この「かけはし」のなかに我々の夢と計画を語るページを設けました。当分の間、わたしが担当しますが、皆様の夢やご意見・ご要望などをお寄せいただければ幸いです。(眞田尚裕)
ISPS法人となる
神奈川県に提出していた特定非営利活動法人『将棋を世界に広める会』設立申請は9月29日に認証されました。続いて10月4日に法人登記を済ませ、10月25日には税務署設立届書を出しすべての手続きを終え、ISPSは法人となりました。会員の皆様にご報告と同時にお礼を申し上げます。
会の法人化は創立以来の夢の一つでした。会員が増え、会の足腰がしっかりしてきたら、いつまでも任意団体でいないで、できるだけ早い機会に法人格を取得したいという願いが、NPO法の成立という追い風もあって思っていたよりも早く実現できました。
従来ISPSは志の壮大さに比べ組織のひ弱さと経済基盤のもろさが弱点だといわれてきました。NPOは魔法の杖ではありませんから法人になったというだけではこの弱点が補われるものではないでしょう。現に法人になるなら辞めるという人もいました。将棋の国際普及についての会員個々の思い入れはかなり違いがあるようですし、それはでこぼこのままで構わないと思います。もともと「世界の人々と将棋を楽しむ」団体ですから内部の組織は柔軟であってよいのではないでしょうか。ただ会が法人になれば外部の法人との付き合いは変わってくると思います。外の人の会を見る目が良いほうへ変わってくることが期待でき、それが法人化の大きなメリットの一つになるでしょうし、会の活動範囲が今までより大きく広がってくるはずです。
経済的な面では、じっとしていたのでは今までと同じで会員の増加による会費の増加のみに頼るということになるでしょうが、しかるべき相手に会の趣旨を真剣に説明して理解、協力を求めることは可能だと思います。その場合任意団体でなく法人であることが、有利に作用するはずです。新法人の理事長・理事が一番最初に取り組む必要のある仕事の一つだと思っています。
将棋を世界に広める会のモットーは「夢はできるだけ大きく、やることは確実に一歩づつ」です。われわれの夢が法人化によって今まで以上に広がり、それが確実に実現していくように努力しましょう。
10月22日の日曜日、千駄ヶ谷の社会教育館に於いて、在日外国人を招いての国際将棋交流会が開かれた。参加者は外国人 11名、「将棋を世界に広める会」の一般会員16名ほか理事会員 10人、それに北島五段、中井女流名人を迎えての総勢 40名弱にのぼった。
受付を手伝って頂いたのは、新婚ほやほやの「かけはし」前編集長山田さんの奥様。また、スナック「京」と言えば新宿西口から10分、棋士の溜まり場の一つで鈴木大介 六段がこの店の方とゴールインしたという有名なエピソードを持つお店だが、そこのママである加藤仁羽子さんが一般会員として対局され、男性の多い会場に花を添えていただいたのはたいへんうれしかった。(鈴木良尚)
外国人参加者はアメリカ、スウェーデン、アルゼンチン、ニュージーランド、スペイン、フランス、オランダ、オーストラリア、パラグアイと 9カ国に及び、棋力は 四段から初心者までとこれまた多士済々であった。中でもスウエーデンのダネルドさんは 2カ月余りの日本滞在中に偶然この催しが入って、新宿道場で認められた二段の実力をいかんなく発揮する場を得られたのは幸運であった。また、世田谷のセントメリーズ・インターナショナル・スクールのクラブ活動で将棋を習っているロスコー君(国籍ニュージーランド)は3勝を挙げ、外国人の中で最高の成績を収めた。日本側では安部四段が絶好調の4連勝を達成されたのはさすがである。
対局終了後、勝数の多い順に、原田泰夫先生御寄贈の色紙や将棋の本、そのほか「じんべい」など変わった商品を含めて自分の好きな品物を選んでもらい、ほぼ参加者全員に行き渡った。
交流会のあと近所の中華料理店にて懇親会を開いたが、参加者が28名に及んだため、店の方で予定した席に入りきらなくなり、あわててテーブルを作り直す騒ぎとなり、ここでも大いに盛り上がった。
今回の催しにご協力頂いた北島、中井両先生には厚く御礼申し上げます。
今年7月の末にスウェーデン将棋連盟の会長がチェコに出かけ将棋の紹介をしてきました。結果は上首尾で、Pardubice でのチェコ・オープン2000というチェスのトーナメント参加者1130名に将棋の紹介をし、そのうち約半数が将棋のルールを学び駒落ち将棋を指しました。そしてPragueで小規模のトーナメントを行いました。チェコ将棋連盟が設立され、最近チェコが欧州将棋連盟の11番目の加盟国として満場一致で加盟を認められました。(Martin Danerud,
欧州将棋連盟副会長兼スウェーデン将棋連盟会長)
欧州で将棋愛好者がふえてきています。それには二つ理由があります。一つは積極的に将棋を指す人たちのための将棋トーナメントがますます大規模かつ頻繁に行われるようになり、またhttp://www.shogidojo.com. といったインターネットで容易に対局相手が見つかるようになったからです。2番目の理由は将棋の組織のできた国が急速に増えていることです。過去3年の間に将棋の組織のある国が倍増しました。イギリス・フランス・オランダ・ベルギー・ドイツが欧州将棋連盟の最初の5か国でした。最近スウェーデン・ノルウエー・イタリア・オーストリア・ロシアが加盟しました。フィンランドにも将棋の組織があり、昨年Carl Johan Nils-son 氏と私が将棋の紹介に出かけたデンマークでも将棋が行われています。
チェコ共和国のPardubice では毎年チェスのイベントが行われます。これは世界の大きなチェス大会の一つになっており、そこで私は東欧や中央ヨーロッパからのチェス・プレーヤーに将棋を紹介するために出かけることにしました。ISPSの援助のおかげでこれが実現出来ました。
またe-mailを通じてPragueのVojtech Hrabal氏を知ることが出来ました。彼はPragueのボード・ゲーム・クラブのメンバーでこのクラブは一日の間様々なボード・ゲームを紹介するためにPardubice に招待されていました。
7月の終わりにチェコの首都Pragueに飛び、そこから鉄道で東約100キロのPardubice に向かいました。この町は17世紀の30年戦争でスウエーデン軍に包囲されたところです。Zelena brana(緑の塔)の頂上から町じゅうが戦争に耐えた美しい場所が眺められます。(第二図参照)塔の下は玉石を敷き詰めた広場でルネッサンス時代の建物が残っています。遠くの大きな丘の頂上にはHradec Kralove(女王の城)を望むことが出来ます。
チェコの鉄道運賃は驚くほど安価です。PragueからPardubice までの二等は225円相当です。Prague空港からPrague中央駅までのタクシーはその10倍もします。これはチェコの現状を良く示しています。いくつかのことは共産主義チェコスロバキアのままであり、ほかのことは急速に西欧に近づいているのです。20歳以上の人たちはチェコ語のほかにドイツ語やロシア語を話しますが、若者は流暢な英語を使っています。
スウェーデン将棋連盟には新しい将棋紹介リーフレットがあります。将棋の歴史、将棋に関する基本的知識、それに将棋のルールが書かれています。チェコに出かける前にこれを英訳しました。チェス大会で様々な欧州の人たちと会うことになるでしょうから、英語のリーフレットが将棋紹介に最適と考えたからです。
☆チェス大会での普及
チェス大会、チェコオープン2000はPardubice の文化センターIdeon で開催されました。競技参加者はすべてスイス・ペアリング・システムで9局対戦しました。同じポイントを持ったもの同士がコンピユーターによる一定の規則に従い対戦します。競技者はELOレイテイングにより4クラスに分けられました。A〜Dクラス合計1130人でした。Aクラスの優勝者はベルギーのグランド・マスター(GM)Mikail Gure-vichでした。AクラスはGM22人でした。
英語の将棋リーフレットはチェコ・オープン2000の参加者すべてに配布しました。
大会5日目は朝の9時から夜の10時までほかのボード・ゲームのための特別な日でした。PragueのPalubaクラブから来た人たちは碁・チャンギ・アバロン・オセロや将棋などを紹介しました。
将棋は紹介された10あまりのゲームの一つで将棋のために最初から2つのテーブルを確保しました。
私は初めてVojtech Hrabal氏に会いました。彼は長い金髪の素敵な青年でした。私たちは将棋に興味を示したすべての人に将棋を紹介しました。
私は『最初の駒落ち将棋』すなわち私は王だけの将棋から始め初心者相手の駒落ち将棋を指し続けました。スウェーデンの人たちは中座四段が1998年にGoteborgに来られた時にこのような駒落ち将棋を教わったそうです。初心者がほとんど勝つことができ、より難しい駒落ち将棋で次第に力をつけて行き、将棋の面白さが分かる良い結果を生んでいます。
Hrabal氏はチェコ語の駒の名前と動き方を図示した紙を配ってくれました。
最初の二つのテーブルでは将棋紹介が続き、終わりにはほかのボード・ゲームのために用意されたテーブルの半分が将棋で占められることになりました。将棋のリーフレットで将棋がほかのボード・ゲームより面白いのが分かったことが明らかです。その日は約50人に将棋を見せることが出来ました。またHrabal氏は今後の連絡のために35人の名前を記録しました。
新しい将棋の友人の大半はチェコ人ですが、スロバキア・ドイツ・ロシア・ポーランド・スペインから来た人もいました。私はチェコのテレビ局のインタビューを受け、日本の将棋や将棋の歴史についての質問に答えました。
