July 31, 2004

北京ツア−メモリ−(9号,1998.12.31)

 少年宮の小中学生との対戦は、子供達50名に、我々会員15名プラス原田九段という組み合わせ。数の関係上、当然2面指しや3面指しを行うことになり、それでも子供達がまだ余っていて、1局終わると直ぐ次の子供が交代で入って来る。終わりそうな対局を見張っていてその直ぐ後ろで待っていたり、或いは、あっ、あそこが空いたと気が付いてすっ飛んで来るというわけだから、全くトイレに行くヒマも無いほど忙しい。(鈴木良尚

トイレに行っている間に、良い手を考えられて負けてしまった、とぼやいている会員もいたが、これも仕方がない。
 手合い割りは、子供達をA・B・C・Dの4クラスに分けて、飛車落、二枚落、四枚落、六枚落でそれぞれ対戦(ひとり特Aが居て別格の平手)した。一方、会員の方は原田先生別格で他は一律。勿論会員の方も初段から六段まで相当な差があるのだが、これを分けるとまた煩雑になるので、すべて有段者として一括したのだ。ところが、この手合い割が適正でありすぎた為か、四、五段の猛者にとっては何でもないことも、初、二段の会員にとっては、結構苦戦の連続。中には5割の勝率」を挙げるのがやっと、という会員も出てくる状況。勝った子供には日本製のノート(中国製より紙質が良好)を賞品として用意してあったので、そのぶん子供達を喜ばせてしまった。それにしても低段者側はあまりにも苦しい、ということで午後からは六枚落を止めて1ランクずらし、角落、飛車落、二枚落、四枚落、の手合いに変更して、何とか指導将棋らしい面目を保てることとなった。

親子相談将棋
 会場には子供達だけでなく、そのお父さんやお母さんが付き添いで多勢来ており、後ろの方から自分の子供を懸命に応援。中には小さな声で、ああしろこうしろ、と子供をリモートコントロールしている親もいる。何とかして子供を勝たせたい、という親の意気込みは立派なものだ。
 これは、少年宮の指導方針として、家庭では子供だけでなく、親も一緒に将棋を楽しむように、というお触れが廻っていて、親も一緒に将棋を勉強しているためであり、たいへん結構なことである。私の対局でも1組このような親子がいた。その子が結構強くて4枚落の飛車先から攻め込まれ、飛車の進入は防げたものの、形勢容易ならぬ事態に立ち至った。
 ここで一寸トイレに行って時間を置き、席に戻って来ると、やおらその子が、待ってました、とばかりに力強く王手を掛けて来る。王様を下や横に逃げるとダメなこと、ひと目明白。そこで敵の浮飛車めがけてヒョイと上へ上がった所、ここで親子揃って同時に「ううっ」というようなうめき声。親まで合唱してしまっては、これで親子合作の王手であったことが完全にバレた。私がトイレに行っている間に話し合ったに違いない。王様が上に上がって来るなんて、全く気が付かなかったらしい。このあと、心なしか親のヒソヒソ声が減ったような気がした。結局、入玉のうえ、飛車まで取って下手の王は詰み。親子相談将棋に花を持たせてあげられなかったのは、私のせいなのだ。家に帰ってから親子喧嘩になっていなければ良いが、と案じている。

泣くな小鳩よ 

suzuki-beijin.JPG
 次も結構それなりに強い子の話。第1図は上手と下手が上下逆だが、4枚落で下手が▽7六歩と金頭に歩を打って来たところ。これは手筋の歩だ。▲同金とも▲同銀とも取れない。そこで私は、これを放置して、▲7五桂と飛車取りに打った。この子は飛車を逃げるに違いない、と踏んだのだが、あにはからんや、▽7七歩成とやってきた。おぬし強い!上手が飛車を取ると更に銀まで召し上げて、上手の王は袋の鼠、という計算だ。どうやら、この子は勝負の気合を知っている。
 しかし、日本のオジサンだって負けてはいない。ここからオジサンの底力を見せなければ、と少し読むこととする。そこで奸計を発見。先ず、▲6五桂の王手。案の定▽5二王と逃げる。しめしめ!そこで、▲6四桂と追撃。▽5一王と下がる。ここで▲8三桂不成と飛車を取る。下手は勇躍▽6八とと銀を取りつつ上手王に詰めよ、若しくは詰めよもどきを掛けて来る。そこで上手は▲1五馬と引く。すると、下手は勝ったとばかり喜び勇んで、▽5八金と来たもんだ。なるほど、うまい、これで上手の王は確かに詰んでいる。
 でもオジサンは、あわてず騒がず、▲1五馬が下手の王に対し王手になっていることを指摘する。下手はあせった。あ、そうか、とばかり、急いで、▽4二金と上がって王手を防ぐ。実はこれが上手の奸計。▲同馬と切って以下バタバタと詰んでしまった。下手にとっては、王手を指摘されたところで、多分頭真っ白。以下、何が何だかわからないうちに自分の王様が詰んでしまって、まさに天国から地獄に真っさかさま。みるみる両眼から涙が溢れ落ちてきて、これにはこちらが参った。覚えたての中国語で「がっかりしないで、これからたくさん練習しようね」と言ってあげる。
 これが後ろで見ていたお母さんに通じたらしく、「リエンシ、リエンシ(練習)」と子供に声を掛けていた。こんな時はどうすれば良いのでしょうか。胸キュンでした。

あア 惜しい
 次の子は陽気で明るい子の話。この子も強くて参った。決して無理をせずに、数で攻めて来る。必死に抵抗したけれど、駒が3つも成ってきて、上手玉は右端の方に追いやられてしまう。しかし、上手という怪物は、さっきの話ではないけれど、下手の気が付かないうちに、そっと罠を仕掛けて1手違いの大逆転を狙っていることを忘れてはいけない。
 ところが、こういう場面で時間終了の報せが来てしまい、打ち切って下さい、というお触れ。一瞬この子の顔を見ると、「ああ、惜しい!」とばかりに右手で机をポンと叩いてニコニコしている。この動作はいかにも、あと一寸で勝ちだったのに時間切れで惜しいなあ、という表現のものだ。上手としては、現在劣勢であることは認めるが、まだ終わったとは思っていない。でも、この子の完全に勝ったと思っている笑顔を見ているうちに、ついもっと喜ばせてあげようという気持ちになってしまった。そこで「君の勝ちだ」とこの子の対局表に丸を書いてあげたところ、それはそれは大喜び、全身で喜びを表現して帰って行った。
 これで私の対局表には3つ目のバツ印が付いたけれど、心は晴れ晴れ。これで良かったのかしら。でも可愛い女の子には、全部負けてあげた、という会員はホントにいなかったのでしょうね。

プレゼント、プレゼント
少年宮での歓迎セレモニーは、気持ち良かった。我々ゲストを壇上に座らせて、ひとりひとり紹介してくれた。そして全員にプレゼント。日中両国国旗を交差させた胸に付ける小さなバッジ。まさに友好交流の印そのものだ。これがなかなかカッコヨク、そこいらの店などでは売っていない。その他に、毛筆の「書」だとか、両側から見ても同じ向きの猫の刺繍(これはホテルの売店で150元(約2千5百円)で売っていた)を頂いた。
 それから原田九段より今回のツアーの将棋大会参加者全員に、直筆の(直筆ですぞ、直筆、つまり印刷ではないオリジナルということ)扇子を頂いたのです。将棋を世界に広める会のツアーは絶対に参加した方がトクです。
 あ、それから、対局した子供達の殆どが、小さなプレゼントを用意していたのには、これまた感激。勿論、最初に対局した会員だけしか貰えないわけだが、因みに私が貰ったのは、小さな金色の亀が付いたキーホルダー、高さ10センチ位の磁器製の可愛い顔をした猫、それに四角い弁当箱位の大きさの紙包みの3つだった。最後の紙包みは、その場で開けなかったので、何だかわからなかったが、ホテルで開けてびっくり、何と、中国文房四宝と呼ばれる、毛筆(2本)、墨と硯、文鎮、白地の印鑑と朱肉、のセットだったのである。勿論、小さいとは言え、飾り物ではなく立派な実用品だ。
 帰りに空港でお土産品コーナーでみたら、同類のものが150元で売られている。中国人の平均月収が600元とのことだから、月収の4分の1の値段だ。こんな高価な物だったとしたら、あらためてお礼を言わなければならないが、今となっては、もはや、どの子から貰ったものなのかもわからない。でも、そんなに高価な物をプレゼントをする筈もない。ひょっとすると、その子のお父さんが、この商品の生産者か何かで、十分の一位の原価で入手出来る立場にあるのではないか、との結論を出し、有り難く頂戴することにした。
 一方、会員の中には、予め子供用のプレゼントを用意していた方も散見された。日本製の鉛筆や消しゴム、それに小さな王将の駒にヒモのついた小物などである。私は将棋を指すのが最大のサービスと考え、何も用意しなかったのだが、やはり用意した方が良かった。私と対局した子供達は不運だったのだ。

