January 06, 2005

将棋三昧のフィンランド縦断行(29号,2004.9.18)

 ロシアのサンクト・ペテルブルグに半年間滞在中、一度はウクライナに出掛ける予定でマルチビザを取った。ツーリストビザより値段が高かったのでウクライナだけではモトが取れないと思い、近くの別の国にも行こうという妙な動機でフィンランドを選んだ。(鈴木良尚

 相手先は寺尾理事がコンタクトを維持しているトローネンさん。オウル在住で3年前に「まりこま」さんという名前でハラオカ・カズオさんが「かけはし」に訪問記を書いている。オウル市は25年前ドイツ在住時代にビジネスで何回か来たことがあり懐かしい町だ。ついでに、首都ヘルシンキにも将棋の仲間がいるという話でトローネンさんに紹介して頂き、良い交流の機会が得られた。トロさんに感謝、キートシュ(フィンランド語で Thank you )。

将棋の技術教習計画

 出掛けるに当たりトローネンさんとEメールで打ち合わせ。オウルはまだ初心者ばかりなので是非教育をして欲しいという御要望。そこでロシアの学校で私が使っている大駒と柔らかいプラスチック製の大盤とをかついで行くことにした。
 講義内容は、1.手筋の紹介 2.詰将棋の練習 3.序盤戦法の紹介 4.プロ棋士の実戦譜 5.フィンランド選手の棋譜を見てアドヴァイス 6.何でも質疑応答 という予定にしたが、5.は表記法もままならない初心者が多いということで私との練習対局から何かを言うことに変更した。期間は7月の土日をはさんでオウル中心に5日間(ヘルシンキは1日)。但しウィークデイは仕事のある人は夕方から参加するということで毎日2人から5人の参加者があった。会場はトッペリウスという名前の国際交流会館のような便利な場所があり、ホテルから2〜3分だった。

オウル到着

 7月1日午後5時30分オウル空港着。教えてもらった通り19番の停留所でバスを待つ。他にバスで行く人は誰も居ない。出口に10台以上止まっていたタクシーは次から次へとお客を乗せては消えて行き何だか一人でわびしくなる。昔、仕事で来た時はさっさとタクシーに乗ってしまうので、こんな思いはしたことがない。別にタクシー代を節約する積りもないけれど、せっかくトローネンさんが安いバスの方を教えてくれた好意を無視する訳にはいかない。
 15分待ってバスが来た。気がつくと私の後ろから3〜4人の人がパラパラと乗ってくる。当然空港発着だと思っていたら実はそうではなく、空港は途中の停留所になっていて、バスの到着時刻を知っている地元の人がその時間にやって来たのだった。行き先を運転手に言うと2.9ユーロ(約400円)の由。一人一人が運転手に行く先を言ってお金を払う仕組みではなはだのんびりとしたものだ。乗車時間25分くらいと聞いていたので、途中で心配になり運転手に聞いてみたら”ノット・イエット”という正確な英語の答えだった。日本のバスの運転手だったらこんな受け答えが英語で果たして出来るのかしらと感心した次第。
 ホテルにはトローネンさんが待っていて直ぐトッペリウスへ行く。午後7時から多面指しという予定でそこにはイルマニ・ヨーティライネン君というドクターコース在学中の学生が待っていて早速二人と一度に手合わせ。先ずレベルを確認しないと明日からの講義の内容に関わってくるのだ。イルマニ君はトローネンさんを除いて何かで優勝したしたことがあるようなことを言っていたけど先ずは6枚落で、トロさんとは、よくわからないけどとにかく2枚落でやってみた。やってみると割と簡単に私の勝ち。
 イルマニ君はまさか金銀で負けるとは思っていなかったみたいであ然とした様子。先生は最初にガツンと食らわせて威厳を保つことが重要だ。イルマニ君は翌金曜日の午後からバケーションとかでグッドバイ。将棋に熱中するというよりは色々なゲームを楽しみたいという教養派の様子で、豊かな国の若者にこういうタイプの人が多いようだ。お陰で空いた時間にアイノヴァ公園というきれいな公園の散策が出来、北欧の澄み切った空気に触れ、夏の日の光に輝く緑と、青い大きな湖水にしぶきを投げかける噴水の眺めを楽しむ事が出来た。

講義と演習

 土曜と日曜は大盤を使った。10年来の古い「週刊将棋」の切抜きを使って、10級問題から5級問題程度の手筋の解説、継ぎ歩、垂れ歩、焦点の歩、玉の退路の捨て駒、やさしい必死、端攻め、余す受け、攻めの取っ掛かり、等々。これらは彼らが自分で発想するのは無理なのでもっぱら講義中心。一方、3手詰の詰将棋を40題出して、1時間のうちにどこまで出来るかに挑戦してもらった。結果は答が間違っていたのも含め29題まで進んだ人が最高だった。月曜の夕方には形だけでもということで、私を含めて4人でトーナメントを実施。私とはすべて2枚落だが、優勝賞品のトナカイの干し肉はやっぱり私の所に。これって、トロさんの仕組んだ私へのお土産授与のセレモニーらしかった。