チェスを9局戦い、世界各国からの新しい友人たちとの会合を終えて、列車でPardubice を立ちチェコの首都Pragueに向かいました。Pragueは世界でもっとも観光客の多い首都の一つになっています。Karluv Most(チャールス橋)周辺地域は多くの観光客を魅了しています。この橋のVltava川の東側にはオールド・タウンがあります。1989年11月24日にWenceslas 広場のバルコニーからAlexander DubcekとVaclav Havel がチェコ共産主義の終焉を宣言しました。
☆ チェコ将棋連盟の設立
Wenceslas 広場の近くのNamustkuの5階にチェコ・日本協会の情報文化センターがあります。 PragueのHrabal氏の周りに集まった将棋を指す人たちとPrague10年在住の日本人と私とで懇談しました。
私たちはチェコにおける将棋について話し合いました。Hrabal氏と私はチェコ・オープン2000での成功について話しました。塚原氏からはPragueの日本人社会がチェコ将棋連盟に協力したい旨の発言がありました。
Pragueの将棋プレイヤーはPragueのSmichov のLidicka 40番地にあるPaluba Club で毎週火曜日に集まることになりました。この会合でHrabal氏とPetr Kral 氏を欧州連盟に対する代表としてチェコ将棋連盟が設立されました。
チェコの将棋プレイヤーがそれぞれの都市で将棋クラブを作り連盟に加盟することを望んでいます。私がスウエーデンに戻ってからチェコ共和国は欧州将棋連盟の第11番目の加盟国として承認されました。
この会合で小規模な将棋会も行いました。チェコの強いプレイヤーはまだ欧州の強いプレイヤーの中には入りません。しかし彼らには将棋に対するエネルギーと強い興味があるので、いまに強いプレイヤーになると思っています。私はHrabal氏は7級程度とみました。あとで彼はTony Hoskingの優れた英語の将棋の本"The Art of Shogi" のチェコ語への翻訳をしているのを見せてくれました。
将棋の会合が終わった夜、私はHrabal氏の家に招待されました。彼と彼のガールフレンドがチェコ料理をふるまってくれました。私たちは遅くまでチェコ共和国の現状と未来について語り合いました。彼らはアジアの文化について興味を持っており、おそらく将来よく旅行をするでしょう。何時の日か彼らが日本を訪問出来ればと思っています。
チェコで10日間過ごした後、スウエーデンへの帰りの機上で私は疲れてはいましたが幸せでした。
新たに欧州諸国に将棋を広める次のステップは欧州将棋連盟加盟国が、それぞれの周辺国に働きかけることだと思います。フィンランド・エストニア・デンマーク・スロバキア・ウクライナが近い将来欧州将棋連盟に加盟する可能性があります。それには現在の欧州将棋連盟加盟国の強い働きかけが不可欠です。ISPSが欧州における将棋の発展に支援を継続されることを願っています。
2000年の将棋世界チャンピオンシップが行われました。たいへんな成功で私が今までに参加したトーナメントでは最高のものでした。
*最高の受付
私が金曜日に到着したとき、主催者の増井さん、井上さん、荻原さんの3人から大変丁寧なあいさつがありました。またそのときに、”合衆国中西部チャンピオン”と名入れしたバッジをもらい、うれしく思った反面、私の棋力は二段なので大丈夫だろうかと心配にもなりました。(Doug Dysart, Ohio Shogi Club Founder 翻訳 かけはし編集部)
このような素晴らしい受付はチェスの大会では経験がありません。もちろんスーパーGMクラスの人なら別でしょうが。私はすぐ、生涯ずっとつきあうであろう新しい友人と出会うことになったさけです。私のルームメートはインターネットで既に知りあっていたMarc Theeuwen(オランダチャンピオン)でした。
土曜日になり大会が始まりました。私はシードされていたので、予選はなく、プロに角落ちを教わりました。後になり、Larry が角落ちではハンデが低すぎると指摘してきましたが、ほとんどの対局で落ち着いて指せたと思います。
それから昼食へ出かけました。料金は前払いされています。これはとてもよいことです。食事の間中新しい友人との語らいを楽しむことができます。
昼食後に本当の動きが始まりました。私は2回戦に進むことはできましたが、そこでなんとルームメートに討ち取られてしまいました。ただ、彼が4位になったので私の気分は悪いものではありませんでした。
夜の帳がおり、T. Asada とChiaki Ito との信じられないような試合を観戦しました。Ito は偶然ですが私の最初の将棋友達です。この試合には千ドルがかかっていたので、熱戦が展開されましたが、最後に Asada さんが入玉を果たして勝ちました。
*英語でしゃべる棋士
その晩、皆で一緒にディナーをとりました。スピーチがいくつかありました。私はもちろん、林さん、増井さん、日本将棋連盟、合衆国将棋連盟に対して、このようなすばらしいイベントを開催されたことに感謝の気持ちをのべました。
本当にすばらしかったことはプロ棋士が英語でしゃべろうとしてくれたことです。佐藤先生と近藤先生は特にそうです。両方ともたいへん親しみがあり気さくな人で、私はお二人の大ファンになってしまいました。
日曜日はまた、勝ち抜き戦の続きです。また、同時に、予選で1勝2敗だった人のBクラス、0勝2敗だった人のCクラスも同時に行われました。これらについても大きな賞品がかかっていたので皆真剣で熱心でした。
Ray Kaufumanが彼のセクションで賞品を獲得しました。マーク 同士の戦いとして、Mark Ono と Marc Theeuwenの対局が注目されました。Marcがマジックのような手順で逆転勝ちをしました。
Egoshiさんと私の友人Chiaki Itoとの決勝戦は接戦でした。賞金は3000ドルがかかっています。対局の進行とともにプロが分析し、すべてがインターネットで中継されます。将棋が観衆に訴えるスポーツであることを初めて知りました。
将棋世界チャンピオンの栄冠はMr.Egoshi の上に輝きました。チャンピオンフラッグをつくったらどうでしょうか。
月曜日は、団体戦でした。私は Ray Kaufman, Geroge Fernandezと一緒のアメリカチームで、よく貢献できました。二人はやさしいことに私がチームMVPになることにうなずいてくれました。大変名誉なことです。
この日も、プロ棋士との素晴らしいステーキパーティで最後までもりあがった一日でした。Peter Luger's のステーキは今までに食べたなかで最高でした。他の食べ物やビールもおいしかったです。最後に、さよならを言い合いました。ロンドンのMSO で再会することを楽しみにしながら。
*棋友たちとの出逢い
今回の大会は賞金のかかった競技的要素が強いものでしたが、同時に楽しく社交的な集まりでもありました。増井さんはさながら MC のようで、いつも彼のまわりには笑いがあり、皆が笑顔で話し掛けられるよう配慮されていました。
それから英語で話し掛けてくれた近藤先生を忘れてはいけません。先生の英語は完璧ではありませんでしたが、英語で話し掛けていただいたことはたいへん光栄なことでした。。近藤先生が今後の人生で活躍することを祈念します。
ヨーロッパの将棋友だちと会えたのもたいへんによいことでした。ブラジル人たちは、英語をよく知らないようでしたが、それでも私と話そうとしてくれてともに楽しい時をすごせました。 いまや有名な著作家となったTony Hoskingと会えたのもうれしいことでした。Marc Onoは常に一緒にいて楽しいひとでした。そして、もちろん、すでに旧知となっているWashinton DCとニューヨークの将棋友だちに再会できた機会でもありました。
この大会は非常にうまくいったと考えています。無事に終わり、問題も残りませんでした。来た人は皆ほほえみをたたえながら去り、次の機会にあいまみえることを心待ちにしています。多分、来年、おなじような条件で行われるのでしょうが。その機会がたいへん待ち遠しく思われます。
昨年から家内と、私の2000年定年退職を機に、フランスとイギリスを旅行したいと話してきた。家内は若いころフランスに音楽留学したときお世話になった人の家族に会い、亡くなった人の墓参りもしたいという。また、日本へ最初にフランス歌曲を紹介された恩師古沢淑子先生が、スイス国境近くの村にご高齢で住んでおられるのでどうしても会っておきたいし、イギリスでは、ダンスの世界選手権大会も観戦したいという。
ともかく日程の忙しい旅になりそうであったが、ガイド役の私にもひそかな楽しみがあった。
昨年10月の上海旅行で同行された鈴木さんと湯川さんから、フランスの将棋愛好家エリック・シェモル氏のことを聞いていたので、昨年暮れ、エリックに手紙を書いて5月にパリの将棋クラブを訪ねたい意向を伝えた。(稲垣巌)
年が開けて早速エリックから親切な返書が届いた。パリには二ヶ所のクラブがあり、月曜と土曜に集まっているので訪ねるときは前もって電話をくれれば待ち合わせて案内するとのことだった。そのほかにも今年2000年にヨーロッパで催される将棋大会の予定や、ヨーロッパ各国の将棋クラブの責任者とE-mailアドレスも2ページにわたって詳しく知らせてくれた。
5月6日にパリに飛び、忙しく日程をこなして5月22日月曜、紹介された将棋クラブに行くべくエリックに電話を入れた。しかし彼は何か落ち着かない感じで自分は行けないからフレデリック・ポティエ氏に電話してくれ、といってそそくさと電話を切った。