原田九段の指導将棋
 ホテル内では夕食後、一部屋が会員同志の親善対局場として提供された。そこで将棋の好きなツアー添乗員の尾沢さんが、会代表の真田さんに2枚落で、しごかれていたとは知るや知らざるや。勿論、原田先生も会員への指導対局に余念がなく、幸せな時間を享受した会員も多勢いた。しかし、なかでも最も幸せだったのは、中橋さんと私であったと確信している。何故ならば、万里の長城観光の日、原田先生はホテルでお休みするので、誰かいたら将棋を指してもいいですよ、とおっしゃって頂けたのだ。中橋さんは、一人だけでは何だから、と私と同室の池谷さんに誘いの電話をかけてこられたので、これに乗ってしまったのが私の方だった、というわけである。
 お蔭様で一日静かなホテルの一部屋で、先生と一対一で御指導頂けたのは一生の思い出。しかも、飛車落で2番も緩めて頂いたものだから、つい嬉しくなって、こんな所にも書いてしまうのだ(これでは少年宮の子供と同じだ)。しかも「敵」様からお茶や御煎餅のサービス付きだったのです。因みに、敵とは原田先生のことではなく、先生の奥様のことです。何故奥様が敵なのかというと、原田先生がどういうわけか奥様を、敵が、敵がとおっしゃるからなのです。これからは、私も家内のことを敵と呼ぶことにしようかなア。

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July 30, 2004

北京滞在日記(9号、1998.12.31)

  去年北京少年宮の子供達を日本に招待した時から、こちらからの北京訪問が懸案事項だった。少年宮という制度にも興味があったし、そこでの将棋教室の様子も見たかった。短い時間とはいえ、日本で積んだ研修がどのように実を結んだかも確認しておきたかった。(山田禎一

寒いぞ−
 7月になってそれが実現しそうになってきた。JTBの協力を得て、ツアーが組めるかもしれないというのだ。いくつかの日程案をJTBからもらったが、費用的に無理のないところだと11月の終わりになるという。ちょっと寒いらしいが、雪の北京も乙な物、とここに決定。
 決めた途端に、北海道並みに寒いのだと脅かす人が現れる。決めたんだからいいの!とばかり雑音は無視することにして、参加者の募集方法を検討する。かけはしへの掲載は基本。他のメディアはどうするか?週刊将棋紙には頼んでみよう。将棋ペンクラブ会報にも載せてもらえるようだ。将棋ペンクラブとISPSはメンバー的に重なりがある。会員同士の交流会としてもちょうどいい企画だ、ということで、両者の共同企画にすることになった。そこからツアーの団長には原田先生にお願いできないか、という話になり、これも快諾頂く。企画が充実してきた。
 後は実際の応募者を待つだけ、いざとなったら親戚・友人に声をかけて人数をそろえようという腹だ。締め切り日を早めに設定しておき、そこでの応募状況を見ることにした。もし少ないようでも対策の時間が充分にある。北京に将棋を指しに行くなんてツアーは誰もやったことがないのでどう転ぶか見当もつかない。JTBの尾沢さんもどの位集まるか不安顔だ。
 どきどきしながら締め切り日を迎えてみると、予定の8割ほどの人数の申し込みがあった。その他にも迷っているという人が眞田代表の友人を中心に何人か。これならいける。ほっとした。尾沢さんの目が輝いている。「JTBの将棋部から何人か参加させようかと思ってたんですよ、よかったですね」とニコニコ顔。

少年宮の様子
 北京にもISPSの会員がいる。少年宮の李民生先生、それと三菱電機の庄司政義さんだ。庄司さんは少年宮に頻繁に通い、将棋クラスの指南役となっている。李先生が講義を、庄司さんが実戦を担当と分担されているとか。
庄司さんたちが中心となって、北京の日本人学校と少年宮の将棋の対抗戦も開催されたそうだ。その時の様子を庄司さんにまとめていただいたので紹介することにする。
 それではツアーを振り返ってみたい。参加者からのコメントを囲み記事にしてあるのでそちらもご覧頂きたい。ツアーの雰囲気が感じ取れると思う。

11月26日
 朝成田空港へ。集合場所が判らなかったが、ライターの湯川博士さんが原田先生と話しているのを見つけた。少年宮へのおみやげで湯川さんの荷物が重い。普通は帰りの方が重くなるのだが、行きからこれでは大変だ。全員揃ったところで定刻通り出発。北京の気温は零度とのこと、尾沢さんに用意してもらった使い捨てカイロが役に立ちそう。そう言えば寒さに備えて全員重装備で、空港では暑い暑いと口をそろえていた。
 北京に着くと道端には雪が残っている。見るからに寒そうだが、出迎えに来ていただいた庄司さん、開口一番「暖かくなってよかったです」と言う。雪が降ったのは先週のことで、昨日今日は気温が上がっているそうだ。日本はかなりの暖冬だったので感覚がずれている。

中国棋院へ
 ツアー一行の内から5名だけ別行動、庄司さんが手配してくれたバンに乗って中国棋院へ向う。中国にも囲碁のプロがいて日中対抗戦などで活躍しているが、その元締めが中国棋院。囲碁だけでなくシャンチーとチェスを合わせて3種目を統括している。中国ではチェスは国際将棋と言い、囲碁は囲棋と書く。シャンチーとは中国将棋のことなので、全部棋類である。
 少年宮の子供達が上達し、国際大会を開くようなことになれば、中国棋院の協力が必要になる。いい機会なので原田先生と眞田代表が表敬訪問することになっていたのだ。
 中国棋院のトップは陳祖徳氏。元は囲碁の選手で中国囲碁界を世界レベルに引き上げた功労者だ。その人が日本将棋に興味を持っているのは頼もしい。竜王戦の北京対局があった時、立会人を務めたので正座させられて難儀したとか。その時陳先生は原田九段にも会っていたらしい。
 中国は書の国だが、書といえば原田九段も負けない。直筆の色紙、扇子などを寄贈して初日から熱烈歓迎ムードで会談は進む。中国棋院の中でも将棋(しょうぎ)を楽しむ人が現れつつあるらしい。 今後、将棋(しょうぎ)に関して北京で何かある時は中国棋院将棋(シャンチー)部が窓口ということになるらしい。
 秘書の王氏の案内で中国棋院を見学した後、ホテルに戻って全体と合流。一服してからバスでレストランへ。店内に舞台があり、中国風BGMの生演奏を聞きながら料理を楽しむ。曲目も客層(つまり我々)向けだし、料理も日本人の口にも合ってうまい。早速老酒を堪能する人もいる。食後は舞台の京劇とか曲芸とかを観劇。字幕もないので台詞がさっぱり判らないが見るだけでも面白かった。