級の認定

 最後の火曜の日は午前中に、坊主頭で兵役待ちのヘンリー君(ウルピライネン)がやってきて、是非将棋を指したいという申し出でがあった。そこで、前日の2枚落から4枚落に落として対局すると、良い筋で攻めてきたので少しヒントを与えてあげると見事な寄せで一本取られた。
Finland_dia1.JPG

 図面を見て頂くと、わかるように既に上手敗勢だが、下手の▲9三歩成に上手同桂とは取らずに▽9六金と下手の飛角を取りに打ったところ。すると飛角を逃げずに▲5ニ銀!が盤上この1手の手筋。9三のと金が生きていてほぼ詰めよ。そこで▽9三桂と、と金を払うと先ず▲6三金と打って玉を8ニに追いやって▲7七飛と逃げながら▲7三飛成を狙う。それを防ぐ▽7四香には▲4三銀成なんて金を取らずに▽6一銀不成と迫ってくる。▽8五桂と逃げ道を開けても▲9四歩でダメだから▽8六金と角を取る。それには▲7ニ銀成▽9ニ玉に▲7三金で絶体絶命。▽9一角と守っても▲7四飛で望みなし。下手の玉が手付かずのまま投了だ。
 そこでヘンリー君、気を良くして自分の級を認定して欲しいとのたまう。では、4枚落で勝ったから7級くらいだろう。でも、もし2枚落で勝ったら5級かな、なんて挑発してしまった(いけませんねェ、こういう先生は。でも1局でも沢山指すことが彼らには経験になって良い事なんです)。すると、たちまち乗ってきてすぐ2枚落ちの始まりです。
 今度はヒントをあげなかったのでヘンリー君苦戦。そうですよね。香の有る無しだけでも大違いですから。私の帰りのバスが来る丁度10分前に討ち取ってしまい、これから沢山勉強して早く5級になって下さい、という言葉を残して先生のお帰りということになったのでした。
 でも、かつて4枚落で日本人の先生に一度勝ったという思いは、この人の将棋人生に大きな意味を持つと信じています。

ヘルシンキ三面指し

 オウルにサヨナラしてヘルシンキに着くと、年配でどっしりと風格のあるリスクラさんが空港まで出迎えに来てくれた。ホテルに着いて50分後リスクラさんのフラットへお招き。2ヶ所あって下の方が小さく上のほうが大きいんだって。下から大勢の巨漢が出て来る。みんな将棋プレーヤーで上のフラットへ移動。カナリヤなど飼っていた。リスクラさんを入れて全部で5人。そのうち3人と多面指し。
 朗らかで若いラウリ(6枚落)、沈思黙考型で中年のユッカ(2枚落)、日本語勉強中のミッコ(2枚落)、このうちユッカ・トゥオヴィネンさんはチェスマスターとのこと。研究者風で全然笑わずに緊張していて、いかにも手ぐすね引いて敵の現われるのを待っていたという様子。これは気をつけないといけない。多面指しだと結構うっかりすることも多いから。
 全員攻めを急がず、すべての駒を使って玉も囲う。これは強い。オウルとは一寸違う。でも、6枚落のラウリが先ず陥落、これで少し気が散らなくて楽になる。次いでミッコも飛角を取り切って楽勝と思いきや結構粘られて時間が掛かった。最後にユッカの方は、と金を2枚作ってヒタヒタと寄せて来るが、敵の注文を外して角金交換に成功すると、アトは堅い木がポッキリ折れるように終わってしまった。
 その後ユッカさんはガッカリしたのか、元気がなかった。でも、注文に乗るとヒドイことになるような手を次々に指してくるのはさすがにチェスマスターだけのことはあった。三面指しのあと、必死の問題を出したら面白がってみんなでやる。これは良かった。右手に包帯を巻いた太っちょのティモが正解を多く出した。オープンサンドとコーヒーが出てフィンランドの夜は更けてゆく。

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October 22, 2004

日本・スウェーデン将棋交流会(22号、2002.12.21)

 9/6〜10にスウェーデンに行って来た。日本とスウェーデンの将棋交流、および10月に東京で開催される国際将棋トーナメント戦に向けての選手強化が目的で、 今回は「将棋を世界に広める会」から私が派遣された。(佐藤啓)