後で分かったことだが、彼の奥さんが出産間際でそれどころではなかったのである。
エリックの手紙に両方のクラブの責任者として紹介されていた、フレデリック・ポティエ氏に電話をし、近郊のラ・デファンス駅前、新凱旋門の階段中央で待ち合わせることにした。
フレデリックは感じのよい若者で(エリックと同年の36歳)最初の言葉は“はじめまして”という日本語であった。彼はすでに2回来日していて小樽から松江まで日本各地を旅し、カタコトの日本語も話せる親日家である。
彼の案内で、10分ほど歩いたところに建つ円筒形で迷彩模様の高層アパート群の1棟に入った。
彼はそこの28階に住んでいて、1階集会場の一室を、月曜夜に将棋クラブとして使っていた。小ぢんまりとした部屋には将棋盤が3面用意されていて、先客もすでに2人来ていた。
青野九段の日英対訳の著書二冊をISPSからだと手渡すと感謝された。
フレデリックと3局対戦したが、横歩取り8五飛など最新戦法も指してなかなか序盤に明るい。それもそのはず、日本将棋連盟のパリ支部には、毎月将棋世界が3部送られてきているほか、週刊将棋も購読しているという熱心さには驚くばかり。
インターネットも利用しているそうでUP-to-DATEな情報に事欠いていない。将棋はフレデリックに終盤に緩手が出て私が勝った。
もう1人パリ在住の植村さんと一局指した。この方は、京大将棋部OBで振り飛車党。なかなかの強豪であったがなんとか勝てた。
土曜日に将棋を指せるパリのもう一ヶ所の将棋クラブは、市内メトロのシャトレ駅近くにあるカフェの中だ。
目印は、この店の向かいに建っているサン・ジャックの塔で、高さ52メートルのこの塔はよく目立ち、昔パスカルがこの塔の頂上から気圧の実験をしたことで知られている。
このカフェの奥で土曜の夜、日仏交流の集いがあり、そこにフレデリックは将棋の盤駒を持ってきて、普及につとめている。初心者には四枚落ちくらいから教えていた。
ここでは、フレデリックと同じ三段のギョームと対戦した。彼はニューヨークのアマチュア世界選手権に出場してきたそうだが、1回戦で六段とあたり敗退したという。
将棋は序盤で私が奇略を弄して角頭の一歩をかすめ取りそのまま優位を保って逃げ切った。このカフェには2回通った。
3週間の旅も終わりになり、帰国前夜ラ・デファンスのクラブに3度目の顔を出した。ギョームや日本人の森本さんら4人がすでに対局中で、それを観戦していると、だれかが入室してきた。エリックであった。奥様が無事男児を出産し、ルカと名づけたそうである。
心からおめでとうといって、早速初手合わせをお願いした。さすがにフランスチャンピオンだけあって、エリックは攻めに迫力があり、守りにも受け潰そうとする力があった。
3局とも接戦であったが1勝2敗と負け越した。しかし、会えないと思っていたエリックと最後に対局できたことには大いに満足した。結局この旅行中五夜を将棋に費やし、大きな満足感を得られた。今後も元気な限り「好きな道なら千里も一里」の将棋交流の旅を続けていきたいと願っている。
1996年初めて日本将棋連盟に手紙を出し、ウクライナに将棋の紹介をはじめました。
自分で作った将棋セットと日本将棋連盟から送られた将棋セットに将棋の本『SHOGI FOR BEGENNERS』を使いながら少しずつ仲間たちに将棋のルールを教えていきました。(ウィスタ・チシェンコ)
ウクライナはチェスの国でたくさんの棋士がいます。グランドマスターは国際トーナメントにも参加していますし、キエフの大学では、スポーツ活動の一環としてチェスが取り入れられているほどです。チェスの棋士はすぐに将棋のルールを覚えてくれました。将棋の駒の動かし方を教えるのにはレゲット(T. Legget)駒を使いました。
日本大使館員の原田和哉さんには将棋普及で大変お手伝いしていただきました。
原田さんは五段です。彼は仕事のあと、ウクライナの将棋ファンたちに大使館で大内延之九段の『初歩の基本戦法』や中原永世十段の『急戦将棋』などを使いながら、みんなに定跡を教えたり、多面指しをしたりしてくれました。残念なことに原田さんは日本に帰ってしまいましたが、とても感謝しています。
まださほどウクライナでは将棋は盛んではありませんが、囲碁のほうは、『科学と生命』(1975年8月)という雑誌に囲碁コンクールの記事が掲載されたあとから普及が始まり、レニングラードやモスクワなどロシアの大きな都市には囲碁センターができました。現在ではウクライナ囲碁連盟によってウクライナの囲碁棋士たちは国内大会だけでなく様々な国際トーナメントにも参加しています。
私は囲碁と将棋の講師で、「子供宮殿」というところに勤めています。同僚は囲碁やチェス・西洋碁(draghts)などを教えています。
チェスについて話しますと、毎年人気は上がっています。「子供宮殿」の生徒の棋力は初級〜1級くらいですが、チェストーナメント・ファイナルに「子供宮殿」の生徒を進出させることが講師の夢です。
生徒達はチェスをやっているせいか、将棋を教えたらすぐ覚えてくれました。将棋に興味をもってくれたみたいで、トレーニングで指したり、詰め将棋を解いたり、多面指しをしたりしています。
Artem Grechk くんは特に気に入ってくれたみたいで、普及のお手伝いをしてくれたり、一生懸命定跡や戦法などを勉強しています。彼は強くなるのではないでしょうか。ちょっと楽しみですね。
去年ウクライナは日本将棋連盟の支部になることができました。これはウクライナの将棋の発展にとって大きな一歩です。また、ウクライナと日本の文化交流は毎年盛んになっており、ウクライナ人の多くは日本に興味を持ち日本語を勉強したり、日本大使館で行われる催しに積極的に参加したりしています。ウクライナで将棋人気に火がつく日もそう遠くはないのでしょうか。
5月25日、クチユベイ宮殿で3面指し対局。『バラの学校』の生徒、モスクワからかけつけた強豪、ペテルブルグ代表たちのお相手した。
ロシア語通の舘裕さんが慣れない記録係を勤めてくださった。生徒諸君は猛烈な早指しであるから、指し手を書きこむことは大仕事、ご苦労様。ここでは六枚落ち2局。短評を記す。
六枚落ちは、飛車、角、香2枚、桂2枚合わせて6枚落とす。駒落ちはすべて上手が先手、六枚落ちで原田に勝つなら「立派な初段」と認めるつもりであった。(九段 原田泰夫)
平成12年5月25日
クチユベイ宮殿
六枚落ち
・原田 泰夫
・パフムコフ
【初手からの指し手】
▽2二銀 ▲2六歩 ▽8二銀 ▲2五歩
▽3二金 ▲1六歩 ▽7二金 ▲1五歩
▽5二玉 ▲1七香 ▽3四歩 ▲1八飛
▽4四歩 ▲1四歩 ▽同 歩 ▲同 香
▽4三玉 ▲1二香成▽3三銀(第1図)
<第1図>
ここまでは100点
初めて日本語学校を訪問して六枚落ちで指導した。その折、上手陣の攻略法を示したのでその順で破られた。
上手は・2二銀1枚。下手は1筋に飛車と香の協力で2枚。(数多ければ攻め勝つ)道理、原田が原田に六枚落ちで指している気分で笑ってしまう。とにかくここまでは下手100点満点だ。
【第1図以下の指し手】
▲3八金 ▽5四歩 ▲6八金 ▽7四歩
▲5六歩 ▽7三金 ▲7八銀 ▽7五歩
▲6六歩 ▽7四金 ▲6七金 ▽4五歩
▲7六歩 ▽同 歩 ▲同 金 ▽7五歩
▲8六金 ▽8四歩 ▲7七銀 ▽8五歩
▲9五金 ▽8三銀 ▲8六歩 ▽9四歩
▲9六金 ▽8四銀 (第2図)
<第2図>
想像できない手順
第1図。次の一手をどう指すか。下手の勝ち方はいくつもある。下手の手順だけを示すと、・2一成香〜・1二飛成〜・1四歩〜・1三歩成、「龍とと金の協力」で金銀を攻め、次に・2三と・同金・1三成香・同金・同飛成を狙う。駒得すれば下手必勝。
実戦の下手の手順は、将棋を覚えたばかりの幼年原田はこんなものか。70年前の初級時代、現在では想像できない手順。第1図までの100点の指し手から、疑問手、悪手、減点手、指さないほうがいいという手を指している。いちいち解説しにくい順。
だからこそ六枚落ちの将棋である。
【第2図以下の指し手】
▽同 金 ▲8六歩 ▽8四金 ▲7六歩
▽7八金 ▲9六歩 ▽7六歩 ▲同 銀
▽8八金 ▲7七桂 ▽6四歩 ▲6五歩
▽7四金 ▲6四歩 ▽同 金 ▲6五桂
▽7七角 ▲6八歩 ▽8六角成▲6七銀打
▽6六歩 ▲同 銀 ▽7六馬 ▲6七歩
▽同 馬 ▲6八歩 ▽5八銀 ▲4八玉
▽4九銀成(投了図)
まで77手にて原田の勝ち
<投了図>
下手惜敗
第2図下手の次の一手は・7九角と引き、・1三角成として・5七馬。『馬は自陣に引け』の形にすれば下手勝てる。
実戦手順は、2人がかりで下手負けの順を進めた。序盤で「破り方」を知っているので、これから攻防の手筋をおぼえればよい。
旅行団が寄付した各種の将棋上達法を読んで実戦鍛錬を希望したい。6級と認定。
六枚落ち
・原田 泰夫
・テェリヨーヒン・アンドレイ
【初手からの指し手】
▽2二銀 ▲5八玉 ▽8二銀 ▲7八金
▽3二金 ▲3八金 ▽7二金 ▲6八銀
▽5二玉 ▲4八銀 ▽3四歩 ▲6六歩
▽4四歩 ▲6七銀 ▽7四歩 ▲4六歩
▽3三銀 ▲4七銀 ▽7三金 ▲2六歩
▽7五歩 ▲5六歩 ▽7四金 ▲8六歩
▽8四歩 ▲8七金 ▽7三銀 ▲5七玉
▽5四歩(第1図)
<第1図>
初対面の下手陣
下手の少年は独創力がある。
第1図の駒組みが面白い。4七銀−6七銀型は「ツノ銀」という。牛のツノに似ているからだ。
5七玉の3段玉に左右の2枚金は初めて。63年のプロ生活で初対面の下手の布陣。この少年は建築家を目指したら成功するのではないかと思った。ほんとうは「金銀二分」型はよくない。