11月27日
 この日はほぼ全員が参加して観光。北京に来たからには万里の長城に登らずには帰れない。いくつもある登り口の中から今回は八達嶺に挑戦。駐車場近くには毛皮の帽子売りの女の子が待ち構えている。バスから降りた途端に群がってくる売り子をかき分けて登城口にたどり着く。向って右手が女坂、左手が男坂、女坂の方が景色がいいです、とのガイドさんの意見に従い、女坂に挑戦することにした。朝ホテルを出る時の曇天はどこへやら、快晴の青空の中に城郭がどこまでも伸びている。一番奥を目指して城壁の上を延々歩くも途中で挫折して引き返す。端まで歩いたら日が暮れていただろう。
 絶景を目の当たりにして、ツアーの女性軍団も写真撮影に余念がない。眞田代表は土産物売りのおじさんをからかって楽しんでいるようだ。定陵という巨大古墳も見物した。立派な建物と感心していたらそれは古墳の前庭で、背後の山と思っていた部分が古墳だという。そのスケールにびっくり。
ホテルに戻る途中で団体客用の土産物屋に寄る。漢方薬みたいのが多い。昼食の時にでたミニボトルの焼酎をみつけた。1本10元(170円)と缶ジュース並みだ。早速1本購入。その晩に消費。

11月28日
 いよいよメインイベントの日である。北京崇文区少年宮での交流親善交流将棋大会に参加したのはツアーの中から合計16名。少年宮からは数十人出てくるので2面とか3面指しで楽しもう、ということだけ事前に決めてあった。行ってみると中国人の熱烈歓迎ぶりに驚いた。人数が多いので講堂でやる、というのは聞いていたが、そこにはひな壇がしつらえてある。開会式の間、北京側のお偉いさんと並んで我々もひな壇の飾り物である。
 歓迎の挨拶に応えて、原田九段も挨拶。「駒で良くないのは眠休遊怠死、適材適所が大事です」という言葉に日本人も納得。
 日本から持参のお土産を贈呈し、その倍くらいのお土産を頂いて友好ムードが盛り上がる。非売品の日中友好バッチなどは滅多に見ない貴重品だ。一体どこで準備したのやら。幹事の6人には少年宮招聘書が渡された。これからは少年宮顧問ですな。
 いざ対局となると子供たちの目が光り始める。原田九段は別室で指導対局、他は講堂での対局。長机を四角く並べて日本人が内側に入る。これで逃げられないという訳だ。いやになる程将棋を指す覚悟を決める。
 人数が余りにもアンバランスなので全員2〜3面指し。アマでも強豪クラスは指導将棋に慣れているから多面指しも上手を持つのも問題はないが並のアマチュアは未経験の対局形式になる。まあ見落とすこと、見落とすこと。3面指しだと特にひどい。負けるのがいやという訳ではないが、ポカであっさり終わっては申し訳ない。半分は意地で、粘っているといつの間にか形勢は怪しくなり逆転していくという将棋が多かった。

一番真剣なのは
 一局終わると普通は感想戦だが、ここでの感想戦は通訳の負担が大き過ぎる。急所の感想を一言だけ伝えるようにしたが、子供よりも背後の両親に話しているような気がした。まるで進学相談のような真剣な表情でこちらの言葉を待っている。子供の方は負けて残念とか勝って嬉しいとか、とにかく表情が単純なのだが、親はそうではない。これで身を立てられるか教えてくれと言わんばかりだ。考えてみるとここの子供達は全員一人っ子なのだ。
 その表情に相応しくて、なおかつ当たり障りのない言葉を捻り出していると、今対局を終えたばかりの子供がノートを片手にやってくる。サインしてくれ、と言う。最初意味が判らなかったが、どうもプロにサインをせがむ感覚ようだ。こちらをプロに近い存在と思っているわけだ。駒落ち、多面指し、親の目つき、サイン。やたらとこちらにプレッシャーをかけてくるもんだと思いつつ周りを見てみると、みんなサインをねだられている。心なしか顔つきがにやけている。プロの気分を味わっているのだ。ま、悪くないね。

少年宮のシステム
 ところで、少年宮とは何だろうか。ここは学校ではなく、放課後に子供達が集まってくる場所だ。いろいろなクラスがあって、自分の好みに応じてアコーディオンを引いたりジャズドラムを叩いたり、あるいは歌を唄い、絵を描いたりする。以前は何を習うかは先生が決めていたようだが、今は子供が好きに選べる。その分、親の費用負担も大きくなったらしい。
 地区毎にある(我々が尋ねたのは崇文区少年宮)が学区とは一致していないので他校の子供とも友人ができる。幼稚園から高校までの子がいるがメインは小中学生で、中国式英才教育の現場がここにあるのだろう。各教室を見学させてもらったが、かなりなレベルだ。廊下に張り出してある習字なんて、大人が書いたものと変わらない。もっとも、幼稚園の子供は習い事はしなくて、専らお遊戯にいそしんでいた。
 そんな中に将棋(しょうぎ)教室がある訳だが、母体は将棋(シャンチー)教室である。李先生自体が将棋(シャンチー)の教師で、見込みのある生徒を将棋(しょうぎ)の方に引っ張ってきているのだ。このシステムの中で鍛えられればかなりの進歩が見込める。指導体制の確立が急がれるところだ。

勝つか負けるか
 さて、対局に戻ろう。日本側も実力のばらつきはかなりあり、一番上が原田九段、もう1人指導棋士六段の前田さんが参加されていた。この辺になると、勝つときは勝つ、緩めるときは緩めるで自由自在だが、アマの中にはむきになって負かしにかかる人もいて面白い。本当は相手の性格を見て、負かした方が伸びるタイプと飴を舐めさせた方が伸びるタイプを判断したりするのがいいのだろうが、今会ったばかりの子供の性格までは判らない。こちらとしても勝負にこだわった方が子供のためになると思いながら指していた。
 ところが前田さんによるとある程度態度で、見分けがつくそうである。勝ちが見えた時に表情が緩む子は厳しく指すようにした方がいいらしい。どちらにしても、私のレベルではそんな調整などできないので、全力で勝ちに行くだけである。
 しかし、元が駒落ち、すぐに局面は不利になる。思わず「しゃあねぇなぁ」と呟いたところ、相手の子も「シャーネーナー」と声を合わせる。これには意表を突かれた。言われてみると何だか中国語っぽく聞こえてくる。しかし、意味のある言葉なのだろうか?
 ひょいとその子の顔を見ると喜色満面、ニコニコしている。もう勝った、と顔が言っている。前田さんの言ではないが、これは負けるわけにはいかない。むきになって、持ち駒をべたべた自陣に貼り付けて粘りに出、最後は引っくり返してしまった。大人気なかったかな?
 ここでちょっと初級中国語講座。先生という中国語は英語はではミスター。〜さんにあたる表現だ。それでは日本語の先生を中国語では何と言うのかというと老師と呼ぶ。老は尊敬の意味を示す言葉だから年齢は関係ない。若くても老師である。それで原田先生は原田老師と呼ばれることになるが、この呼び方、原田九段にはぴったりくると思いませんか?
 別室の原田老師はずっと2面指しで指導。李鵬宇君が果敢にも飛車落ちで挑んだ以外は全て2枚落ち。こちらの部屋には新聞社の取材が入っていたらしい。後日の棋牌周報と中国科協報に記事が出た。写真に付いていたコメントが如何にも老師らしくて面白い。
「なかなか強い。中には五段くらいの手もあったが、私も60年も将棋を指していますのでそのくらいの手では負けません」
 結局12〜13盤指導され、1局を除いて全勝とのことだが、楽しみな子もいました、との講評もあった。次ページに4局ほど棋譜を載せる。
 夕方5時に全対局終了。ここら辺の時間が正確なのはお国柄。子供達はニコニコして帰り、こちらはくたくたになって、ホテルに戻った。会員同士で指せるように、対局できる部屋を用意してもらうようホテルに予め頼んであった。さすがに今日は使わないだろうと思ったが、この夜も満員御礼となったのでした。お疲れの老師も快く参加して下さり、北京には一日中駒音が響いていたのでした。