 【9月6日】 私はヨーロッパは初めて。デンマークのコペンハーゲンで飛行機を乗り換え、スウェーデン上空に達すると眼下には見たこともない景色が広がっている。一面森と湖の美しい世界。今回の旅はいろいろ新しい発見がありそうに思えた。スウェーデンのアーランダ国際空港に着くと、ロビーでピーター金子さんが出迎えてくれた。思っていたよりだいぶ若い。聞くと22歳の大学生とのこと。金子さんはお父さんが日本人、お母さんがスウェーデン人で、以前日本にも住んだことがあり日本語がかなり話せる。滞在中はずっとガイドを務めてくれ大助かりだった。現地の人は普段はスウェーデン語を話すが、国民の95%は英語が話せるそうだ。
 空港からアーランダエクスプレスに20分ほど乗ると、T―セントラーレンという大きな駅に着いた。ここが首都ストックホルムの中心街らしい。そこから地下鉄で2駅目のスラッセンに私の泊まる「HOTELL ANNO 1647」があった。築355年の古いホテル。スウェーデンは戦争の被害を受けていないため、街には古い建物が多い。フロントでチェックインしたが、中が迷路のようでよくわからず、金子さんに部屋まで案内してもらった。
 荷物を置き、2人で夕食をとりに外へ出る。10分ほど歩くと、翌日の集合場所になっているレストランがありそこで食事をとった。スウェーデンの主食はジャガイモらしく、どのメニューにもついている。私はステーキを食べたが、肉の回りはジャガイモだらけだった。食事を済ませると8時過ぎ。空はもう薄暗かった。白夜が見られるかと期待していたがストックホルムでは無理らしい。スウェーデン北部の方では見られるところもあるそうだが。ホテルの前で金子さんと別れこの日は早めに寝た。
 【9月7日】 昼ごろ昨日のレストランに着くと、既に何人か将棋関係者らしい人が集まっていた。 皆ちらちらこちらを見ている。金子さんがいないのがちょっと不安だ。思いきって中の1人に「支部長のダネラッドさんですか」と聞いてみた。
「いいえ。あなたはサトウさん?」
「はい」
「スウェーデン支部の○○○です」
 これでひと安心。しばらくするとダネラッドさんもやって来た。
「ようこそいらっしゃいました」
「初めまして」
 中に入って食事をとっているところへ金子さんも到着。これで会話もスムーズに運んだ。
 食事を済ませ会場のチェスクラブまで10分ほど歩く。表に「65」 とあるのは1965年にできたクラブなのだろうか。中に入りダネルドさんが私を皆に紹介してくれた。総勢12〜13名くらい。思っていたよりちょっと少ない。スウェーデンの将棋人口は100人程度で、ストックホルムだけだと20人くらいだそうだ。
 そしていよいよ多面指し開始。手合いはオール平手で私が先手。これはチェスの習慣なのだろう。対戦者の棋力は初級者から有段者までさまざま。スウェーデンチーム大将の金子さんは力戦振飛車、ダネルド支部長はいま日本でも流行の「ゴキゲン中飛車」を得意にしている。中には自分で熱 心に棋譜を採る人もいたが、日本とは表記方法がかなり違う。どちらかというとチェスのそれに近い。
 1時間半ほどで全てのゲームが終わり私の全勝。「もう1局指しませんか」と言うと、数人が再度チャレンジしてきた。2度目は緊張感もほぐれかなり余裕をもって指せたが、今度は大将の金子さんに見事に負かされた。終わった瞬間回りから拍手が起こる。金子さんは日本に住んでいたとき、大宮の将棋道場で三段を認定されたそうだ。
 2回り済み、皆で記念写真を撮ったところでこの日はお開き。まだ夕食には早い時間だったので金子さんとチェスや将棋を指しているうちに辺りは真っ暗。お腹も空いていなかったので真っ直ぐホテルに帰って寝た。
 【9月8日】 この日は昼ごろ直接クラブに集合。しかしなぜか閉まっている。ダネラッド支部長が席主に電話すると「1時間ほど遅れる」とのこと。それまで皆でランチをとることにした。ダネラッドさんが私に「マクドナルドと中華どちらがいいですか」と聞く。スウェーデンまで来てマックではつまらないので中華をご馳走になる。日本のそれとは少し味が違うがおいしかった。
 小1時間ほどしてクラブに戻る。この日は2面指しで記録係がつくことになった。 相手は金子さんとチェスのIM(インター ナショナルマスター)ハートマンさん。ハートマンさんは前日はいなかったのでこの日が初手合いだ。持ち時間は1時間で切れると1手30秒。こんなに長い持ち時間で指すのは初めてだが、 これもヨーロッパスタイルなのだろう。
 金子さんは昨日と同じく力戦振飛車。しかし序盤はお世辞にも上手いとは言えない。飛車を振る前に銀を3二〜4三〜5四と出てくるが、私が▲5五歩と銀取りに突くとすぐ▽4三銀と元の場所に引いてしまうのだ。「単なる手損で何の意味もないから止めなさい」と昨日から何度も注意したが一向に改めてくれない。こちらも諦め「もう少し強くなればいずれわかるさ」とそれ以上は言わないことにした。
 一方のハートマンさんはこちらの四間飛車に対し居飛車急戦を仕掛けてきた。よく定跡を勉強しているのがわかる。 それでは2局のうち金子さんとの将棋をご紹介しよう。