【第1図以下の指し手】
▲7六歩 ▽8五歩 ▲同 歩 ▽同 金
▲7九角 ▽8六歩 ▲7七金 ▽7六歩
▲同 銀 ▽同 金 ▲同 金 ▽8七歩成
▲9六歩 ▽8八歩 ▲7七桂 ▽7八と
▲6八角 ▽同 と ▲同 玉 ▽8九歩成
▲4八金 ▽8八と ▲8五桂 ▽8四銀
▲5七玉 ▽7八と ▲5八金 ▽3九角
▲6七玉 ▽8七銀 ▲3八飛 ▽7六銀成
▲同 玉 ▽7五金 ▲6七玉 ▽6六角成
▲7八玉 ▽8五銀 (第2図)
<第2図>
と金で勝つこと
歩の衝突場面で、取る手か、取らない手か、まだ分からない。自陣の三段目に「と金」を作らせてはいけない。「と金は金と同じで金以上」相手に取られた瞬間に歩にかえる。
歩の使い方、と金で勝つこと、駒損をしないことを注意した。序盤の構想をほめたが、1手、1手の価値の差が現れた。
【第2図以下の指し手】
▲6九玉 ▽7六銀 ▲5九玉 ▽9九馬
▲6八金 ▽7七銀成▲6九金 ▽6四香
▲7九金 ▽7八歩 ▲同 金 ▽同成銀
▲同 飛 ▽6六馬 ▲6九銀 ▽6七馬
▲8八飛 ▽4九金 (投了図)
まで85手にて原田の勝ち
<投了図>
今後が楽しみ
前局と同様に本局も上手は1手、1手迫り、下手は負けを早める順に協力しているような指し方である。経験不足なので仕方がない。
眠・休・遊・怠・死の言葉を思い出してほしい。遊び駒を作らない、遊び駒を活用すること。適材適所に駒を運用する方は強い。臨機応変、現場処理ができる人はさらに強い。『バラの学校』から日本将棋の秀才、天才の出現はこれからだ。2年後か3年後を見たい。
本局の少年にも「6級」と認定した。
今年は中国上海から、2回も来日した。一度目は熊本県玉名市で開催された、全国将棋寺子屋(講師・米長邦雄棋聖)に上海から高校生が3人招待され、講師の平手多面指しに一局勝利をあげた。また、中学選手権の東京予選には3人の少年(顧冠鳴、陶季銘、沈珂軼)が参加、顧君と陶君が予選通過した。また松坂屋の少年大会では、沈君がベスト16と活躍した。(編集室)
8月23日〜25日の奨励会試験には、顧君(9月で中1)が挑戦したが、プロへの道は厳しく惜しくも敗退(受験生同士の予選は3-3で抜けたが、対奨励会員とは 0-3 で負けた)。
指導者の許建東さんは、「これからもチャレンジさせます」と力強く語った。
今年5月にニューヨークで行われた第1回将棋大会は、大成功のうちに幕を閉じた。世界各国の予選優勝者を大会側が渡航費用をもって招待し、各レベルの入賞者に多額の賞金を出すというこの世界大会は、日本を除く全世界のアマ最強者を決定するというのがそもそもの趣旨であったが、最終的にはそれ以上の結果を生んだ。(荻原茂孝、ニューヨーク将棋クラブ幹事・将棋世界大会運営委員長)
参加者の多くから頂いた、これまでにない素晴らしい大会だった、心に残る良い体験だったという賛辞が、今大会を企画し実行したニューヨーク将棋クラブのメンバーをねぎらった。準備は半年以上も前からあったが、まずは大会当日の模様から報告したい。
*日本からプロも参加
日本から特別ご参加いただいたプロの石川陽生六段(ニューヨーク支部特別顧問)と近藤正和四段が5月15日(月)にニューヨーク着。17日(水)には日本将棋連盟からの派遣棋士として、飯塚祐紀五段と佐藤伸哉四段のお二人が到着されて、その晩はマンハッタンの中華料理店でニューヨーク将棋クラブ員による歓迎会が行われた。飯塚、佐藤両先生はニューヨークは初めてとのことだったが、たちまちに楽しい雰囲気に飲まれて、二次会までお付き合いとなった。
大会の会場となったのは、ニューヨーク市郊外アーモンクにあるラマダ・イン・ホテル。5月19日の金曜日の午後から、世界各国からの競技参加者および関係者が続々と集まってきた。ブラジルからの総勢8人(競技者でない者も含む)の選手団も、すでに投宿していた。この日の午後10時までに登録手続きを済ませるという規定だ。
登録の際にはすべての人に、大会側が用意した16ページのプログラム、各自の名前や国名が印刷されたネーム・バッジ、今大会に特別制作したTシャツ、アルファベットで大会名が入った珍しい扇子、および棋書1冊が手渡された。事前の手配通り、参加者全員が同ホテルに部屋をとって明日に備える。大会主催者の担当者はこの晩、予選の組み合わせ表やアマプロ戦の対戦表を作って会場に貼り出した。
翌20日(土)が競技の初日である。8時45分から大ホールで開会式。プロの先生方や関係者の式辞と紹介、予選組み合わせ等の説明、競技ルールの確認などが一通り済んで、9時15分に試合開始となった。この日はまず、予選参加者が9ブロックに分けられ、3回戦の結果によってAクラスからCクラスまで分けられた。
*アマプロ角落ち戦
一方各国(およびアメリカ各支部)予選の優勝者にヨーロッパ・チャンピオン、全米チャンピオンなどを加えた合計20名の招待選手はシード選手として、予選に出るかわりにアマプロ戦を楽しんだ。
4人のプロ棋士がすべて角落ちで5面指し。世界から集まったそうそうたるアマ強豪20人が3局ずつ指したが結果は合計してプロの51勝6敗。角落ちという手合いで、さすがプロというべきか、アマが善戦したというべきか評価は分かれるところだ。
アマ側20名のうち、1勝した者が2名、2勝したのが2名で、あとは全敗という結果だった。タイ代表の伊藤千顕さんとロサンゼルス支部代表の浅田拓史君(15歳)がともに2勝して並んだため、優勝者決定戦が臨時に夕食後に大ホールで行われた。159手の大熱戦の末、浅田君が優勝して1,000ドルの賞金を手にした(準優勝者は500ドル)
この日の夕方までにAクラスの第2回戦までが終了。午後、自分の競技が済んだ者は、プロの指導対局に参加したり、将棋道場で自由に対局したりと様々だ。この将棋道場とは、ホテルの2階の会議室を特別仮説道場にしたものだ。日本にある町の道場と同様、席主を置いて個々人の勝敗表にスタンプを押していく。2日間の最多勝者にも賞品が用意されていた。
*盛り上がった夕食会
夕食は、大ホールのとなりにあるホテル内のレストランで全員がビュッフェ・スタイルのディナーを楽しんだ。世界各国から集まった将棋仲間が、飲みながら自由に将棋を語らい合うだけで盛り上がるが、それだけではない。その場に用意されたマイクロフォンの前に各国の参加者が次々と立って、自由にスピーチをしたのだ。それぞれのお国なまりの英語で、自己紹介や抱負今大会に対する思いや感激を思いのままにしゃべってもらった。ついにはプロの先生方までが呼ばれてマイクの前に立ったが、特に、英語を交えて茶目っ気たっぷりに挨拶された近藤先生のスピーチには沸きに沸いた。
夕食後には、思いがけない余興が実現した。プロの4人の先生方が公開対局をしてくれることになったのだ。近藤四段と飯塚五段が対局し、佐藤四段が記録係、石川六段が大盤解説を担当して、即興のプロ対局が実現した。海外にいる将棋ファンにとって、プロの対局を目近に観戦できる機会はめったにないので、こんなに嬉しいことはない。まして、数少ない本を便りに将棋を勉強してきた外国人の多くにとっては、初めての体験だったに違いない。
対局の途中で5回ほど「次の1手」問題をやって大賑わいとなった。石川プロの楽しい解説と聞き手(兼通訳係)の話がすぐ近く対局者に聞こえるので、対局者も時々クスクス笑いながら指しているといった、終始和気藹々としたお好み対局となった。(勝負は飯塚五段の勝ち。)参加者を楽しませて頂いたプロの先生方に感謝したい。
*ハプニング続出
翌21日(日)の朝は、Aクラスの第3回戦、B,Cクラスの第1回戦、および前日Aクラスの第2回戦までで敗退した者のため敗者戦リーグの第1回戦から始まった。
見ごたえのある熱戦が多かったが、こういった大会で特別のマッチでない限り棋譜を残せないのが残念。持ち時間はすべて20分と30秒の秒読み。時間が短いのでハプニングも起こる。
本命の一人と思われたワシントンのラリー・カウフマンはニューヨークの鈴木さん(現全米チャンピオン)に敗れたが、その鈴木さんは4回戦でイギリス代表のトニー・ホスキング(英語で将棋の本を出版していることで知られる)に苦戦。ところが、際どい終盤戦でホスキング氏が二歩を指して、あっけない幕切れ。ふだんは物静かでクールなホスキング氏も、この時ばかりは頭をかかえていた。
ロサンゼルス代表選手であった15才の浅田君の活躍も期待されたが、第3回戦でブラジルから参加された大原さんに敗れた。結局、ベスト8に勝ち残ったのは、Yoshihisa Suzuki(全米チャンピオン/ニューヨーク)、MarcTheeuwen(オランダ)、Chiaki Ito(タイ)、Chuichiro Yamada(マレーシア)、Katsushige Ohara(ブラジル)、Katsumasa Egoshi(ブラジル)、Arendvan Oosten(ヨーロッパ・チャンピオン/オランダ)、Kisao Ichihara(香港)の各選手だ。
オランダ、ブラジルがそれぞれ2名をベスト8に送り込んだという点が注目を集めた。昼食をはさんで準決勝戦が行われ決勝戦に勝ち上がったのが、タイ代表の伊藤千顕さんとブラジル代表の江越克将さんの二人。決勝戦は3時半に予定されていた。
一方、Bクラス、Cクラス、敗者戦もそれぞれ決勝戦が行われ結果は以下の通り。Bクラス優勝:Motohiko Sato(シカゴ)、Cクラス優勝:Sigeru Ishida(ニューヨーク)、敗者戦優勝:第1ブロック・Shigetaka Ogihara(ニューヨーク)、第2ブロック・TakushiAsada(ロサンゼルス)。
*白熱の決勝戦