11月29日
 帰国の日。なのだが、幹事6名は延泊することになっていた。一日だけじゃもったいないという中国側の意見によるものだ。ツアーの皆さんは市内観光と買い物に行って空港に直行するので、我々とはホテルでお別れ。後は尾沢さんにお願いして、幹事6名は再び少年宮へ。
 今度はこちらの人数も少ないので前日控え室として使っていた会議室でまたまた対局する。この日の対局は午前中だけの予定だったので最初から気合充分、全員殆ど負けてないはずだ。
 午後は2枚落ち定跡の講義と模範対局。李鵬宇君の下手に眞田代表が上手。ちょっと上手にきつい条件で、李君が模範的に勝ち切った。対局には大盤解説が付き、次の一手名人戦をやってみた。子供達が喜んで、大いに盛り上がる。最後に勝ち抜いた2人には扇子を進呈。
 なごりは惜しいが日も暮れた。少年宮を後にして夜はパーティー会場に向かう。中国棋院将棋(シャンチー)部長胡海波氏が主催してくれたもので、普段公開していない特別の会場に招待された。ちょっとびびりそうなくらい立派なところだった。

11月30日
前日帰国組も無事成田についたらしい。居残り組も今日帰国。

かなり端折りながらの報告でしたが、紙数が尽きてしまいました。撮ってきた写真も山ほどあります。いつかご紹介することをお約束して北京日記は一旦おしまい。


(以下の4局はいずれも1998年11月28日に行われた)
harada-ryu.JPG

harada-lihouu.JPG

harada-likou.JPG

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投稿者 isps-admin : 09:25 PM | コメント (0)

8月エリックさんと将棋を指す(9号、1998.12.31)

 私はエスぺランチストなので、毎夏世界のどこかの都市で一週間にわたって開催される世界エスペラント大会に、仕事に支障のない限り参加することにしている。 この機会を利用してもう一つの趣味である将棋を現地の強豪連と指すことを無上の楽しみにしている。(上田友彦

 今年の開催国はフランス(ただし開催地はパリではなく南フランスのモンペリエ)だったので、早い時期から彼らとコンタクトを取ることに努めた。なぜならフランス人は長期のバカンスを取ることをかねがね聞き及んでいたからである。

フランスとのやり取り
 語学力の貧弱な私のことだから(したがってエスペラントをやっている)、まず日本人の世話役に当たるような人を探すのが最善手と考え、『将棋年鑑』の海外支部名簿に掲載されているフランス支部責任者の山本桂さんに手紙と資料を5月早々に送付した。しかし1ヶ月以上経っても返事がない。
 ISPS役員の鈴木良尚さん、会員の木下恒さんから、フランスではエリック・シェイモルさんが最も強く、'97年度アマ竜王戦に招待されたこと、彼の住所、電話番号等を教えてもらった。電話は言葉の面で自信がないし、英語で手紙を書くのもおっくうに感じていたところ、丁度折り良く『かけはし7号』でエリックさんの「私の日本旅行記」を読み、山田編集長から彼のE-mailアドレスを聞くことができた。
 たどたどしい英語でメールを送ったところ、早速返事が返ってきた。山本桂さんは転勤のため、今はニースに住んでいる。上田の指定した8月10日(月)はwork dayなので、丸一日は休めないが何とか時間を作りたい。友人であり2番目に強いフランス人のフレデリック・ポチエさんはその頃日本にいるだろう。パリ在住の最強者はおそらく日本人の宮本豊一さんだろう。といった文面で宮本さんのE-mailアドレスも書き添えられていた。
 その後宮本さん、エリックさんと数回メールを交換した後、いよいよ8月10日エリック4段との対局が実現することになった。

ロビーで対局
 エリックさんとJEPIC欧州事務所次長の宮本豊一さんはこの日のために半日休暇を取ってくれた。場所は私の宿泊先のフランツールパリリヨンホテルロビー、申し分のない対局場であった。同行の大阪の同志大浦さんが参加されたので、2局同時進行が可能となった。エリックさんと私が最も多く当たるよう取り計らわれた。エリックさん自ら盤、駒、チェスクロックを2セット持参されるという熱の入れようだった。
 双方45分づつの持時間、それが過ぎると1手30秒未満という条件で、彼とは都合4局指すことができた。正味8時間休憩なしに、将棋漬けの至福の時を味わった。双方秒を読まれながら、激戦が展開されたが、結果は4局とも私の辛勝に終わった。彼は最新の棋譜も良く調べており、居飛車党の本格派である。私もほとんど飛車は振らないので、相懸り、矢倉模様からの急戦、横歩取り、ひねり飛車と息の抜けない白熱の序盤戦となった。中盤までは終始押されぎみで、辛くも終盤で逆転というケースが3局あった。宮本さんとも一局指したが、私の勘違いからあっけなく負けてしまった。宮本さんは3年間のヨーロッパ勤務を終え8月には帰国されるとのことである。日を改めて宮本さんとはじっくり指したいと思っている。
 エリックさんは素敵な将棋のホームページを開いており、これを読むと毎週パリ近郊のクラブで将棋が指され、全ヨーロッパでも大きなイベントがかなり頻繁に開催されているのが見て取れる。訪欧の機会のある同好の志には是非都合をつけて、彼らと親善試合をされんことを強くお薦めする次第である。

エリックさんのホームページ、Eメールのアドレス
URL: http://eric.macshogi.com/index.html
E-mail: site-eric@macshogi.com

投稿者 isps-admin : 09:20 PM | コメント (0)

国際化する詰将棋パラダイス(8号,1998.8.1)

 まいど。安田です。
 この場を借りて『月刊 詰将棋パラダイス』(略称・詰パラ)の宣伝をさせていただきます。(安田力)

 『詰パラ』は詰将棋の専門雑誌です。保育園、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、短期大学、大学、大学院などの多数の懸賞コーナーがあります。全問正解者は各コーナーごとに氏名が誌上に掲載されます。懸賞で当たると(案外よく当たります)、多くのコーナーでは『詰パラ』1冊がただで手に入ります(詰棋書などを賞品にしているところもあります)。
 これらのコーナーは手数別に分けられています。参考までに、保育園は3手か5手、幼稚園は7手か9手、小学校は3手から7手、中学校は9手か11手という具合にです。保育園と幼稚園は詰将棋の入門者から中級者向けで、小学校以上になるとその多くが実力者、マニア向けの出題になります。過去に出題された問題を2問、水上仁編集長の許可を得てここに掲載します。1問目が保育園レベル、2問目が幼稚園レベルです。
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 実は私は98年1月から保育園の担当をまる1年間していました。そのころから編集部に外国人の方から、解答や時には詰将棋の投稿が届くようになりました。例えば当時、大阪にお住まいの外国人の方から、またシンガポールやフランスにお住まいの日本人の方から解答が届きました。イギリス人の方の作品が中学校に入選したということもあり、一担当者として、『詰パラ』が国際化しつつあると感じました。
 そんな中、残念ながら『詰パラ』には現在でも日本語以外の言語で書かれているページがありません。しかしながら、詰将棋そのものを楽しみたい方はもちろん指将棋の終盤力を付けるために詰将棋を解きたい方にもまた打ってつけの月刊誌であるということは、自信を持って断言できます。例えば、奨励会時代の谷川浩司2冠や故・村山聖九段が『詰パラ』に取り組んで、終盤の切れ味が特に鋭い棋士となったのは有名な話です。ですから、『かけはし』読者の皆さんが1人でも多く『詰パラ』を読んで下さることを願っています。解答や投稿に際しての筆名の使用はもちろん自由です(実は「安田力」も筆名です)。
 ところで『詰パラ』は東京将棋会館など一部の例外を除いて店頭販売がされていません。そのため購入方法は定期購読がもっとも普通です。税込価格1冊(=1ヶ月)650円、半年で3900円、1年で7800円(いずれも郵送料込み)です。会費は郵便振替でお送り下さい。なお、問合せ先と振替口座は以下の通りです。
編集部所在地 〒530ー0043 大阪府大阪市北区天満4ー15ー7 
豊岡ビル2階(月刊詰将棋パラダイス編集部)
電話・ファクス 06ー6358ー4449(編集部直通)
振替口座 〔番号〕00930ー8ー51289〔加入者名〕詰将棋パラダイス
 また、インターネットが使える方は、パソコンから以下のアドレスにアクセスして下さい。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/tsumepara/index.htm
(『詰パラ』ホームページ)
 以上で紹介を終わります。最後まで読んで下さいましてありがとうございました。(本稿は安田氏の希望により、アーカイブズに載せるにあたり加筆修正が施されています - webmaster註)