22_sweden_1.JPG
 第1図はその中盤戦。
ここでは先手のほうが少し模様がいいが、図の▽4五歩が後手の駒に活を入れる好手。これで角と銀が いっぺんに働いてきた。金子さんはこの辺りから徐々に力を発揮してくる。局面は進んで第2図。

22_sweden_2.JPG
 この▽8六桂の王手が激痛だった。この手で慌てて▽5七桂成と銀を取ると、▲8五飛(▲同玉なら▽7五金で詰み)でこれは先手の楽勝になってしまう。抜かりなく▲8六桂を利かすところに金子さんの強さを感じる。そして迎えたクライマックスが第3図。

22_sweden_3.JPG
 いま金子さんが▽7九銀と詰めろをかけたところ。これが俗手の好手で厳しかった。 普通こういう手は良い手になりにくいが、 この場合は先手の持ち駒に桂馬しかないため非常に有効だった。本譜は以下▲7八桂▽8八金▲9七玉▽7八金と進み金子さんが確実に寄せ切った。
 もう1局のハートマンさんとの将棋は、 こちらの無造作な序盤作戦を的確にとがめられ中盤以降押されっ放し。終盤になっても差は一向に縮まらなかったが、秒読みになったとたんハートマンさんの着手が乱れ辛うじて逆転勝ちという情けない内容だった。感想戦でもハートマンさんに「どうしてあなたは序盤で自分が不利になるような指し方をするのか」と言われ、返答に窮してしまった。
 それにしてもハートマンさんは強い。チェスのIMだけあって読みが実にしっかりしている。終盤をもう少し勉強すれば近い将来ヨーロッパチャンピオンも夢ではないだろう。どうして代表チームのメンバーに入っていないのか不思議だったが、予選で金子さんに負けてしまったそうだ。
 対局終了後、大盤でこの日の2局を解説しお開きかと思ったら、会場の1人から「王将戦第3局(羽生王将VS佐藤九段)の棋譜を持っているので解説してほしいとリクエストがあった。これにはちょっとしびれましたね。まあやりましたけど。 全てが終わった後、スウェーデン支部の方たちから温かい拍手をいただきちょっと嬉しかった。外へ出るとまだ明るい。ダネラッド支部長は翌日仕事なので、これからバスでヨーテボリに帰るという。(7時間かかるらしい) 私たちは10月に東京での再会を約束して別れた。
 【あとがき】 この交流会を終えた後、正直言ってスウェーデンチームは10月の本大会ではかなり苦戦するのではないかと思っていた。ところが結果は見後3位に入賞。準決勝の中国戦も相手を土俵際まで追い込む健闘ぶりだった。 大会終了後ダネラッドさんに「サトウさんのおかげです」と言われたときは「ああ、スウェーデンに行って良かった」と心底思った。

投稿者 isps-admin : 10:27 AM | コメント (0)

October 12, 2004

お便りコーナー フィンランド(21号、2002.9.14)

 私の住んでいる、ラビンヤルビ(lapinjarvi)では、シビルトレーニングセンターで、毎週木曜日の夜6時から、ボードゲームの会が開かれます。チェス,囲碁、将棋、チャンギ、バブ(アメリカ)を楽しんでいます。3〜4週間で来る人が変わってきます。(セッポ・ロンコー Seppo Ronkko)

 私はテロとイーサに将棋を教えました。終盤のおもしろい局面を紹介します。先手が私です。

21_ukuraina_1.JPG
 図から、▲5一飛成▽同玉、▲6一飛▽4二玉、▲5一角▽4一玉、▲6二角成▽4二玉、▲5一馬までの即詰でした。
 *編集部から。詰将棋の解答手順は、最短の攻め、最長の受けです。セッポさんの素晴らしい寄せを、詰将棋のルールで正しく詰めますと、図からの4手目は▽5二玉です。以下は▲4一銀▽4二玉、▲5一角であとは同じです。

投稿者 isps-admin : 11:20 AM | コメント (0)

October 07, 2004

助成金を得て夢の実現へ(20号、2002.6.30)

 かけはし19号で書いた、横浜国際交流協会及びスカンジナビア・ニッポンササカワ財団に提出した申請は、二つともその経費の一部を助成するむね返事を頂きました。(眞田尚裕)