さてAクラスの決勝戦。特別対局室が2階の個室に設けられた。1階の大ホールでは、プロの先生方による大盤解説が行われ皆がそれに聞き入った。伊藤さんの先手で始まった戦いは、3手目でいきなり角交換から筋違い角の戦型に発展。試合後に聞いた話だが、江越さんは対局前、初対局の伊藤さんに勝つためにどの戦法にしようかとあれこれ考えたが、筋違い角はまったく予想外だったので、3手目の2ニ角成りを見て頭が真っ白になったという。しかしそこからがさすがの実力者だ。玉頭を盛り上げ、チャンスと見るや、端歩を突いた上で5五角と打ち下ろした。ここからは後手の攻勢、先手の防衛という流れとなり、そのまま一気に先手の玉を攻め落して、後手・江越さんの勝ちとなった。
アマ世界チャンピオン、江越克将さんの誕生である。
江越さんは、27才。奨励会に在籍した経験があるそうだが、現在ブラジル在住。サンパウロから400キロも離れたアマゾンの奥地で、現地の孤児のための施設を作ることを目指した活動に従事している。生活を支えるためにマッサージ師をしているという。孤児院設立の夢に向ける情熱も旺盛で、福祉国家として知られるノルウェーの選手などと、協力者を捜す手がかりなどについて話し合っている姿が見られた。ラップトップのコンピューターを買って帰りたいと言っていたが、大会本部席でたまたま見かけたものが約2,600ドルだと聞いて「それはぼくのブラジルでの1年間の生活費ですよ!」と言って舌を巻いた。こんな真摯な青年が3,000ドルの優勝賞金を勝ち取ったことを喜びたい。ブラジル選手団がわがことのように喜んでいたのが印象的だった。
ちなみにこの決勝戦は、インターネットによる実況中継によって世界中に同時発信された。
日本のインターネット将棋道場「将棋倶楽部24」との連携プレーによって、世界初の試みが成功したのだ。 「将棋倶楽部24」主宰の久米さんの報告によると、決勝中継の観戦者数が204人だったということで、これは日本の明け方の時間帯だったことを考えると過去最高数に匹敵するという。
また、ニューヨーク将棋クラブのホームページ(www.nyshogi.com)へのアクセス数が、決勝戦のあった21日には6,600に達したという。信じられないような数字だ。
*楽しい表彰式
決勝戦の後に行われた表彰式では、たくさんのトロフィーと賞金が手渡され、賞品が参加者全員に贈られた。賞金は、Aクラスは1位($3,000)から4位まで、Bクラスも1位($1,500)から4位まで、Cクラスは1位($300)と2位にそれぞれ、プロアマ戦の優勝者と準優勝者にも賞金が渡された。敗者戦優勝者や、将棋道場での成績優秀者にもトロフィーが贈られた。
そればかりではない。プロ指導対局の場におけるMVP賞が、近藤プロのご推薦でノルウェーから参加したAntje Rapmund女史に贈られた。唯一の女性選手だった彼女は、指導対局においても非常に熱心に質問をし、棋力向上に対する姿勢が印象的だったという。
審判員賞(プロの先生方が選んだ入賞者意外の一人)にはブラジルの大原さんが選ばれ、また大会委員長賞(林会長が選ぶ)には、ニューヨーク将棋クラブの和島、藤原両氏が選ばれて大きなトロフィーが渡された。
コンピューター操作が得意な和島さんは、大会本部席のコンピューターの前に張り付いて、対局成績をまとめたり、大会の進行を着々とホームページに載せたり、インターネットの実況中継を担当したりと忙しく、対局はほとんどできなかったが、大会に対する貢献度は誰もが認めるところだ。
一方の藤原さんも大会のフォーマットを考案し、トーナメントの進行に沿って選手の組み合わせ表を作成して発表しスムーズな大会運営に貢献した。
最後に、トーナメントMVP賞というのが準備されていて、これは実行委員の総意によって石川先生に贈られた。ニューヨーク支部顧問としてここ数年毎年のようにニューヨークにお越し頂いて支部との交流を深め、また毎年の全米将棋大会の特別顧問も務めて頂く石川プロのそういった献身的なご指導が今回のニューヨークでの世界大会の礎となったことを思えば、トーナメントMVP賞のもっとも相応しい受賞者といえるだろう。
*四大陸戦
日曜日の晩は、希望者を募ってロングアイランドにあるPeter Lugerという有名なステーキ・ハウスに食事にでかけた。海外からの参加者のほとんどが同行して総勢30数名になったので大変な賑わいとなった。
2日間の正式行事が終了して帰途についた者も多かったが、翌月曜日は、非公式な番外企画として「四大陸チーム・トーナメント」が催された。
まだニューヨークに残れる人たちを集めてアジア・チーム、アメリカ・チーム、ブラジル・チーム、ヨーロッパ・チームの4つのチームを組み、団体対抗戦とした。和気藹々とた友好的な雰囲気の中にも真剣な勝負が続き、アジア.チームの優勝となった。
*クラブの才能集結
今回の世界大会は、ニューヨーク将棋クラブが企画し、主催し、実行したものである。このような大きなイベントを計画し運営した経験などまったくない、−将棋クラブがこれを成功させるまでには苦労があった。資金集めや世界各地に埋もれた将棋ファンとの連絡も大変だった。実行委員のメンバーを中心にミーティングを何度も重ねたり、打ち合わせや連絡の取り合いにEメールの交換も頻繁だった。
関係者間で電話連絡やEメールが毎日のように飛び交ったが、その総数はおそらく何百となるだろう。みな仕事に忙しい者ばかりである。その人たちが仕事の合間をぬって、あるいは仕事をある程度犠牲にして準備に奔走した。
ニューヨーク将棋クラブのメンバーの多才ぶりがこれほど発揮されたことはない。コンピューターのエキスパートである者がクラブのホームページを作って広報に効果をあげた。デザインを本業とする者が大会のロゴ・デザインを作りプログラムの作成から印刷までを担当した。
集金力のある者が資金調達をし、収支の管理は会計士であるクラブ員が担当した。日本将棋連盟と太いパイプを持つ者が、連盟およびプロ棋士との連絡や調整にあたった。英語の得意な者が渉外的事務をこなし、日本から受け取った石川先生や二上会長の挨拶文などを翻訳した。
ジャズが好きだというプロには、クラブ員の中のジャズ専門家が案内役となって接待した。日本にいた頃から各種の将棋トーナメントに出場した経験のあるというクラブ員が、数学的頭脳をもって今大会のフォーマットと時間配分を考案した。
競技ルールの作成とその英文化はこれに明るいクラブ員が担当した。中でも、時間的に比較的ゆとりのあった増井さんは、商社マン時代にビジネスの世界で鍛えた手腕を発揮して、世界各地との膨大な量の通信、全員の渡航とホテルの部屋の手配、予算の配分から大会運営の細部にいたるまで、すべてに渡って指導的役割を果たした。まさに今大会を成功裏に終わらせた原動力だったと言っていい。
このように、クラブ員がそれぞれに自分のできる部分をできる範囲において能力を発揮し合った結果、目を見張るような力となって、素晴らしい成果を生むことになった。このニューヨーク将棋クラブのチームワークの良さとそれによって大仕事をし遂げたという充実感は、今大会における思いがけない収穫であった。
今後の将棋の海外普及を考える上で思うところもいろいろとあったが、それについては別の機会を待ちたい。
綿毛
5月20日の夜、白夜のサンクトペテルブルグに着く。午後10時を過ぎてもまだ明るい。目の前を白いものが舞う。なんだろう?手に取ろうとするとふわりと逃げる。雪ではない。薄い綿のようなもの。
バスで空港からホテルへ向う。道の両側に立ち並ぶ白樺。広がる緑の草原にはたんぽぽが鮮やかな黄色を散らしている。けれど、あの綿毛はたんぽぽのそれとは少し違うようだ。
それから2、3日して、わたしたちはおびただしい量の綿毛が浮遊するサンクトペテルブルグの町で、ポプラと呼ばれる樹木(日本のポプラとは少し違うようだ)の、つぼみの先端に綿毛を見つけた。(高橋冨美子)
バラの学校
5月22日。バスでサンクトペテルブルグの83番学校、別名「バラの学校へ」。
「こんにちわ」と笑顔の出迎え。覚えたてのロシア語で「ズトラーストヴィチェ」と挨拶してみる。どっとみんなが笑って一斉に「ズトラーストヴィチェ」。受けた。
ホールで歓迎のコンサートが開かれた。30人ほどの可愛い合唱団が登場。グリーンの制服の生徒に混じって和服を着た女の子が10人ぐらいいる(聞くところによると母親のお手製とか)。鮮やかな着物の色が白い肌によく似合う。日本の歌を次々日本語で歌う。驚いたことに校歌は浜口庫之助の「バラが咲いた」だった。
続いて弁論大会優秀者の挨拶。流ちょうな日本語だ。内容もまとまっていて淀みがない。
日本語で演じられたプーシキンの「金の魚」も面白かった。正直でちょっとたよりないおじいさんと強欲なおばあさん、金の魚の3人の主役はそれぞれに特色を出していて、飽きさせない。
昼食をはさみ4時まで将棋を指す。用意された盤は19面。こちらの人数に合わせて下さったらしいが、生徒の数がそれに満たないようだ。
2枚落ちから6枚落ちでの対戦が始まった。初戦を見た限りでは、日本の大人たちは強すぎて、子供たちが可哀相という印象を受けた。駒落ちで、力の差は歴然としているのだから、もう少し緩めて指してあげたら…。
そこへいくと、さすがは原田先生、少年の力を引き出すように形を作らせて指していらっしゃる。プロの力をあらためて知る思い。
わたしは3年生の男の子と6枚落ちで対戦することになった。セオリー通り端を攻めてくる。仕方がないので端は破らせてと金を作った。受けにまわると受けてばかりいるので、角と飛車を使って攻めるようにアドバイス。彼が二歩を指したので注意したら、女の子に「なぜ彼に指させないのですか」と日本語で咎められた。
終わると観戦していたちょっとハンサムな男の子からプロポーズされる。さっきの子よりだいぶ大人びた感じ。最上級の11年生くらいだろうか?