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July 27, 2004

ブラジルからのお便り(8号、1998.8.1)

 多くの日本人が移民したことで知られている南米の国ブラジルでは、現地日本人会の方々が主催する将棋大会が定期的に開かれているそうです。ブラジル将棋連盟の内海会長からお便りを頂きましたので、様子をお伝えしましょう。(山田禎一)


 内海さんは今年75歳、大変お元気で、現地の日本人で組織されているブラジル将棋連盟を統括されています。全会員の名簿を改訂する仕事に取り組み、お忙しい毎日を過ごされているそうです。
 今年の全ブラジル王将戦(全伯将棋王将戦)はブラジルへの日本移民が始まって90周年目に当たる記念大会になりました。日本からも田辺一郎、大島映二の両六段が参加、大盤解説などを行い、盛り上がりました。それではその様子を内海さんからのお便りを引用しながら紹介します。

 日本将棋連盟派遣専門棋士田辺一郎六段、大島映二六段のお二人の來伯は、多年ブラジルの将棋愛好家が待ち望むところであった。飛行機は整備でなんと20時間もの遅れをみせ、5月1日午前1時40分クンビッカ空港に無事到着、スタートからつまずきが案じられた。
 出迎えは、内海と馬場康二、アルファインテル旅行社から今野雅行業務担当重役の三人で、深夜ではあったがすぐにスケジュールの調整や確認をして午前3時30分退去。両先生には、ハードなスケジュールをお願いすることになった。

 ブラジルにプロ棋士が訪れたのは久し振りで、現地の新聞でも報道されました。

ブラジル将棋連盟(内海博会長)は移民90周年の記念事業の一環として、国際交流基金に、普及と指導のため日本から専門棋士の派遣の申請を一年前から行ってきたが、このほど、日本将棋連盟(二上達也会長)から二人の棋士を派遣する、との朗報が届いた。専門棋士の来伯は、1990年の大山康晴十五世名人以来で8年振り。
 当地でのスケジュールは
◎4月30日 到着
◎5月1日  指導対局
◎2日=第26回王将戦いで解説指導。
 帰国する六日までの日程はブラジル将棋連盟で作成中だが、地方都市での指導対局なども考慮している。

 報道にあるように、現地での企画は内海さん達が中心となって作成されましたが、初っ端から飛行機が遅れたりして苦労の連続だったそうです。
ともかくも大島・田辺の両プロが無事サンパウロに到着。それからは内海さんの計画に沿って進んで行きました。

 1日の朝10時には懇親会にご出席いただいた。会場は吉川茨城県人会会長のご厚意で整備されており、大テーブルの正面に「歓迎 日本将棋連盟派遣 田辺一郎 大島映二六段両先生 ブラジル将棋連盟」と大書された幕が用意されていて、これを背にご着席いただく。進行は吉川連盟副会長がつとめられ、柄沢名誉会長から出席会員全員の紹介をお願いした。田辺先生からは、最近の日本将棋界の様子をお話しいただき、会員からはいろいろな質問や要望、珍問賢答があって時間が思わず過ぎてしまい、12時10分に午前の部が終了。午後3時から同じ会場で指導対局を予定して散会となった。
 昼食は、柄沢名誉会長の提案で両先生に日本食をと、ピニェイロスの八代へ。同行は柄沢、中田、桑原、内海の四名。ここでも話が弾み、なかでも中田さんの談話は笑いあり、熱あり、奇談ありで時を忘れ、3時の指導対局に遅刻する羽目になってしまった。

 両プロとも熱烈なブラジル式歓待を楽しまれたことでしょう。翌日は午前中市内観光で、午後からはまた指導対局となります。

 2日目の指導対局は、午後2時から研究会道場で行われた。前の日と同じの三面指しで大島先生が8局、田辺先生が7局の計15局をお願いした。大島先生が木曽四段に、田辺先生が青木六段に花を持たせ一同大満足であった。この日は午後1時過ぎから2時間余り停電があり、薄暗い盤を見つめながらの対戦であったが、4時過ぎ灯がともり熱戦をつづけた。対局のあと、両先生を囲んで和やかに質問や懇談を重ねてから、この日の歓迎会場ツバキ食堂へ向った。
 会場には、遠く1,000kmを飛行機で馳せ参じた高根五段が搾り立ての地酒ピンガを持参されるやら、クリチーバ支部の番匠、ロンドリーナ支部の杉本理事など合わせて25名が両先生を歓迎、懇談にいやが上にも花が咲き、みんな時の過ぎるのに気がつかない盛会となった。しかし、明日が大切な大会とあって10時前に惜しくも散会、明日を約して握手で別れる。

 第26回全伯将棋王将戦大会(主催・ブラジル将棋連盟、後援・ニッケイ新聞)が3日午前9時半から、リベルダーデ区の岩手県人会館で行われ、地元をはじめ、パラ州ベレン、ブラジリア、パラナ州、ミナス・ジェライス州などから126人が出場した。今大会は、日本将棋連盟から派遣された田辺一郎、大島二郎両六段が決勝戦の大盤解説を行い、また、専門棋士の來伯とあって、女性二人、非日系人二人なども参加するなど、彩りを添え、大会を盛り上げた。
 注目の決勝は、青木幹旺六段とミナスから遠征の高根富士雄五段の対決となり、序盤は高根五段が巧妙な差し回しで圧倒、解説の両六段も「旨い攻め方」と激賞したが、攻めを凌いだ青木六段が徐々にに盛り返して逆転し、王将位に就いた。これで昨年からの名人戦、最強者戦、老中棋戦を含め、史上初の四冠王となった。
結果は次の通り。
【王将戦】
◎ 優勝=青木六段(聖市)、二位=高根五段(ミナス)、三位=館山定雄四段(聖市)、四位=桑原パウロ五段(聖市)。
【三段戦】
◎優勝=畠山茂(聖市)
【二段戦】
◎ 優勝=上村徳生(聖市)
【初段・段外戦】
◎ 優勝=ジョマール・エゴロセ(マリンガ)
【親睦戦一組(王将戦予選敗退者)】
◎ 優勝=鍛冶谷日吉四段(モジダス・クルーゼス)
【親睦戦二組(三段までの予選敗退者)】
◎ 優勝=佐々木要三段(聖市)

 優勝者の中には現地の方らしい名前も見えますね。ブラジルの将棋ファンは日系人がほとんどなのですが、現地の方も若干はいるようです。さて、無事大会も終了しました。内海さんいかがでしたか?

