゴールさんに感謝
サンクト・ペテルブルグの飛行場では、アレクサンドロフ・イゴールさんがお出迎え。それ以来7日間、一行39名に付き切りで視察地、食事、見学の送迎に最善誠実なお世話をして下さった。
イゴールさんは常に微笑を漂わせ、白面長身、育ちのよさを感じた。携帯電話をひっきりなしに活用、役所の部下にあれこれ指示をしていた。36歳、将来大いに期待された彼の正式な肩書きは長い。『サンクト・ペテルブルグ市政府公式代表日露教育財団「大和」代表、ロシア将棋連盟代表、サンクト・ペテルブルグ知事国際問題アドバイザー』との日本語の名刺を頂戴した。
知事公舎内のイゴールさんの執務室は三部屋が連なっていた。5階の部屋に通され、日本茶をご
馳走になった。そこは宮殿のごとき豪壮なビルだが、レーニンの執務室、夫婦の寝室を見学、その室内調度の質素ぶりに驚いた。
レーニン時代の大講堂の壇上で、レーニンが同志に叫んだ席で羽織袴の小生が立って写真を撮っ
てもらった。
この場面もイゴールさんのはからいである。眞田代表、荻原さん、読売新聞社文化部の西條耕一
記者の一群。西條さんは好人物で写真の名手でもあった。
4日目『夏の宮殿』見学であったが、小生はホテルで休養、日本総領事館ゆきの連絡待ち。午後
2時ごろ、電話が入る。
「ハラーダサン」
響きのある女性の声に、ホテルの玄関前に出たが、何もかもさっぱり分からない。羽織袴と下駄の音が目立ったようで、先方から胸と腕に宝石が光る30歳くらいの天女がつかつかと正面に迫り「ハラーダサン」と声をかけ、高級車で運んでくれた。
領事館まで約1時間。改めてペテルブルグの街、通り、木々の緑、川を見学させていただく。
上品美人は運転名人、これもすべてイゴールさんの読み筋であった。
日本国領事館に到着。イゴールさんはすでにお待ちで、まもなく眞田代表たちもかけつけて、領事館の松崎潔さん、副領事の高橋洋江さんと面談して、各国の文化について懇談した。
欧米各国は自分の国の文化が世界一と思っているようで、他国に学ぶ意識が乏しい。ロシアは日本・中国からも古い文化を学ぶ態度で、街の本屋に文化的な各種の本がある。
プーチン大統領になり、ロシアは急速に、よく変わりつつある松崎領事のお話であった。歴史と伝統ある文化を学び、ロシアの熱意を日本も手本にするべき、と思った。
将棋道、茶道、武道などの日本の家、日本の通りのプロジェクトも出来上がっている。
バラの学校に感動
今回の旅行で最高の感激は生徒数400人の日本語学校訪問であった。
11年生まで、好感清潔な子供達が、すべて流暢な日本語で、合唱、独唱、物語、劇、ダンス、
歓迎の辞など、純日本文化の香りがいっぱいの大サービスであった。
公立の学校で通称『バラの学校』。もちろん全員ロシアの子供たち。校歌は浜口庫之助さんの
『バラが咲いた』。そして日本将棋を正科にしている。
徹底的に日本通にする教育方針に感服した。
女性の校長、副校長は温厚清雅で、「微笑みは美徳なり」の言葉を思い出した。
福島県出身の若い日本人女性の先生が一人だけ、しとやかな見事な通訳であった。
優秀で行儀のいい、おそらく世界一の実力と認めた日本語学校を見聞。学校食堂でこ心のこもる
昼食をご馳走になった。
そして親善対局、棋力テスト。バラの学校の生徒諸君にも忘れられない思い出になったはずであ
る。
この学校に感動して、祖国日本の学校教育をおもう。学級崩壊、いじめ、不登校、暴力、殺し、
自殺、勝手な自由、感謝の念なき若者たち,,,。これからの日本はどうなることであろうか。
敗戦後50年余。修身、道徳、しつけ教育の欠如、平成時代に混乱を生ずる形になった。
まさに因果応報、謙虚に反省。一から出直すべき時代になった。
後味のいい旅行
5月25日、クチュベイ宮殿での歓迎。宮廷音楽、親善対局の模様が浮かんでくる。
モスクワからも駆けつけた特別ファン、ペテルブルグ一番の強豪との平手戦など思い出す。
原田の棋力認定は、ちょっと辛かったかもしれない。子供たちには6級、5級、3級、2級、最高は
二段として印を押した。
夜11時を過ぎてもくれない白夜。最高の季節に名所・旧跡を見学して勉強になった。
旧ソ連の高官嫌いが、イゴールさんの特別のご親切でロシアびいきになった。肩をたたき手を握
り
「ダイジョーブ、疲れませんか」
彼の激励、やさしい笑顔が耳に聞こえる。
ありがとうございました。
同行の皆様ありがとうございました。