でももう食事の時間。残念でした。
お昼は清潔な食堂で心のこもった食事をいただく。量が多いのですこしずつ残してしまう。デザートはとうとうギブアップ。ごめんなさい。
トイレはドアも壁もピンク色、清潔に管理されている。水色のトイレットペーパーがかわいい。小さな扉がついているだけなので、使用している人の足が見える仕掛け。窓側の部分には扉がない。合理的なのだ。
廊下には折り紙細工や紙で作った雛人形などが飾られている。失われつつある日本の良さを、この国で伝え続けている人の努力が見える。
食事が済んでから先ほどの彼を捜した。「指そう」というと、にっこりして頷く。
6枚落ちだ。いきなり銀をただで捕られ王手金で虎の子の金を抜かれる。もう、ハンサムな男に弱いんだから。なんとか銀を取り返し、粘りに出る。なかなか詰ましにこない。入玉が出来るかなと思った途端、綺麗に詰まされた。
今度は気を引き締めて盤に向かう。指しあぐねて居る様子だ。飛車を使うようアドバイスする。けれど、2局目はしっかり勝った。
貴族になった気分
5月23日、大和財団を訪問。その素晴らしい歓迎にびっくりした。ピッコロとバイオリン、チェロの室内楽にダンスやソプラノ、バリトンの独唱が続く。男性はカツラを被り、女性は長いドレスをきている。さながら「アマデウス」の世界だ。部屋の作りがいいのか音がとても綺麗に響く。
昼食の時にはこの室内楽に加えて小さなバイオリンの演奏があった。世界でも指折りの奏者との紹介がある。彼はボランティアで出演してくれたという。
たくさんの浮世絵が飾られた部屋で将棋の対局。バラの学校の少年、少女の顔も見える。この日わたしは5人のロシアの人と対局することができた。
はじめは5年生?の男の子と指した。
ロシア語と英語と日本語で話をする。こちらも片言の英語でジョークを交え談笑しながら指す。クルクル良く動く目が印象的。5局ほど指した。2枚落ちの2歩突っ切りの定跡を教えるとすぐ覚えた。これに2局負けると2枚落としてくれという。4枚落ちだ。さきほど覚えた2歩突っ切りの定跡を使ってきた。ただ、王は囲わない。「囲った方がいい」といっても頭を横に振る。彼の意志で指したいのだ。しかし囲わない玉頭から手がついて下手が負け。もう2枚落とせという。
6枚落ちの2局目をはじめる前、腕組みをして「僕は一局勝たねばならない」と宣言した。仕草がユーモラスでかわいい。
終盤、ついに彼の玉は入玉した。こちらは敵陣に竜を作ってはいたが、小駒の数は彼のほうが多い。わたしは彼の頑張りを評価して投了。頭を下げるととても嬉しそう、いい笑顔だった。
次はモスクワから来たノソヴスキーさんと対局した。彼は英語がとても上手。3級とのことだ。駒を落とそうとするとそのままでいいという。わたしが勝って、悪手を指摘すると「分かっていた」と英語で。彼にもプライドがあるのだろう。もう一度と誘ったが、「もういい」と断られた。他の人と指しますかと訊くとやはりもういいという。友人がロシア語に翻訳した棒銀のテキストを手渡される。色々話しているうちに彼は連珠のチャンピオンで、近く連珠の大会で京都に行くという。そうか、彼の本命は連珠だったんだ。
それにしてもモスクワから10時間もかけてやってきて、彼が将棋を1番しか指さなかったのは…わたしの指し方が悪かったのかしら?
ロシアの将棋は今、種まきが終わり芽を出しかけている大事な時期。バラの学校でも、もっとたくさんの子供たちと将棋を指したかった。そして将棋の楽しさを知った子供たちが定跡を覚えて強くなっていってほしい。そのためには良き指導者が必要だろう。せっかく芽生えたものが枯れることなく伸びていってほしいと切に願う。
メモリー
* ネヴァ川の川巡りは楽しかった。川から見た町並みはしっとりと美しくヴェネチュアを思わせる。イサク寺院の聖堂な
どイタリアの建築家によるものが多いせいだろう。
* この旅で観たバレーも踊りも、音楽や歌も水準の高いものだった。厳しい冬がロシアの高い芸術性やすぐれた文化を育むのだろうか?
* 若い女性の美しさに目を見張る。肌も綺麗だし足が長い、スタイルは抜群だ。柔らかな笑顔についうっとり。
* ピョートル大帝の夏の宮殿も印象に残った。ベルサイユ宮殿を模して造られた金ピカの部屋や家具。わたしには少しも美しいとは思えない。人間の飽くなき欲望を見るばかりだ。広い庭は美しく、歩いていて心地よい。新緑の森の小径には日本と同じ種類の草が数多く見受けられた。
最後の自由時間
T氏とふたりで駈け足でデパートを歩いた。道路に沿って細長く並んだ売り場。ところどころにカフェテラスがあり、家具も洋服もすごく安い。通過した地下道では黒人も見かけた。CD が縦につんである(取りにくそう)。辞書も売っている。
ポーチをしっかり握って歩くが、スペインの街をひとりで歩いた時のような危険な感じはない。跪いたおばあさんの目の前の空き箱に小銭が次々と投げ入れられる。日本ではもう見られない光景だ。一般の人々はそれほど豊かではないはず。貧しい仲間として、弱者を思う気持ちがこの街ではまだ生きている。
待ち合わせの時間を間違えてみなさんにご迷惑をかけてしまったけれど、ゆっくりと変わりつつある生のロシアに触れた貴重な1時間だった。
欲をいえばもう少し街をぶらつき、街頭で売っている絵や、似顔絵を描いているところを眺めたり、雑踏の中のカフェテラスにゆっくりと身を置きたかった。
さようなら
いろいろな思いを乗せてバスは空港へ向う。この5日間ですっかり親しくなったネヴァ川ともお別れだ。2度も食事を取ったカラオケ付きのレストラン、美しいマリンスキー劇場やエルミタージュ美術館、そしてあのムソルグスキー劇場とも…。
ダスヴィターニャ、楽しかった日々。ダスヴィターニャ、サンクトペテルブルグ。
おしまいに、参加者それぞれに細かく気を配って下さった原田先生ご夫妻や真田さんご夫妻、荻原さんに、そして初参加のわたしたちを快く受け入れてくださったみなさまに心からお礼を申し上げます。
楽しい旅をありがとうございました。
サンクト・ペテルブルグの露日文化教育財団「大和」が事務所を構える、コッペイ宮殿での将棋教室の一幕です。
「将棋を世界に広める会」の公式行事が済んで、残った時間をせっかくだから普及にあてようということになり
ました。
最後に対局した相手は、長身の青年、23歳のロジノフミーシャ君でした。(細根雄治)
ほかにも700km離れたモスクワから10時間かけて来てくれた方が6、7人いました。知的で面白い将棋は海外の人にも理解してもらえるんだな、という実感を覚えました。
駒を並べて2枚落ちくらいでやってみようとしましたが、彼は平手を希望したので平手で指すことにしました。
3局指しましたが、やはり少し実力差があるようです。4局目は2枚落ちで指しました。
初手から▽6ニ銀、▲7六歩、そこで私が▽5四歩と指したとき彼から、「なぜ皆さんはここの歩を突くのですか」と日本語で質問がありました。
私はそこで「これは次に▽5三銀から▽4四歩と下手の角道を止めて駒組みを楽にする狙いなんだ。だから君は▲4六歩〜▲4五歩と伸ばしてまず角道を確保することが大切。そのあと飛車の活用を図ったり、王様を囲ったりしていくといいよ」と答えました。
一昨年、昨年の中国訪問の際には、子供たちは定跡をある程度知っていましたが、ロシアではまだ囲いの形もあまり知られていないようです。私は彼に、「将棋は王様を囲うことが大事。王様をしっかり守ってから攻めを考えたほうがいいよ」と矢倉囲いと美濃囲いを教えてあげました。彼はノートを取り出し、算用数字と不思議なスペルを書きながらメモをとっていました。
ただ、将棋は局面を判断して、囲いを考えたり、攻め、受けの構想を練らなければいけません。その辺のことを口で説明するのは難しい。経験を積んで学んでいってもらいたいものです。
彼は事あるごとに、自分で考えた質問をし、一生懸命メモを取っていました。疑問をみつけそれについて素直に質問し、ものにしていく。将来彼は強くなる、という確信がもてました。終わりの時間がきたとき、彼は私にサインをと、A4判を差し出しました。そこにこれからも一歩一歩進んでいくことを希望して「前進」と書きました。
ミーシャ君の将棋人生に大輪の花が咲くことを期待します。
サンクトペテルブルグの空港に降り立つと夜11時というのにいまだ明るさを残しているのです。だれかが天を仰ぎ、「白夜だ!」「すてきだね。ラッキー」とささやいた。
鴻巣軍団も北極圏への旅は初めてのため、目の前に見る白夜現象に興奮気味です。街中にポプラと白い花が舞い、ライラックの紫とマロニエの白い花が咲き競い、荘厳さが漂う宮殿や協会に映えていました。(岡野清)
また背筋を伸ばしてさっそうと歩く若者の姿が印象的でした。