 横浜の方は「将棋指導者の長期派遣」と「横浜上海将棋交流大会」との二本立てのうちの後の方の計画に助成金を出して頂くことになりました。来年2月に上海から子供達を横浜へ招いて将棋大会を行うことになります。これについては次号で。
 ISPSでは「対スウェーデン将棋指導者派遣制度」を発足させます。この制度は日本・スウェーデン将棋交流事業の一環として行うものです。
 本年度はその経費の大半をスカンジナビア・ニッポンササカワ財団の助成金によって行います。
名称]ISPS「対スウェーデン将棋指導者派遣制度」
目的]将棋の強い指導者を、継続的に、出来るだけ長期に派遣して、スウェーデンの将棋ファンの実力向上と量的増加とを手助けする。
 ダネルード氏が中心になって活動中のスウェーデン将棋連盟の後押し。
派遣人員]1回につき2名を原則とする。人選は、ISPSが日本将棋連盟の意見を参考にしながら選出決定する。
 例えば元奨励会員から(希望があれば勿論プロ棋士でも)、1名、そしてISPS会員の中から将棋だけでなく英語(出来ればスウェーデン語)が上手な方1名で合計2名。将棋だけでなく日本文化を伝えるという任務もある。
日程]1回につき6泊8日を原則とする。5日間はスウェーデン将棋連盟のメンバー等の指導と小中学生の指導にあたる。(1日は観光または自由行動とする。)
期日]受入側の希望により決定する。第1回は2002年11月頃を予定。
経費負担]日本側:ISPSが航空運賃・宿泊費・教材費等を負担。指導者本人は個人的経費のみ負担。指導者本人は、旅費はかからないが、指導料等がもらえるわけではない。スウェーデン側:食事・移動費等を負担。
 名称が、長く硬い感じなのでニックネームのアイディアをお寄せ下さい。
 第2回以降のやり方については更に良く検討して、この制度を継続維持していくよう努めます。

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October 05, 2004

将棋指導者海外派遣制度の夢 実現への努力(19号、2002.3.1)

 かけはし16号の「ISPS夢と計画」欄で書きました指導者海外派遣の夢を、今年をスタートの年として、実現させたいと思っています。(眞田尚裕)

 現在、横浜市国際交流協会宛てに「横浜・上海将棋交流事業」に対する助成金の申請を行っています。またスカンジナビア・ニッポンササガワ財団宛てに「対スウェーデン将棋指導者派遣」に対する助成金を申請します。
 一番の問題点である「経費」を助成金に頼って少なくとも半分は確保しようというものです。
 いずれも単発的なイベントでなく、将来につながる長期的な草の根の国際交流を目指すものであると主張しています。申請を審査する方々がきっと熱意を汲んで下さるものと期待しています。
 結果は次号でお知らせします。

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October 04, 2004

日本から一番近いヨーロッパで(17号、2001.9.15)

☆2001年7月初旬
 今年の夏休みは、Finlandに行こう。8月1日から始まる夏休みへの準備はここから始まった。航空券の手配、ホテル予約、、、、ついでにインターネットのShogi-Lへの投稿を忘れない。
「8月1〜12日、Finland(特にOulu)にてVacation予定。将棋大会の情報求む」という旨を英語で発信。(まりこま

☆その翌日
 さっそく、私信もふくめて3通の返事が来た。あまりのレスポンスに驚くとともに単純に喜ぶ。結局、後日連絡をくれた方、Stockholmなら近いよ、という情報をくれた方も含めて5人の方から連絡があった。本当にありがとうございました。
 その中で、Oulu在住のJouniさんから、「我々のシャンチー、将棋、チェスのクラブに遊びに来ないか?」というものがあり、2つ返事で決める。
 Oulu….ご存知の方はご存知であろう、北欧最先端のIT都市、あのNOKIAのMobile研究所のある町。しかし10万都市である。日本の「将棋」を趣味にしているFinland人がいる、、、それだけでもう感激物。

☆7月下旬
 お土産は何にしようか、、、、色々考えて「週刊将棋」の最新号と阪田流向飛車の本にするJouni氏は将棋の勉強のため、日本語の勉強を始めたらしい。

☆8月某日(対局)
 ようやく、、、、Jouniさん達との将棋の日。正午にホテルまで迎えに来てもらう。
 Jouni Tolonenさん39才、Oulu大学でコンピュータを専攻するデュプロマ。チェスは公式Ratingで2150持つという、、、、さっそく、公民館のようなところでJouniさんと対局。イギリスで買ったという盤は青いゴム製。駒は簡易文字ではあるが浅掘り。
 実は、ChessのRating等は後から知った話で、実際対局が始まるときには、どの程度強い方なのかわからない、、、。図1は、後手の筆者が5四歩と追い返したところ。
17_marikoma_1.JPG
 銀を6六に引く。この手の善悪を論じられるほど筆者の棋力はないのだが、一歩を
手に四枚矢倉に組もうという構想に「これは、僕より強い!」
17_marikoma_2.JPG
 図2は、終盤への入り口。この直前に筆者の悪手があり、的確に咎められ、、、、ここでの4二角成は驚き。ChessPlayerが成り捨て!Jouni氏の実力はどの程度であろうか?