 なにしろ12時間の時差のあるところから、午前1時過ぎに飛行機から降りられて、その日の10時から懇談会、指導将棋。翌日は、市内観光の後再度の指導対局、歓迎会と大変ハードなスケジュールをこなしていただいた訳である。にもかかわらず中盤の難所をうまく凌ぐ手筋や急所の捌きなど、指導に徹して下さり多くの教訓を残されたのである。お付き合いしていると、両先生の好みも分かってくる。リオデジャネイロの本場のサンバや美港の夜景などを満喫していただく為にも、もう一度観光本位で来ていただきたいと思っている。

 内海さん、ブラジルの皆さん、ご苦労様でした。」
  

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ウクライナでの将棋の始まり(8号、1998.8.1)

 1996年の或る日、将棋連盟に一通の手紙が入りました。それは、ウクライナの首都キエフ市にある「子供の宮殿」(チルドレン・パレス、以下少年宮 *1)で囲碁講習会の先生をしている、ビクトル・チーシェンコさんと、マールク・ワイントラウブさんからのもので、これから将棋の講習会も始めたいので、ご援助をお願いしたい、という内容のものでした。(鈴木良尚)

 ウクライナでは日本大使館が出来てから国際交流がだんだん増えるようになり、囲碁が始まったのが1976年からだそうです。一方、将棋の方は駒に書いてある漢字が周りの誰にも読めないので、殆ど指す人もいなかったそうですが、今まで知らない将棋に対する興味が少しずつ生まれ、最近深まってきたとのこと。将棋連盟からは早速、盤駒5組とパンフレット(英文)10部、それに英文の初心者用解説本が送られました。

子供達との交流
 過去15年来、国際郵便将棋(*2)を指し続けている私は、学生時代にロシア語を勉強したこともあって、この話に特に興味を持ちました。そこで、チーシェンコ先生の住所を教えてもらい、少年宮の子供達とも含めて郵便将棋の国際交流を始めることにしました。そして、ルール・ブックのロシア語版も依頼して作ってもらいました。チーシェンコ先生は日本語の勉強中で漢字も書くことが出来(写真参照)、英語よりも得意とのことです。チーシェンコ先生から私への手紙にはウクライナのことがいろいろと書かれています。それを原文のまま引用してみましょう。漢字の誤り等はありますが、何を言いたいのかよくわかりますので、そのまま読んでください。

鈴木良尚様 
 拝啓お手紙ありがとうごさいました。生徒と一緒に貴方と将棋をさしたいです。その他、ロシア語で書いた将棋ルールを創作することを用意いたしますがどんな将棋教材をこの孝科書に入れた方がいいかよく分かりません。
 その次にお質問に答えようと思います。
(1)昔レーケット(T.Legget)の将棋ブックを持っていて自分で駒を作って、生徒に見せました。生徒はチェスが出来るから将棋に興味を持って将棋を差して習いましたがルールの問題のせいでやめて置きました。
(2)将棋教官のワイントラウブ氏は人員整理の理由で解雇されました。今私は一人で将棋を普及するつもりです。
(3)ウクライナは26州になっていて、各州中心地ざっとに子供宮殿があってキエフ市に14地区で、各地区にも子供会官があります。われわれの子供宮殿に子供たちが6000人ぐらい通っているでしょう。毎年ウクライナでは子供宮殿、チェス学校、サークルなどの間でチェストーナメントが沢山行われています。
(4)もう数年間は日本語を習っていても手紙を書けませんので言語大学日本語の教師が助けて下さいました。この教師はロシア人です。キエフ大学にも日本語学部があります。われわれの子供宮殿には日本語ワープロがありません。
(5)ドキュメントに関して話すと私にとっては日本語で書かれた将棋教材の方がいいですが生徒に教える場合は英語の方が便利でしょう。なぜかというと子供たちはある程度英語のできる。
(6)日本大使館と日本会社に将棋を差す人はございません。囲碁の場合は時々大使さまがわれわれのキエフ囲碁会所にいらしゃることがあります。 
敬具 チーシェンコ・ウイークトル 23.09.1996

着実な進歩
 キエフでの最初のミニ将棋トーナメントは、強い子供たち4人を選んで1997年3月27日に行われ、次は、キエフの日というお祭り(5月27日)に行われました。その時に送られてきた成績表をご覧ください。
 7才のグルスチェンコ君は、第1回目は全敗でしたが、2ケ月後には相手が新人だったとは言え2勝を博しています。今年のキエフの日には女性の大人も加わって、益々興を盛り上げてきている様子がうかがえました(成績表は省略)。更に、駒落ち将棋も行われるようになり、底辺拡大の程が推察されます。下の写真(Webmaster註 - 写真は本アーカイブでは載せていない)は今年の3月7,8両日に行われた日本大使杯囲碁トーナメントの休憩時間に、スミク君と加賀さん(*3)との将棋の対局を囲んで皆が楽しんでいる様子です。結果はスミク君の1勝3敗だったそうです。

駒の工夫
 チーシェンコ先生は将棋のルールを生徒たちに覚えさせるためにパンフレットを使います(将棋連盟作成)。そして、ルールを覚えた者は、次に実際に盤上で駒の動かし方を勉強しますが、その時には先ずフェアベアンの駒(*4)を使います。この駒の上には、駒の種類を表した英語のアルファベットの大文字(例えば、玉はK、飛車はR等)と、駒の動ける方向と距離を表した線模様(例えば、玉は 、香は↑等)とが一緒に書かれています。そして、これに慣れてくると次にレーゲットの駒(*5)を使います。この駒の上には漢字の1文字とアルファベットの1文字が一緒に書かれてありますが(例えば、「金G」のように)、駒の動き方の線模様は書いてありません。そして、第3段階でやっと日本でおなじみの普通の漢字だけの駒を使うことになります。先生のご意見では、今は初心者用にフェアベアンの駒が必要だとのことです。
 また、チーシェンコ先生は、たいへん研究熱心で「木村定跡」、「山田定跡」、「鷺宮定跡」の意味を教えてくださいとか、将棋の格言「銀は千鳥に使え」とはどういう意味ですかとか、先日指した将棋の棋譜の講評をしてくださいとか、応対する方も意外と時間をとられて大変です。しかし、これこそ民間外交のエレメントそのものですので、頑張って1つ1つ丁寧に対応しているところです。
 なお、ISPSからも、日本大使館を通じて盤駒2組、それに会員の方から寄贈して頂いた将棋の書籍などを贈りたいへん感謝されていることをご報告しておきます。

*1 社会主義の国特有の小中学生の課外活動を行うクラブのようなもの。中国にも有る。「かけはし」第2号参照。
*2 「かけはし」創刊号参照。
*3 加賀良さん。日本大使館の方で恐らく近年赴任された方と思われます。
*4 "Shogi For Beginners" (1984)の著者創作の駒。
*5 "Shogi, Japan's Game of Strategy" (1966)の著者創作の駒。

第一回キエフ将棋ミニトーナメント成績表(1997.3.27)
Suzuki_8_u1.JPG

「キエフの日」祭、将棋ミニトーナメント成績表(1997.5.27)
Susuki_8_u2.JPG

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July 26, 2004

4回目の中国訪問(7号,1998.5.1)

 去年の10月初めに将棋交流を目的に中国を訪問しました。この時期、中国では中国象棋の全国個人戦が開催されます。それに合わせて訪中し、中国全土から集まってくる選手たちに日本将棋を紹介して相互交流を図ろうという訳です。(所司和晴六段(談))

 私が最初に中国に訪れたのは4年半前ですが、それから数えて今回が4回目になります。もっとも象棋の国際試合などで毎年1〜2回は東南アジアへ行ってますので、象棋の選手や関係者と会うのは4回目どころではありません。
 当初は全国個人戦の開催地である福建省の他には北京だけを訪問する予定でしたが、近年将棋が盛り上がっているという上海も急遽訪問先に加えました。人づてに、将棋のプロ棋士からの指導の要望が上海で高まっているという話を聞いたからです。
 北京では、少年宮で将棋を学んでいる子供たちのうち3人が去年の春ISPSの招待で日本に研修に来ました。恐らく実力が大分ついてきたと思いますので再会が楽しみです。
 また、私は象棋自体にも非常に関心があり、全国個人戦は象棋と将棋の相互交流を図るにはうってつけの機会と思いました。中国全土が選手が集まる個人戦で将棋を紹介すれば、象棋の強豪に効率よく将棋を知ってもらえますし、象棋も楽しめます。2年前も蘇州での全国個人戦を観戦しており、その時も良い交流ができました。

少年宮を訪問
 まず最初に訪れたのは北京です。到着した10月1日から出発した4日まで中国では国家の休日でした。通訳の陳さんに出迎えてもらいました。陳さんは将棋を知らなかったので、まず将棋そのものの紹介から始まって、将棋の専門用語などを覚えてもらいました。
 翌日は少年宮へ。まず指導者の李民生氏、生徒代表、通訳の陳さんと将棋を指しました。生徒代表の少年はなかなか強く、4枚落ちでしたがしっかり勝ちました。午後は多面指し。一度に4面から5面で、感想戦などもちゃんと行なって、合計20局くらい指したでしょうか。
 次の訪問地、福建省へは中国棋院の方々と一緒に北京から移動することになっています。そこで10月3日は中国棋院を訪ね、象棋部長王庭文氏と象棋の対局や交流の話などをしました。その後再び少年宮へ戻り、今度は比較的初級の子供を集め大盤解説と十数面指しを行ないました。