我々の行動の中で、道行く人がすれ違いざま必ず振り返ることがありました。原田団長の羽織姿とゲタ履きでかっぽするさまです。カラコン、カラコンと奏でるゲタの音になんとも妙な顔をして見とれているのです。中には、一緒についてくるものさえおりました。
このように御大はいつ、どこへ行っても存在感大であり、素晴らしい国際交流となりました。
サンクトペテルブルグ市立第83学校(通称バラの学校と呼ぶ)を訪問しました。親善の旅のメーンです。
到着すると生徒さんたちが笑顔で「こんにちは!いらっしゃいませ!」上手な日本語で迎えてくれました。
歓迎会では生徒さんたちがすべて日本語でスピーチ、歌、寸劇などを演じてくれました。一つ終わるごとに盛大な拍手がわきあがりました。子供たちがあまりにも素直でかわいく目を輝かせ歌い、話す姿に目頭が熱くなりました。
ナタリアベ校長、カリニナ副校長始め先生方の穏やかで慈愛に満ちたまなざしにもいたく感動しました。
昼食をはさんで生徒さんたちと親善交流の将棋を指しましたが、小生の対局相手は通称マーシャンという愛くるしい女性とさん(13歳・8年生)でした。マーシャンは日本語が上手で、将棋にとても興味を持ち、将来は日本の学者さんになりたいと希望に満ちたお嬢さんです。
対局を始めるときも礼儀正しく「お願いします」と頭を下げ、原田団長の座右の銘である『三手の読み』を実践し、よく考えてから指しておりました。性格は一見やさしそうに見えますが、指す手筋はなかなか鋭いものをもっており、洞察力、大局観もしっかりしていて将来性十分です。
小生は地元の市民公民館活動の一環として将棋教室を担当していましたが、そのクラスに入れても上位にランクすると思います。これからもしてほしいと念願いたします。
学校訪問の翌日、クチベイ宮殿で格調高い歌曲と西洋舞踊を拝見したり、世界一のバイオリンニスト・グレゴリーシェルクさんの奏でる、素晴らしい音を聞きながら昼食会をもてなしていただき、この上なき幸せでした。
このように行く先々で歓待をいただきましたことに対し、関係者の皆さんに深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
会報「かけはし」のなかに我々の夢と計画を語るページを設けることにしました。当分の間、私が担当しますが、皆様のご意見ご希望などをお寄せ頂ければ幸いです。
将棋を世界に広める会の当初からのモットーは「夢はできるだけ大きく、やることは確実に一歩一歩ずつ」です。(眞田尚裕)
会の目的は世界中の人々に将棋を覚えてもらって一緒に楽しもうということです。1人の外国人に将棋を教えるのは1人でもできますが、世界中の国に将棋を普及させるとなると1人ではできません。そこで「会」の力が必要になってくるのです。将棋の国際普及を考え、志している方は大勢おられると思います。そうした方々をどんどん会員として受け入れる、あるいは1人ではできない部分の受け皿になる、のがこの会の大きな役目のひとつでしょう。
将棋を世界に広めるのは反対だという方もいます。ISPS の会員で、北京で中国の子供たちに熱心に将棋を教えた某氏は、日本の子供たちより中国の子供たちのほうが強くなってしまったために、在北京の日本人から悪口を言われたそうです。私の知人でも、将棋の名人位や竜王位が、柔道のように外国人に奪われるのはいやだから将棋を外国人に教えないほうがいいと言っている人がいます。
21世紀になれば交通・通信などの発達によって各国間の接触はよりち密なものになっていくでしょう。そんなときに、日本しかやっていないゲームで一番だから世界で一番だと威張ってみてもあまり意味がないでしょう。
日本の将棋は、取った駒をまた使うというルールのため、終盤になっても変化が多く、世界中の将棋類に比べ、面白いといわれています。
実際、チェスや中国将棋の強い外国人に将棋を教え、どっちが面白いか聞きますとたいがい「大きな声ではいえないが将棋のほうが面白い」と答えます。それほど面白い将棋なのに、現状はプロ棋士がいるのは日本だけ、ということがむしろ不思議ではないかと思います。皆で力を合わせて将棋を世界に広めましょう。
ISPS は今年中には特定非営利活動法人の法人格を取得します。法人になると会が外部に対して責任ある継続的な行動を約束したことになります。
将棋好きのおじさんたちのやじうま集団から、国際活動や文化の活動へと、脱皮するわけです。
会員の皆様のご理解と今後のますますのご協力をお願いします。
人間には運命がある。77歳になって、生きたのではなく生かされていることに感謝している。約30年前、プロ同士で対局しない退役棋士になってから、平安是福なりでまずまずの生活に感謝している。(By 原田泰夫)
良寛和尚の悠々自適、詩の一節「としてにす」の言葉を好み、色紙や茶掛型の和紙に随分書いた。
「くよくよするな、天を見上げる」。時には達観気分が必要で、暗く思いつめるとノイローゼになってしまう。
陽気で、おめでたい性格。毎日を天国か竜宮城と見ているので、案外長生きするかもしれない。
魅力あるロシア旅行
「今度はロシアの旅を計画しております。また参加してください。」
眞田尚裕代表からお知らせが合った。勿論喜んで参加する。
学士会館の新春の催しに出席した折、鈴木良尚先生の「エルミタージュ美術館は世界一らしい」
ロシアの話をお聞きした。
将棋ペンクラブ、関西交流会(5月7日、関西将棋会館)に出席のときには、1月にモスクワへ将棋親善を果たされたロシア通の先生から情報を頂戴した。外国人に日本将棋を指導する、親善対局をする。盤・駒などの将棋用具と入門書、解説本を寄贈することは大きな普及になる。
約40年前、全国の大学将棋連盟会長の金田一京助先生が、当時本部の若い会長であった小生をお尋ねの上、激励してくださった。
「日本文化の最高のもの、それが日本将棋です。将来必ず日本将棋は高く評価されます。日本文化普及のため頑張ってください」とおっしゃった。
アイヌ語の世界的権威で、将棋の歴史に詳しい金田一先生のお言葉は忘れられない。
『竜王戦海外ツアー』ではヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、東南アジアなどの海外支部、外国の強豪も随分お相手した。
「サンクト・ペテルブルグ(ロシア)の旅、8日間」の結論は、喜んで参加し、実績を作り、大変いい思い出になり、行ってよかったと実感している。
実はロシアゆき、と聞いていささか抵抗があった。
戦後50年以上経過している。こだわるのはおかしいが、軍隊時代の思い出はよいことばかりではないので、戦友達は心配してくれた。小生の実弟は外語ロシア語卒。前に外語大学長の小川芳男先生とパーティーの同席の際に「原田和夫さんはロシア語の秀才で、大学時代に友達の大学生に先生の代理で教えるほどでした」とほめて下さった。
弟は20代でこの世を去り、ロシア語のロの字も知らない小生が古都を訪ねるとはこれも運命である。
イゴールさんに感謝
サンクト・ペテルブルグの飛行場では、アレクサンドロフ・イゴールさんがお出迎え。それ以来7日間、一行39名に付き切りで視察地、食事、見学の送迎に最善誠実なお世話をして下さった。
イゴールさんは常に微笑を漂わせ、白面長身、育ちのよさを感じた。携帯電話をひっきりなしに活用、役所の部下にあれこれ指示をしていた。36歳、将来大いに期待された彼の正式な肩書きは長い。『サンクト・ペテルブルグ市政府公式代表日露教育財団「大和」代表、ロシア将棋連盟代表、サンクト・ペテルブルグ知事国際問題アドバイザー』との日本語の名刺を頂戴した。
知事公舎内のイゴールさんの執務室は三部屋が連なっていた。5階の部屋に通され、日本茶をご
馳走になった。そこは宮殿のごとき豪壮なビルだが、レーニンの執務室、夫婦の寝室を見学、その室内調度の質素ぶりに驚いた。
レーニン時代の大講堂の壇上で、レーニンが同志に叫んだ席で羽織袴の小生が立って写真を撮っ
てもらった。
この場面もイゴールさんのはからいである。眞田代表、荻原さん、読売新聞社文化部の西條耕一
記者の一群。西條さんは好人物で写真の名手でもあった。
4日目『夏の宮殿』見学であったが、小生はホテルで休養、日本総領事館ゆきの連絡待ち。午後
2時ごろ、電話が入る。
「ハラーダサン」
響きのある女性の声に、ホテルの玄関前に出たが、何もかもさっぱり分からない。羽織袴と下駄の音が目立ったようで、先方から胸と腕に宝石が光る30歳くらいの天女がつかつかと正面に迫り「ハラーダサン」と声をかけ、高級車で運んでくれた。
領事館まで約1時間。改めてペテルブルグの街、通り、木々の緑、川を見学させていただく。
上品美人は運転名人、これもすべてイゴールさんの読み筋であった。