☆8月某日(その後)
 対局を終え、感想戦も花が咲き、、、としているところに、Kim氏登場。もう20年以上前からFin国にて仕事をしている日本人。結局、Kim氏の御厚意で御自宅にお邪魔する。Kim氏の将棋は相当のもの。そして、、、、Kimさんの奥様、Leenaさんは、最近、将棋を覚え始め、マグネット盤で特訓の毎日!だという!!そのLeenaさんの手料理を戴き、Finlandの夜は更けていく。

☆ホテルに戻って
 Jouni氏は、将棋をFinlandに広めることに非常に熱心な方である。僕と将棋を指した翌週には、近隣の方へ将棋Tutorial & 将棋大会、を企画運営実行し、講師もすれば、大会では優勝してしまう、という熱の入れよう。今年10月にも、Mind Sportsのイベントを計画している。故大山名人との比較は意味がないだろうが、まさにそういう感じであった。
 Jouni氏からは、フィンランド語で書かれた将棋入門書(Leaflet)のコピーを戴いた。これはすばらしいお土産である。1991年に書かれた、Finland語での将棋入門、、、、次回、Finlandに行くときまでにそれを読めるように、、、なれればよいな、と密かに勉強中である。Finlandと日本は直行便で9時間。一番近い、ヨーロッパなのだから、もっともっと、仲良くしたい。

☆8月某日(帰国後)
 来年も8月に将棋大会を企画しているというメールを貰う。来年も行かねば。。。


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October 01, 2004

スウェーデン将棋の旅(15号、2001.3.31)

 将棋を世界に広める会の第4回海外普及対象国は、スウェーデンでした。2月21日から28日までの6泊8日の旅行中イエテボリ、ストックホルム、キルナの街で、3回将棋に関わった。その状況について、以下簡単に報告させて頂く。(細根雄治)

☆イエテボリ

 イエテボリでは、同好者が集まるという図書館の喫茶店に若者が8人集まっていた。みんな9級とか、5級との自分のスウェーデンでの級を申告したので、駒落ちで対戦した。
 ところが、彼らはそれぞれ標榜するクラスよりはるかに実力が高かった。聞いてみると、スウェーデンでは将棋を始める時は、全員が15級に格付けされるということで、それから成績によって1級ずつ上がって行くシステムであるという。日本のように、指してみたら初段の人と同等の力があるから、その人を初段に格付けするというようなことはないという。
 同好の士と指すほか、インターネットを駆使して訓練しているから、またたくまに腕が上がり、自身が標榜する級をはるかに超えることになる。そういうことで、スウェーデンの将棋は若く勢いがある。チェスの国でジャパニーズチェスを取り組もうとしている層は、新しいことにチャレンジするくらいだから、いかにも聡明そうな若者ばかりである。9級ですとか、5級ですとかいうから、日本のクラス並みと思って指し始めたメンバーは、皆たじたじとなってどうしてあなたが9級なんだと聞いたら、前述のような次第でした。午後6時から8時まで入れ替わり立ち替わりで、1人あたり5、6局をこなして、成績をつけるでもなく、親睦に徹した時間を持ちました。
 その後我々と付き合ってくれた5人のメンバーを含めて、ハナキの街を30分ほど探して落ち着いたレストランで聞いたら、そこへ来たリーダーが31才で、それ以外は皆21才、22才という若者ばかりでした。まだ始めて何年も経っていないに違いない。そんな若者を見ていたら、スウェーデンの将棋はすぐ日本に比肩する所に来るに違いないという思いを強くした次第です。