昼も夜も将棋
 明くる10月4日に趙国栄氏らと福建省に向け出発です。福建省到着は夜遅くになりましたがそれから多くの選手との宴会が始まりました。福建省での通訳は莊さん。将棋の紹介と用語の説明から始まるのは北京の陳さんと同じです。
 全国個人戦大会は10月6日に始まり16日まで続きますが、私は8日に行われた4回戦までを観戦しました。昼間は大会の観戦、夜は選手たちとの交流という毎日です。女子象棋大師の温さん、福建省の王大師、深圸棋院の朱院長、杭州棋院の陳副主席、昨年個人戦三位の湖北省李選手、蘇州の選手たちや趙氏の地元黒龍江省の選手たちといった多くの方とお会いできました。特に朱院長は深圸に是非交流に来て欲しいとおっしゃいました。
 また象棋の審判を20名以上集め将棋を紹介することもできました。何人かはルールを覚え、実際に指してみたりしていました。

驚くべき上海
 10月9日上海入り。ここの将棋熱には驚かされることになります。出迎えてくれたのは許氏と蒋さん。許健東氏は将棋アマ五段で上海で将棋を普及してくれている中心の方で、蒋さんも指導者の1人です。上海棋院の尹副院長、将棋クラブの張副幹事長を交え交流を深めた後、大世界というところの将棋クラブに行って小中学生と十面指しをおこないました。
 翌日は午前中に姜山中学、午後には新中中学を訪問しました。大盤解説や多面指しで指導対局をしましたがなかなかレベルが高いと思いました。
 出発前にもらった手紙に、上海には将棋を指せる子供が6000人ほどいると書いてありました。本当かなと思っていましたが、将棋を覚えた子供たちは数学がよくできるようになったと学校で評判になり現在上海市のほとんどの小中学校で将棋を教えるようになったそうで、そのため本当に1万人くらいは将棋が指せる子供がいるようです。
 ここまで将棋熱が高まってくるとやはり優秀な子は日本へ留学させてプロ棋士を目指すという目標が芽生えてきます。これは北京の子供たちも同じで、少年宮の李民生氏は今すぐでも日本に留学させたい有望な子がいると言ってました。これらの芽を潰さないために早く将棋留学の仕組みを作る必要があると思います。
 10月11日に帰国しました。振り返ってみると福建省では若い人達にあまり将棋の紹介ができなかったような気がします。全国個人戦よりも全国団体戦の時を狙って交流に行く方がよりよいのかも知れません。

投稿者 isps-admin : 07:32 PM | コメント (0)

私の日本旅行記(7号,1998.5.1)

 去年、私は読売新聞と日本将棋連盟によって第10期アマチュア竜王戦のヨーロッパ代表に選ばれました。これはStephen Lamb、David Murphy、Reijer Grimbergen、Arend Van Oostenに次ぐ5人目のヨーロッパ人となります。私は日本に2週間滞在することになり、これによって多くの対局と観光の機会を得ることができました。(Eric Cheymol)

日本には多くの美しい名所、社寺、庭園があります。2週間という時間はそれらを堪能するには十分とは言えませんが、いつかまた来たいという思い出を作るにはちょうどいいでしょう。
 
大阪での出会い
 今回の日本旅行は大阪の部と東京の部に分けられます。前半は中平貴将さんの指導のもと、竜王戦の準備のために費やされました。貴将さんはアマチュアとしては大変に強い選手です。彼自身アマ竜王戦にも3回出場していますし、四段当時の郷田真隆プロに平手で勝った事もあります。(この対局は1990年の将棋世界12月号に解説があります。)
  大阪に着いた時、貴将さんの家族と一緒にPatrick Davinが空港で待っていました。PatrickはインターネットでShogi Nexusというホームページを運営し、プロ将棋を紹介したり、「詰め将棋チャレンジ」を公開したりしています。私はこれが楽しみで、本間博プロ五段による毎週水曜の出題に欠かさず挑戦しています。
 数日後の6月15日、貴将さんは自宅でトーナメントを開いてくれました。これには貴将さんの友人の強豪2人と奨励会員が1人参加しました。4人で争ったこのトーナメントで、私は3位になりました。この結果はとても満足できるものでした。参加者はとても強かったのに、7局中2局を勝てたのです。もっとも普段のヨーロッパではこんな成績ではありませんが。後で考えると、この時がヨーロッパスタイルが日本のやり方と違っていることに気が付いた最初の機会でした。
 もしあなたが関西に行く事があったら貴将さんを訪ね、何日か使って寺院や庭園を観光するといいでしょう。6月16日のように比較的空いている日(たまにはそんな日もあります)を選べば金閣寺、清水寺や竜安寺のような美しい寺院を堪能し、他人の写っていない写真を撮ることもできます。
 日本人は親切で、気軽にあなたのカメラであなたの写真を撮ってくれますし、写真に撮られるのも好きです。とはいえ、私は自分の顔を撮るよりも仏像を撮る方が好きなので、時々不思議そうな顔をされることもありました。もし京都の観光名所についてもっと詳しく知りたければ、Reijer Grimbergenに聞いてみるといいでしょう。彼は私よりもこの素敵な都市をよく知っています。

2つの道場
 さて、竜王戦の調整に話を戻しましょう。火曜と水曜は関西将棋会館に行きました。同時に150人くらいの人が対局できる大きな道場で、週末になると大勢の人がやってきてなかなか壮観です。ここで何局か指しましたが、強敵にぶつかり、苦戦の連続でした。
 ここではヨーロッパでの認定と同じく、四段と認定されました。女流プロ三段の先生にも教えて頂きましたが棋譜を取り損ないました。この対局は私の弱点がはっきり顕われたものになりました。中盤で優位を築くことができましたが、方針の選択ミスによる悪手で試合を落としてしまいました。これと同じ事がアマ竜王戦の予選第1局でも起こりました。
 Patrikと一緒に十三の棋道館にも行ってみましたが、ここは世界一凄いクラブでした。将棋会館とは大違いで、30人くらいで一杯になる狭さです。独自の段級位システムを採用しており、将棋会館とは三段くらい差があるかも知れません。初めてここに来た人は席主と駒落ちを指す事になっているようです。私は飛車落ちで指し、二段と言われました。二段はここではかなり強い方に入ります。この他にも3局ほど指し、1局目は吹っ飛ばされ、2局目は何とか勝ち、3局目は時計が切れて負けてしまいました。(詰みがあったのに!)ここでは全員本気になって負かしにきます。将棋会館とは違って全ての対局にチェスクロックが使われています。
 貴将さんと彼の家族の暖かいもてなしのおかげでこの旅行の大阪編はとても楽しく過ごせました。彼は竜王戦に向けてベストコンディションを維持できるようあれこれ気を配ってくれました。彼とは何局も指しましたが、一つの持将棋を除いて全敗でした。とうとう私は自分にいいました。「お前にはこのクラスで指すのは家賃が高すぎる。弱点が多くてここまで進歩できないぞ。」しかし私は将棋を指すのが好きですし、どんな大会にも出られるようにもっと勉強するつもりです。
 Patric Davinの協力もありがたかったですし、電子メールのやり取りだけでなく実際に彼にあえた事はとても嬉しいことでした。Patrik、Shogi Nexusはとてもいいホームページです。これからも頑張ってください。