日本国領事館に到着。イゴールさんはすでにお待ちで、まもなく眞田代表たちもかけつけて、領事館の松崎潔さん、副領事の高橋洋江さんと面談して、各国の文化について懇談した。
欧米各国は自分の国の文化が世界一と思っているようで、他国に学ぶ意識が乏しい。ロシアは日本・中国からも古い文化を学ぶ態度で、街の本屋に文化的な各種の本がある。
プーチン大統領になり、ロシアは急速に、よく変わりつつある松崎領事のお話であった。歴史と伝統ある文化を学び、ロシアの熱意を日本も手本にするべき、と思った。
将棋道、茶道、武道などの日本の家、日本の通りのプロジェクトも出来上がっている。
バラの学校に感動
今回の旅行で最高の感激は生徒数400人の日本語学校訪問であった。
11年生まで、好感清潔な子供達が、すべて流暢な日本語で、合唱、独唱、物語、劇、ダンス、
歓迎の辞など、純日本文化の香りがいっぱいの大サービスであった。
公立の学校で通称『バラの学校』。もちろん全員ロシアの子供たち。校歌は浜口庫之助さんの
『バラが咲いた』。そして日本将棋を正科にしている。
徹底的に日本通にする教育方針に感服した。
女性の校長、副校長は温厚清雅で、「微笑みは美徳なり」の言葉を思い出した。
福島県出身の若い日本人女性の先生が一人だけ、しとやかな見事な通訳であった。
優秀で行儀のいい、おそらく世界一の実力と認めた日本語学校を見聞。学校食堂でこ心のこもる
昼食をご馳走になった。
そして親善対局、棋力テスト。バラの学校の生徒諸君にも忘れられない思い出になったはずであ
る。
この学校に感動して、祖国日本の学校教育をおもう。学級崩壊、いじめ、不登校、暴力、殺し、
自殺、勝手な自由、感謝の念なき若者たち,,,。これからの日本はどうなることであろうか。
敗戦後50年余。修身、道徳、しつけ教育の欠如、平成時代に混乱を生ずる形になった。
まさに因果応報、謙虚に反省。一から出直すべき時代になった。
後味のいい旅行
5月25日、クチュベイ宮殿での歓迎。宮廷音楽、親善対局の模様が浮かんでくる。
モスクワからも駆けつけた特別ファン、ペテルブルグ一番の強豪との平手戦など思い出す。
原田の棋力認定は、ちょっと辛かったかもしれない。子供たちには6級、5級、3級、2級、最高は
二段として印を押した。
夜11時を過ぎてもくれない白夜。最高の季節に名所・旧跡を見学して勉強になった。
旧ソ連の高官嫌いが、イゴールさんの特別のご親切でロシアびいきになった。肩をたたき手を握
り
「ダイジョーブ、疲れませんか」
彼の激励、やさしい笑顔が耳に聞こえる。
ありがとうございました。
同行の皆様ありがとうございました。
二回目の中国訪問は、中国最大の商業都市上海である。一回目の北京が京都なら、上海は東京といってもいいくらい、経済的に発展した大きな街である。ここで日本将棋学校が設立されたため、日本人の将棋好きが立ち寄る機会が増えたという。
我々も二日間、こどもたちと将棋を指し、層の厚さや強さを感じ、許さんはじめ将棋普及者たちの努力に感心した。(湯川博士)
実戦的格言講座
私も一人の強豪少年と対局したが、そのとき感じたことをまとめておきたい。特にこれから日本の大会で、レベルの高い少年と戦うことを念頭に、アドバイスしたい。
相手は、桜山中学の帳台強クン。少年将棋大会の無差別級で優勝した強豪らしい。
私も一人の強豪少年と対局したが、そのとき感じたことをまとめておきたい。特にこれから日本の大会で、レベルの高い少年と戦うことを念頭に、アドバイスしたい。
相手は、桜山中学の帳台強クン。少年将棋大会の無差別級で優勝した強豪らしい。
第1図。どのくらいの棋力があるのか試すために、右四間飛車を採った。ところが正確に応じられ、私の桂損。なおも▲5八桂と自陣に打って、歩を取り返そうという局面。
彼は右四間飛車を知らなかったようだが、序盤感覚は素晴らしく、ここまでは満点だ。 2図。私の駒損がひどく、金の丸損だ。後手陣はもうひと押しでつぶれる。だが、将棋の怖さは中終盤なのだ。
シャンチー(中国象棋)やチェスは、駒得すればほとんど勝ちが確定するゲームだ。外国人が日本将棋で戸惑うのは、駒得してても逆転負けを喰うことだろう。反対に、不利でも逆転勝ちできる魅力もある。
私は△3二銀と持ち駒を投入し、取りあえず自陣のほころびを繕い、様子を見た。
2図からの指し手
▲2一銀?△7九飛 ▲3二銀不成△同玉
▲4八金引△2五桂 ▲2六銀 △9九竜
▲2五銀?!△同歩 ▲6一角 △4三銀
(3図)
▲2一銀の意図は△同銀に▲4一角(王手金取り)だが、先に駒を捨てる手はダメだ。『打った駒が盤上に残り、攻めの拠点になる』 攻め方が望ましい。同じように▲2五銀も相手に金駒(かなごま・金銀のこと)を渡すと粘りの駒になるからよくない。終盤では、『金駒を渡さない攻めを考える』べきだ。桂や角は粘りの効かない駒なので桂・角を主力の攻めを考える。
2図では▲6四歩と打ちたいが、△5五桂とハネられていけない。また、▲6一角△4二金▲6三馬も見えるが、あと(二枚角の活用)がパッとしない。ここでは、王手竜取りラインを利用した攻めが効きそうだ。
2図から、▲5六角△9九竜▲3五桂(王手)△2二玉▲2三銀△同銀▲同桂成△同玉▲6三馬(桂を入手)という筋が見える。
△6三同金なら▲3五桂△3二玉▲4三金△4一玉▲5二銀△3一玉▲3三金で必死。
さて実戦は3図。後手陣は駒損も回復し自陣も補強し、盛り返してきた。でも、手番は先手であるから、まだ有利を保っている。 ところが張クン、ここで暴走しちゃった。
3図から、▲6三馬??△同金▲3一金?△同玉▲4三角成△3二銀
▲2三桂?△2二玉▲5五桂△4一香(4図)
▲6三馬〜▲3一金というような捨て駒は詰むか必死以外は、絶対してはならない。
『駒を捨てる攻めは、詰みが見えたとき』と覚える。攻め方がいくつもあるときは、『駒を取りながら攻める』方を採る。
では3図ではどうしたらいいか。先手陣も2枚飛車に狙われているので、ゆっくりしてはいられない。なるべく早い攻めが必要だ。敵の守りの要は5二金。これを取れば2枚の角も生きる。いい手が浮かばないときは、『大駒が活きるためには何をすべきか』を考えれば、次の一手が浮かぶ。
ここで▲6四桂を考えると、△5五桂とハネられても2図のときとは違い、味方の4七金に当たらないので、成立する。
3図から▲6四桂!△5五桂▲5二桂成△4七香▲5三成桂△4八香成(A図)と攻め合いになるが、以下▲4三角成△2二玉▲3三馬△同玉▲5一馬で先手の一手勝ちだ。実戦では馬を切って金を捨てたため、敵に粘る余地を与えてしまった。
4図となっては、後手の受けが成功し、先手の攻めは切れている。途中の▲2三桂などあまり悪くなり、カッとしたのだろうが、
『ミスを出した後もまだチャンスはある』
わけで、▲5五桂と馬につなぐなどすれば敵もミスを出したかもしれない。
序盤中盤は申し分ないが、中終盤で相手が粘ったり、ミスで悪くしたときの対応力がまだないように感じた。
駒落ちで力をつける
この欠点を補うにはどうしたらいいか。これは、自分より強い人との経験不足からきていることゆえ、もっとギリギリの将棋を指し、耐えることや粘り腰を鍛えないといけない。それには駒落ちがいい。張クンより強い人は中国では少ないだろうが、四、五段の人(許さんや中本洋さん)に角落ちや飛車落ちで指してもらう。そうすれば、上手も必死で指してくれるから粘る技を吸収できるし、しかもそれを突破する力もつく。
上手と平手ばかり指しては、粘りの技がなかなか身につかないだろう。
初段くらいまでは平手だけでもいいが、強くなったら駒落ちの下手と、上手も経験すれば日本将棋独特の、押したり引いたり辛抱したりの呼吸が身につく。そうなれば、日本の大会でももっと上位に行くだろう。
皆さん基本的な力があるのだから、あとは将棋術ともいうべき、辛抱力やしぶとさ粘りなどを身につければ、大いに期待が持てる。
昨年の北京に続き、今年は上海に行って来ました。
原田九段を団長に約三十名。
真田代表をはじめ皆様方には大変お世話様になり、有り難うございました。(西勇)
上海の少年達は、日本と比較し大きなハンディキャップがあるにもかかわらず、許建東氏を中心とした指導で短期間で上達されておりビックリ致しました。
土、日の二日間で私と対局したなかで二人を除き全員四間飛車でした。但し穴熊に囲ったのは一局だけであり、他は美濃囲いでした。総体的には攻める振飛車であり、相当強い。他の戦法は筋違い角と矢倉でした。
昨年も印象深かったが、今年も対局中の集中力・最後迄あきらめない姿勢があり、中国の少年恐るべしとの実感を深くしました。将棋を通じ日中親善が出来たことを感謝しています。