☆ストックホルム

 ストックホルムでは、ストックホルム・オープンに参加した。旅行の日程をそこに合わせてきたので、このくそ寒い時期になんで?という疑問が解けた。丁度この時期のストックホルムはスポーツ休暇とかで、学校を1週間休みにするという制度があって、人が集まりやすいのだそうだ。会場はホテルから歩いて20分ほどのチェスセンターを借りて、日本からの7人を含めて、24人で始められました。
 スウェーデンの人が13人で、ノルウェーから女性1人を含めた4人の参加があって、3国対抗の形になった。
 チェス方式どいうのでしょうか、対局は3時間毎に行われる。持ち時間1人30分で、それ以後は1分の秒読みになる。初日は、午後1時から4時、7時と3回戦でした。全員が済んでしまっても決めた時間を繰り上げるということはしない。対局が済んだ人は防寒具を身にまとい、外出をして次の対局時刻の寸前に又現れる。こうして勝ちは勝ちと、負けは負けと当てていくから、初日は3勝と3敗が3人ずつ出来て、それ以外は2勝1敗と、1勝2敗とになる。
 初日は日本のメンバーでは、清水さんが3勝で勝ち抜き、全員の成績は11勝10敗で辛うじて1つの勝ち越しということになった。初日1勝2敗だった3人がリタイアして、観光組みに回ったため不戦敗で、2日目は4人が参加した。2日目は、細川さん、乾さん、鈴木さんがそれぞれ3勝し、日本勢は10勝2敗で、優勝はスウェーデンのトーレ・オンクヴィスト2級で、準優勝が細川さん、3位が乾さんとなった。
 1〜3位の3人は全員5勝1敗なのだが、戦った相手の成績で、微妙に差がついての振り分けになる。今回の旅行の団長をしていただいた佐伯昌優先生がおっしゃるには、やはり優勝した人が1番強かったろうということで、開催国の面目も立ったというものだ。
 表彰式では本賞は、胸に着けられたメダルで荷物にはならない。ほかに全員から参加費として集めた、1人あたり100クローネを、副賞として、優勝者が2分の1、準優勝者が12分の7、3位が12分の5を獲得することになった(日本人は副賞をスウェーデン将棋連盟に寄付した)。
 小生は、2日目リタイア組に入ったのであるが、初日の3試合で日本人と2回対戦することとなり、なぜ地球の裏側まで来て、日本人とばかり対戦するのかと腹が立ったので、3回戦を戦っている時に、観光組みに回る決意をしたわけである。ところが、くじ引きと戦績とで、スイス方式にしたら、当然なるべくしてなったのかも知れないが、折角なら北欧の強豪と6回戦いたかった思いで一杯であった。もう一方を見てみれば、4人しか参加しないノルウェーの人同士も戦っていたから、そういうことには頓着しないお国柄なのだろう。

☆キルナ

 キルナは、北緯68度、東経20度のところにある、オーロラの見える土地にある街である。そこにスウェーデンのマーテイン・ダネルドさんが、将棋の啓蒙に行くということで全員が同行した。朝8時にホガリッド・スコーランという学校まで行き、講堂で550人いるという生徒たちを集めてオリエンテーションを行い、その後、9学年(小、中学生一緒の学校)、13学級の各部屋を回って、将棋の指し方のデモンストレーションを行った。
 学校側は時間表を作成し、各クラスに回る時間は正課に食い込んでクラス全員を集めてそのデモンストレーションに参加させた。1クラス10分で130分。オリエンテーションとデモンストレーションで、11時20分まで。ダネルドさんの情熱も凄かったが、こういうことで授業時間を割く学校もすごいと思った。
 途中半分ほどのクラスを引率をして熱心に聞いていた女性の先生に、デモンストレーションをさせてみたら、先生はダネルドさんと同じ要領で上手くこなしていた。
 そこで引率の先生が交替して男の先生になったが、これも最後のクラスをダネルドさんの代わりに担当させるなど、ダネルドさんも憎いことをする。あれで確実に2人の先生は、駒の動かし方を覚えたことになった。そのほかに説明を聞いた何人かの生徒が将棋を始めるきっかけになるとしたらダネルドさんの大成果になる。学校の食堂で、生徒さんたちが食べる給食をいただいて、サヨナラ。
 折角期待したオーロラは、前日までは見えていたそうだが、我々が訪れた日はサヨナラで、翌日はまた見えるのではないかとのことでした。だれだ、お天気を悪くしたメンバーは。

投稿者 isps-admin : 08:47 AM | コメント (0)

August 02, 2004

デンマークの将棋の春(増刊号,1999.8.1)

 ヨーロッパではそれ程多くの人が将棋を指している訳ではありません。最近までは西欧では将棋の選手組織がある国は数カ国でした。中でも英国、オランダ、ドイツ、フランス、ベルギーは組織ができてから10年以上経ち、三・四段クラスが何人も生まれています。(スウェーデン将棋連盟会長 Dr. Martin Danerud)