東京での再会
 新幹線に乗って3時間、東京で待っていたのは誰でしょう?ヨーロッパで見知った顔が二つ、鈴木良尚さんとReijer Grimbergenさんでした。ドイツにいた10年間、鈴木さんはヨーロッパの大会に参加していました。すっかり忘れていましたが、フランスオープントーナメントで二歩で負けた事を鈴木さんに言われて思い出しました。(こんなことは忘れる方がいいですよね)
 東京での最初の出来事は15〜20席くらいの小さなレストランでの歓迎会でした。日本にはこんなレストランが沢山あります。楽しい食事を楽しむことができます。その後でバーに行った時、歓迎会に参加した宮田利男七段から、2日後に迫った竜王戦に備えて平手で1局指しませんかと提案がありました。これはうまく指せたと思います。入玉含みで指せば優勢を保てたかもしれません。
 金曜日は台風で、Reijerと私は買い物をして廻りました。お土産を買うにはいい天気ですね。でも日本を観光するならこの季節は避けた方が賢明です。6月は梅雨の季節、温度と湿気がかないません。10月〜11月とか3月〜4月の頃がいい季節です。
 竜王戦の開幕式が谷川浩司竜王の出席のもと行なわれました。後ほど、谷川竜王、Reijer、大野木さん(連盟職員)、そして飛行機でやってきた中平貴将さんも一緒になって日本酒を飲みながら楽しい時間を過ごしました。

大会当日
1997年6月21日土曜日、運命の日がやってきました。浦島ホテルでの予選は1局目が朝9時開始でした。私にとって、この開始時間は早すぎます。
 予選会場では、56人の選手が必勝を期して精神集中していました。55人の日本人に混じって、私もアマ竜王戦で初の勝利を上げるヨーロッパ人になるべく気合を高めていました。
 トーナメントで使った盤駒はとても美しいものでした。持ち時間は40分、これが切れると40秒の秒読みになります。30秒と40秒では大きな差があります。ヨーロッパでも40秒制を取り入れて対局の質を向上させて終盤のポカをなくすようにするべきでしょう。
 56人の選手は4人づつ14組に分かれました。各自2局指し、2局目は勝者同士、敗者同士が当たります。2局指した時点で、全勝者がまず予選を通過します。全敗者は失格です。1勝1敗同士で第3局を指し、勝った方が予選通過となり、28名で争われる本戦に臨みます。
 毎局終盤になるとおなじみの青いチェスクロックが活躍し、延々と秒読みが続く試合もあります。秒読みになった選手はほとんどが最後の10秒になるまで着手しませんでした。
 第1試合、問題の局面です。3つの位が敵陣にプレッシャーを与え、形勢有利です。2六飛で歩の交換を強要し、チャンスは続きます。しかし、私は5筋の歩をすぐに外したいと考えました。時間は少なくなり深く考えずに▲4四歩と着手したところ、あっという間にゲームは終わってしまいました。
Eric_fig1.JPG
(図1から)
▲4四歩 △同 飛  ▲5五角 △4六飛 ▲2二角成 △4九飛成
銀を只で取られ、竜まで作られては勝負ありです。
 第2局は受け身に廻って相手の戦術を見定めるようにしようと思いました。これは普段の指し方ではありません。いつもは主導権を握る指し方をします。しかし竜王戦に出てくるような選手は世界のトップレベルにあって、中には奨励会にいた人もいるのです。だから私も注意深くなければなりません。
 第2局の相手は緊張しているように見え、試合前には一言もしゃべりませんでした。土曜の午後、そして日曜になると私たちは将棋を指し、語り合いました。これはReijerに通訳してもらいました。私も日本語を話す事を勉強するべきです。彼は友好的で、強豪でした。
Eric_fig2.JPG
 この局面で△同金▲同角成△9六飛という展開なら互角だったようですが玉の近くに馬を作られたくなかったので△4二金寄を選び、指す手がなくなってしまいました。以降20手ほどで負かされました。
 第2試合が終わってもまだ日中です。しかし私はこの時点で失格となりました。このことが妙な気分にさせます。準備に数ヶ月かかって、全ては3時間で終わってしまいました。
 予選落ちはしましたが、このような大きな大会で指せた事は良い経験になったと思います。初参戦ながらヨーロッパよりも慎重な選手達のスタイルと手数も時間も長いゲームに触れました。

秒読みなんだよ
 2日のトーナメントの間、日本人の観客があまり来なかったことは驚きでした。何万人もの人が将棋を指している日本の東京で試合があったのですから、大勢の観客がきてもよさそうなものです。
 ヨーロッパの対局風景とは違う点があります。竜王戦では試合が終わると対局者は大きな声で感想戦を行い、隣の試合に迷惑だなんて考えもしません。棋譜を採っている人もいます。ライエルが取ってくれたので私は試合に集中できました。
 ヨーロッパのアマチュア大会では1時間の持ち時間と40秒の秒読みが普通ですが多くの試合は秒読みにならずに終わっています。この大会参加者のような強豪たちに勝ちたいなら、私たちも秒読みに慣れる必要があります。クラブで指すには40秒の秒読みだけで指してみてはどうでしょうか。
 勝ちぬき戦の間、おかしなことがありました。多くの日本人が携帯電話を持っています。ある選手の電話が秒読みの最中に鳴り出しました。あわてて電話をとり、大きな声で言いました。「今話せない!秒読みなんだ!」相手は理解出来なかったようで、話し続けようとしました。その人は相変わらず大きな声で「本当に話せないんだ!秒読みなんだよ!」と叫び電話を切ってしまいました。
 竜王戦の後、観光に時間を費やしました。月曜に、Reijerは私を浅草観音寺に連れて行き素晴らしい庭園を見せてくれました。もしあなたが緑豊かな休息を望むなら日本の庭園こそ訪れるべきところです。
 その夕方はISPSのパーティに招かれ、夜に連盟のホテルに戻った時、館内テレビで塚田−佐藤(康)戦の感想戦の始めの部分が流れていました。そこで対局室に行って見学をお願いしたところ、両対局者ともに夜の11時に見学させて欲しいという人が現れた事に驚きました。普通はこんな時間に観客はいませんから。
 火曜日、鈴木さんの案内で鎌倉を訪れました。鎌倉は海の近くにあり、落ち着いたところです。散策と観光を楽しむには鎌倉はいいところです。長谷観音、大仏、佐助稲荷、銭洗い弁天、八幡宮といった多くの寺院があります。いつかまた訪れたいところです。その後、鈴木さんの地元、横浜を楽しみました。
 水曜日は大野木さんと宮田さんが日光東照宮に連れていってくれましたが、ここも素晴らしいところです。宮田さんは参考になるアドバイスをくれました。棋譜を採るのは対局が終わってからにする事、大局を見て、遊び駒を作らないようにする事の2点です。働かない駒があって、どうして強い相手を倒せるでしょう?
 木曜日、6月26日は私の将棋にとって大事な日です。その日、私は宮田プロと高柳道場に行きました。ここは2階あって、50面以上の盤が並んでいます。他の将棋クラブと違うのは畳に座って対局する事で、何だかプロみたいな気分です。しかしこれが重要で、机に向かって指すよりも目と盤の距離が長くなります。
 大局を把握するにはこれがいい方法で、自然に盤全体を眺めることができます。高柳九段の指導も受けました。中原十段の師匠である高柳九段はこの道場でよく指導対局するそうです。
 今回の日本旅行で将棋に対する新しい考え方を学びましたし、間違いにも気付きました。その一つは、将棋とは忍耐力のいるゲームだということです。攻めようとしている時に我慢するのはとても難しいことです。
 日本に来てみて、将棋を楽しみ勉強する意欲が新しくなりました。強くなろうと思ったら、アマ竜王戦に参加しているような強豪に勝とうと思うなら、私の弱点を克服する必要があります。全ての将棋ファンに、日本を訪ねてこのような大きな大会に参加する事を勧めます。その最短の方法はヨーロッパ選手権に勝つことでしょう。
 最後になりましたが中平さん、大野木さん、Reijerを始めとする多くの方にお礼を申し上げます。

予選第1局 先手 Eric Cheymol 後手 Michiaki Yamazumi
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予選第2局 先手 Keiji Omatsu 後手 Eric Cheymol
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(Webmaster 註:翻訳は山田禎一、現在 Eric Cheymolo 氏のホームページはここ、また、レポート中の Shogi Nexus はこちらになります。)

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