 他にはノルウェーとフィンランドにも選手組織があります。ヨーロッパ将棋選手権大会も1985年から毎年行われています。
 スウェーデンでは2年前にスウェーデン将棋連盟が設立されました。集中的な活動の結果現在会員は100名を越え、最近第1回スウェーデン将棋選手権大会がイェテボリで行われるに至りました。私どもは日本将棋連盟とISPSから大きな支援を受けています。
 今年4月の初めのイースター休暇に Carl Johan Nilson 氏と2人で、フェリーと車でイェテボリからデンマークのオールフスに行きました。デンマークはスウェーデンと海を挟んで向かい合っています。毎年恒例のデンマークチェス選手権がこのイースター休暇にオールフスで開かれ、400名のチェス選手が参加しました。この機会を利用してチェスファンに将棋を宣伝しようというのが私たちの狙いでした。
 イェテボリは海峡西岸にあるスウェーデン第2の都市で、オールフスは東岸のユトランド半島にあるデンマーク第2の都市です。オールフスはとても美しい都市で、何世紀も経った古い家屋が多く残っています。周辺は平坦な農地で、小麦・ライ麦・大麦・燕麦が栽培されています。森が少しだけあり、平坦な大地に点在する風車発電所には近代的な発電設備が林立しています。
 スウェーデン将棋連盟には将棋のルールと主要な住所を記載したリーフレットがあります。デンマークに出かける前にそれをデンマーク語に翻訳しました。両国の言葉は似てはいますが、デンマークの人にとってはデンマーク語で書かれている方が理解し易いと考えました。スウェーデンを立つ前に将棋の駒を白く染め抜いた赤いセーターを作りました。デンマークの国旗にも日本の国旗にもこの2色があるからです。
 このセーターを着てデンマークチェス大会が行なわれるオールフス上級ビジネススクールに着きました。チェスの大会が開始される前の半時間の間に大会の参加者400名に将棋のリーフレットを配布しました。それからテーブルにつき、将棋に興味を示す人がやってくるのを待ちました。しばらくして最初のチェスの対局が終わると人々が私どものテーブルに来始めました。将棋のルールを説明し、王将だけの”最初の駒落ち”から二枚落ちまでの駒落ちを指しました。
 駒落ち将棋の後でデンマークを発ってからも連絡を取れるように名前と住所を聞きました。忙しい一日でしたが数名の気の合うデンマーク人と知り合い、オールフスのホテルで楽しい夜を過ごしました。
 次の日も将棋のルールの説明と駒落ち将棋を続けました。しばらく指していると、小さなトーナメントを希望している人達がいることが判りました。8名の参加希望者がいましたので持ち時間15分の3回戦トーナメントを行なうことにしました。
 これらの初心者が極めて攻撃的な将棋を指すのに驚きました。数時間前までは将棋を知らなかった人達ですが激しいスリルのあるトーナメントでした。
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 1−2位の賞品は普通サイズの将棋セット、3−4位はポケット将棋セット、5−8位は厚紙の将棋セットにしました。これらの人々が将棋を続ければヨーロッパの将棋を大いに発展させることになるでしょう。
 オールフスのチェスハウスは居心地のよいコーヒーチェス店で、来客はチェス、ビール、ソフトドリンク、コーヒーやスナックが楽しめます。2人のオーナー Klaus Berg と Jense Ove Fries Nielsen は共にチェスのインターナショナルマスターです。オールフスでの2日目の夜はこのチェスハウスでテーブルを借り、数人を相手に将棋のルールを説明し駒落ち将棋をやりました。チェスハウスの雰囲気はとても楽しいもので、駒落ち将棋をとてもうまく指した人もいましたし、将棋セットを数名が購入してくれました。会合は夜中の1時半まで続き、チェスハウスにお礼として普通サイズの将棋セットを贈りました。
 オールフスでの3日目はデンマークチェス大会の最終戦を見学しました。同点優勝の Peter Heine Nielsen と Sune Berg Hansen はいずれ1999年デンマークチェス大会の優勝者決定戦を戦うことになります。デンマークの伝説的な64歳のチェスプレイヤー Bent Larsen もこの大会に参加していました。彼はおそらく1960年代の世界最強のチェスプレイヤーだったと思います。
 この日の午後スウェーデンへの帰途につきました。スウェーデンに戻りデンマーク訪問の総括を行ないました。デンマークの400名のチェスプレイヤーに将棋を説明することができました。30名に将棋のルールを説明し、駒落ち将棋を指しました。その内18名の名前を聞くことが出来ました。また8名参加の自発的なトーナメントも行ないました。
 スウェーデンに戻ってから Joachim Knudsen に連絡を取った所、デンマークでの連絡先になってくれる事となりました。彼にデンマークの将棋プレイヤーの名前と住所、それにスウェーデン将棋連盟の規約を送りました。これらは今後デンマークで将棋の組織を設立する際の基礎になるでしょう。今後すべてのデンマークの将棋プレイヤーにヨーロッパの将棋イベントを知らせる事とします。新しいデンマークの将棋の友人が1999年10月の初めにスウェーデンのマルメで行なう国際将棋大会マルメオープンに来てくれることを期待しています。
 ヨーロッパ大陸に築かれた将棋の歴史、インターネットをはじめとする新しい通信技術や、ISPSの大きな援助などのおかげで、ヨーロッパの将棋の将来は明るいと思っています。将来ヨーロッパでは現在既に将棋の組織がある国を中心としてその周辺国に自然に広がって行くでしょう。私どもスウェーデン人から見ると、次はポーランドを開拓すべきだと考えています。ポーランドは大きな国でチェスの伝統があり、スウェーデンや他の周辺諸国と歴史的に関係が深い国です。私どもは将棋が全ヨーロッパに広がるまで努力を続けます!

投稿者 isps-admin : 04:36 PM | コメント (0)